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土佐市議15人のうち4人しかツイッターを使っていない - 市内は情報隔絶して泰然自若

地方から東京に出て働いている者は多くいる。九州から、四国から、山陰から、離島から。今回の件を知らない者はない。職場の昼飯の時間にこの話題を振られたとき、高知県出身の人間はどういう態度を返せばよいのだろう。「ホント困ったもんですよね」「田舎はああなんですよ」と言い、「実はうちの田舎でも..」と同種の実話を自虐的に披露して薄笑いし、「へェそうなのか、高知はひどいな」という方向に着地させるしかないだろう。「田舎は厳しいよな、住むところじゃないな」という空気に合わせて場を凌ぐしかない。場に同調して漏らした実話は、尾ひれを付けたネタとして夜の新橋の居酒屋で拡散される。実際、カフェ店長の告発マンガが勢いよく拡散されていたとき、何人もの高知県出身者が登場して嘆きの告白を言い、田舎叩きと高知叩きで沸騰するタイムラインを掉さしていた。半泣きで店長に謝罪していた。

もしその昼餉の場で、「あの店長の話はおかしい。高知に対する偏見を掻き立てて大衆の世論を味方につけている。都会人の田舎蔑視の感情をくすぐって煽り、高知の名誉を傷つけている。ひろゆきが協力したのも怪しい」などと正論を言おうものなら、「おまえ左翼だったのか」という反応になり、一同座がシラけ、その高知県出身者は仲間外れにされるだろう。都会で生きていくためには、都会人の感性と常識に合わせるしかない。だから、東京にいる高知県出身者や田舎出身者は、今回の件を自虐で決着つけるしかない。抵抗できない。「田舎はまともに人が生きてく環境じゃない」「あんなとこに地域おこし協力隊で行く人間はバカだ」という侮蔑的認識に同意し肯定するしかない。屈服するしかない。5/11から5/16までそういう流れになっていた。私の記事は、その流れへの渾身の反論であり問題提起である。自虐の拒否であり、カフェ店長・経営者の悪意の暴露だった。

この問題の本質が何かは、人によって関心と見方が異なる。①犬山市議のように地方自治の観点から法的客観的な整理に努め、問題の構図を明らかにする視角もある。きわめて説得的で核心を衝いていて、犬山市議は全国区の有名人となった。今後、自治体絡みの大きな問題が発生したとき、知見を持った信頼できるコメンテーターとして登場が求められるだろう。②土佐市と周辺に住む人間は、市長・市役所の責任に着目し、NPO法人理事長の独善と専横を問題視する傾向が強い。5/12に開かれた土佐市議会の議論もそうだった。③私の視線は東京からのものであり、一般的なもので、敢えて言えば社会学的な問題意識に即くものである。一番深刻な被害は何であり、誰が誰によって最も傷つけられたのかという次元にフォーカスする。高知県人の名誉と尊厳という問題こそが第一だと考える立場だ。したがって、最も大きな責任はカフェ側にあるという判断になる。

カフェ店長は、私の記事に対して「実害が出ており」(5/20)と言っているが、基本的に、ニールマーレが「実害」を言える立場なのだろうか。ニールマーレは4月末に退去していなければいけない事業者だ。昨年6月に、入居している公共施設の指定管理者 - 大家さん - から文書で退去を迫られ、市から猶予を与えられた上で、今年3月末の営業停止と4月末退去が決まっている。「南風(まぜ)」は行政財産の公共施設であり、フロアの利用は公平公正でなくてはならず、一私企業の無期限特権利用などあり得ない。市からの利用許可が切れたら退去するのが当然だ。すなわち現状は不当な居座りであり、4月以降の営業は違法営業である。次に入居する業者も公募入札で決まっていて、ニールマーレの退去を待っている。実害が出ているのは、5月に営業開始予定のまま、ニールマーレに妨害されている業者の方だ。

