わたしのビジョン
貢献のないビジョン
最近私は、ビジョンや貢献について考えていた。
この記事の前4つなんかは、その迷いをそのまま吐露したものになっている。
迷いながら書いていた。
ここ数ヶ月の私は、コーチングセッションによってビジョンを掲げ、小さな行動をしては前進し、着実にビジョンの体現を行った。
何だかまわりに良い影響を与えていることは分かるし、私も心地良いし、満ちている。
けれど、この体現が向かう先が分からなかった。
サボタージュ
それから、今やっていること、やろうとしていることに対し、「仕事になるかどうか」「仕事にしなきゃ」という声が大きくなっていった。
モヤモヤしている気持ちを整理、吐露したいと思っていたとき、輝さんのコーチングセッションの募集が目に留まった。
輝さんとのセッションでは、私のモヤモヤがするすると紐解けていった。
そして、私のサボタージュが大きくなっていることに気づいていった。
▽サボタージュを分かりやすく解説しているnote
ちなみに私のサボタージュは、
「社会的に、一般的に、世間的に」が口癖で、「レールに乗る」ことに価値を感じている。「べき論」をよく言う。
まさに、「仕事にしなきゃ」なのだ。
社会に置いていかれないことを善としている。
セッションの中で、なんとなくの理想と理想を邪魔するものは分かったものの、どうしたいんだろうなぁ…と考えていた。
まーさんのnoteとわたしのビジョン
セッションから数日経った夜、寝る前になんとなくnoteを開いた。
(その1週間は、好きなものを断つ取り組みとして、TwitterとInstagramを1日1回しか開かない制限をしていた。なので私はnoteばかり見ていた。なんと偶然にも、今同じような取り組みをしようとしている数人の声を聞き、一緒に頑張ってる気がしてしっかり取り組めた!ありがとう!)
noteを開くと、なんとなく、まーさんのこの記事が目にとまった。
(まーさんとは、私がコーチングを学び始めた時に知り合った。そして最近アートのワークショップでご一緒し、繋がりが深くなった)
それから、2年前のまーさんのnoteを流れるように読んだ。
ゆったりとした気持ちで、時間を忘れて読んだ。
ありのままのまーさんに触れ、
読み終えたあと、私の願いとつながった。
私の願いは、ずっと前からあったんだ。
今まで、恥ずかしくて言葉にできなかったのだ。
そんなのみんなが持つ当たり前の願いだよ。
という風にも思っていたかもしれない。
最近書いた、私のビジョンについてのnote。(私のnoteのなかではかなり短い)
貢献のないビジョンだと思っていたことは、大きな貢献を生むことを知った。
「わたしは、さらさらな布団の中で咲くひまわりです。」
これが私のビジョンだ。
2年前のビジョンは全く意識していなかったけど、似たイメージになっている。
きっと私にとってとても大切なイメージなんだ。
母とビジョンを語った夜
もうすぐ日付が変わる頃だろうか。
まーさんのnoteを読んだあと、居間に行くと母が起きていた。
いつもは寝ている時間なのに。
気づくと私は最近のモヤモヤを母に話していた。
ビジョンに確信を持ち、具体的なイメージもできた。とはいえすぐに叶うわけもなく、どうしたらいいのかモヤモヤしていたのだろう。
母に、少しだけさっき気づいたビジョンの話をする。
すると、母が私のビジョンの具体的なイメージを話し始めた。
私もそう思ってた。
同じこと、思ってた。
母のイメージと私のイメージが一致した。
本当はどうしたいか分かっていたけれど、今まではなんだか恥ずかしくて、子どもみたいで、口にできなかった。
母の言葉にのせて、私も一緒にビジョンを語った。
ビジョンの実現のためには、今目の前のことに集中すること。
2人で、そうだよね、と言い合った。
ずっと心の中にあったけど、まわりの目を気にして、ぼんやりしていたわたしのビジョン。
私がわたしをまっすぐ観ることができていなかった。
今いろんな人のおかげで少しずつだけど、どう生きていきたいのか言葉になってきた。
自分の声が聞こえるようになってきた。
たくさんの人との関係性の中で進んでいる。
一緒に居てくれて、話してくれて、言葉を紡いでくれて、本当にありがとう。
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