デッサン

reeezndさんのデッサンについてのnoteをみて、私も思ったこと残したいなと思い書いています。

数ヶ月後には意見変わってるかもしれないけど、とりあえず今私はこう思ったというメモみたいなものです。


わたしもデッサンを学んだことがあります。

高校生の頃、毎日たくさんの受講生のデッサンを並べられて講評されてました。講評で触れられもしない下段だったときは辛かった。

reezndさんも書いてましたが、写真のように見えるものをそのまま描いても評価は上がりませんでした。

記事を読んで改めて考えてみたんですが
デッサンって  空間での人の視覚体験を平面にしたもの ”

なのかもしれないなと思いました。
VRでも基底現実でも良いんですが。

それって写真と違うの?ってことなんですけど、
違いとしては1人称で人間が見た時の見え方ってことかなと。カメラではなくて人間の目で。

デッサンの時に先生から言われたとても印象的な言葉があって、VRChatのワールド作る時にも度々思い出します。

「光と影の境目を描き込みなさい。」

科学的な根拠があるのかは詳しく分かりませんが、人間の目は光と影の境目から形状や質感を想像するから、そこを描き込めば他の光や影部分が大して描き込まれていなくてもボリュームとして見えてくるよというような内容でした。他の部分よりもそこを大事にしなさいと。

これが本当にそうで、ここを習得してから格段にデッサンが上手くなったような記憶。習得というか、やってみて納得したんですよね。あ、ほんとだ!見やすい!って。
逆にどこを見ていいか分からないくらい全てが描き込んであるデッサンは見辛い。(し、制限時間内に描く方も辛い…)
人の目って不思議だなと思いました。

追記
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投稿してから思いましたが、描いている時目を凝らして見るので、普通に全体を見たら見えないところまで見えてしまい、それを描くことでうるさく感じるのかもしれません。
見ようと思って見たところは、自然な「見える」景色とは違うという。

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全てが描き込んであるものは写真の模写のような表現で、おそらく人間から見た空間というより、どっちかっていうとカメラから見た空間で。
なので、それを描いた人の視点や意図が散漫になりがちなのかなと思います。

VRChatのワールド作る時に何故思い出すかというと、人間の目がその境目によってボリュームや光や影を今までの基底現実の経験から、感覚として補完しているとすると、VRと言ってもやっぱり映像である空間体験の中では、特に有効活用できるのではと思っているからです。

…実際上手く行えているのかと言ったら、そうでもないですが!

視点が自由に動き回るわけなので、デッサンとワールド制作では比べものにならないくらい難易度UP
逆にその表現がまた別のものになると、基底現実とは違った「ならでは」の体験として捉えられているんだと思います。

いろんな表現が溢れていて、楽しい。

上の方で書いたような、
基底と仮想、両方で生きてる人間が体験するものだからこそ有効な見せ方が今あるとすると、いつか未来で仮想だけで人間が生きていくようになったときには、一体どんな空間が生まれているんですかね。


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