本来なら、その業者に営業妨害で訴えられてもしかたなく、ニールマーレは「得べかりし利益」の損害賠償責任を負わないといけない立場だろう。店長の言う「実害」など、法的権利上あり得ない、発生し得ないもので、実害を受けているのは次に入る業者の方である。普通の自治体の事案であれば、こうした場合、おそらく強制退去の措置となるだろうし、あるいは、市と指定管理人が公共建造物不退去・不法占拠の被害届を出して、地元の警察が動くという推移になるだろう。ゴネ得を阻止する市当局側の法的措置が粛々と発動されるのが通常だ。ニールマーレは、今、そもそも営業して利益を出せる立場になく、批判記事の影響で実害が出たなどと文句を言える立場ではない。また、実際のところ、私の記事が拡散する前から、ニールマーレは自ら営業休止していた。記事が実害を与えたという言い分は時系列的にも当らない。

カフェ店長は、NPO法人理事長から「セクハラ」を受けたと告発している。告発マンガの発信が1億回超の驚異的閲覧数を叩き出し、爆発的な同情と共感を呼んだ原因の一つは、この「セクハラ」の契機が含まれていたからだろう。私の記事に法的措置を宣告するほど権利意識の高い店長が、なぜ理事長の「セクハラ」を放置し泣き寝入りしていたのか、理由が分からない。こうやってマンガで堂々と告発するのだから、証拠も十分押さえていると思われる。なぜ警察に相談し、被害届を出さなかったのか。その手続きをとらないのなら、「セクハラ」の糾弾は真実かどうか怪しまれるし、逆に名誉棄損になるのではないか。告発騒動の発生から2週間になるが、個人として最も人権を傷つけられ、実害を受けたのは、一方的に悪者にされた理事長なのだろう。また、全国からの罵倒と暴言の電話襲撃に応対した市職員ではないか。

私への法的措置の宣告と同時に、ニールマーレ側は経営者(永田順治)が出てきて動画を配信し、釈明を始めた。前編後編の二つの動画が上がったが、いずれも評判がよくない。だけでなく、閲覧数が少なく注目を集めてない。動画を見て厳しい感想を書き込んでいるのは、どうやら小営業のプロが多い印象を受ける。同じ飲食店経営者の立場からこの問題に注目し、ずっと情報を収集して凝視してきた人たちだ。コロナ禍の3年間、塗炭の苦しみに喘いでサバイバルしてきた人たち。彼らから見て、ニールマーレの経営実態は異様で、何から何まで地方のお役所におんぶにだっこしたもので、幼稚で論外なものらしい。賃貸借契約なしとか、初期投資を市が提供とか、地域おこし協力隊で人件費も出ていたとか、あの景観立地で家賃10万円とか、事実が次々と出たとき、最初にニールマーレ批判の声を上げ、店長の告発の欺瞞を衝いたのは、そうした飲食店経営をよく知る者たちだった。

現時点の情景を言えば、不思議なことが起きていて、ニールマーレ支持派と批判派は二つに分かれ、単に分かれているだけでなく、奇妙な分断の様相を呈している。支持派の者たちは、店長のツィートに無条件で共鳴し、経営者の動画はろくに見ない。支持派であれば、経営者の動画もきちんと見てサポートすればよいと思うが、支持派の多くは経営者の男性の動画は興味・関心がないのである。経緯や詳細はどうでもいいのだ。とにかく、若い女性店長が地元の老害ボスにいじめられていて、腐った田舎が移住者追い出しにかかっていて、こんな卑劣で悪虐な図はないから、女性店長を全力で擁護し加勢しようという単純な衝動だけなのである。その観念に凝り固まり、ニールマーレの敵は自分の敵だと高揚し、ニールマーレを批判する者を脊髄反射で攻撃する。女性店長を勝たせなければいけないのだ。私はすっかり、NPO法人理事長の代役(悪役)を引き受けて、支持派から袋叩きされる標的のお当番になった。

さて、当の土佐市の市内は平静そのものである。ツイッターとは別空間の泰平の中にあり、昨日と変わらぬ今日が続いている。朝、『らんまん』を見てほのぼのし、高知新聞をめくり、『らんまん』の持ち上げ記事を読んでほのぼのし、基礎疾患の持病の薬をもらいに病院へ、という日常が続いている。高知新聞が報道したのは5/13の一度だけだった。市民の中で議論が興っておらず、唖然とするほど関心が薄い。小さなコミュニティだから、声を上げて目立ちたくないという警戒意識も強いのだろう。下手に関わり合いになると損をするので、こっそり障子の隙間から覗くだけに止めるのである。市長選が絡んでいる(に違いない)から、ここで安易に口出しして波風を立てると、後でどんな復讐と孤立の目に遭うか分からない。そういう保守的な動機と心情もある。だが、それだけではない。ツイッターを使っている人口が少ないのだ。情報が入ってないのである。事件の概要の把握と理解にたどり着けないのだ。

一つの証拠を上げよう。土佐市議は15名いる(現在欠員が1名出ているらしいが)。調べたところ、ツイッターのアカウントを持っているのは4名だけだった。76歳の女性議員、60歳の公明党議員、58歳の共産党議員、49歳の男性議員の4名だけである。あとの11名は持っておらず使ってない。市議のツイッター使用率27%。これはあまりに低すぎる水準ではないか。4名のアカウントの中身を見てみよう。76歳の女性市議は、2/22で更新が止まっていて、その前は昨年11/8に投稿したきりである。事実上、全く使っていない。49歳の男性市議も、昨年7/6、麻生太郎が高知市に遊説に来たのを警護しましたという報告を上げたきり更新が止まっている。その前の投稿は昨年2/18。何やら、身内の自民党青年局へのアピールのみの使い道のようだ。60歳の公明党市議は、周辺自治体の仲間の公明党議員のリツイートばかりしている。身内で使う目的でのアカウントだ。で、驚くのは58歳の共産党市議である。

昨年12/23の、土佐市に大雪が降った写真の投稿が最後である。その前が11/23、その前が4/8。これには驚く。使ってない。58歳の共産党議員である。普通の人間は、この土佐市議たちの体たらくに驚くが、おそらく彼らにも理由と事情があって、見てもらえないのに、票にならないのにツィート発信しても意味ないのだ。有権者がツイッターを使っておらず、見ておらず、日常生活に活用してないから、市議が発信しても無駄で無意味という理屈だ。脱力させられる。ツイッターだけでなく、SNSはアカウント取得時の手続きが面倒で、慣れない日本人高齢者には刺々しく不親切なユーザインタフェースの仕様である。若い世代には何も支障のない入口でも、高齢者には一苦労の関門と言っていい。で、せっかく苦労してログインできても、わけのわからない誹謗中傷や罵詈雑言のタイムラインを目にすると、これのどこが自分にとって価値があり意味のあるメディアだろうと思うに違いない。

だから、結局、時事の報道は高知新聞とNHKニュースに頼ることになり、高齢者はそれでいいと思ってしまう。無理もないことだ。ここ数年、強く感じるのは、格差の壁が東京と地方で高くぶ厚くなり、単に富だけでなく、情報面での格差が極端に激しく開いている現状である。リテラシーとインテリジェンスの面で隔絶が甚だしい。スキルとセンスの地平において先進国と途上国の差が画然とある。高齢化の進展と共にどんどんその差が開いている。SNS情報社会の適応能力が、いわゆる「民度」の実体となっている。われわれ東京に住む者は、ツイッターなしの生活は考えられない。だが、土佐市のような地方では必要なく邪魔ですらあるのだ。『らんまん』見てほのぼのしている高齢者に、ツイッターを使いこなせというのは酷だろう。だから、ニールマーレ事件は壁の向こうの異聞なのである。事件が起きている現場で生きてるのに、現場感覚がなく、遠い世界の出来事で、高知新聞に活字で説明してもらうか、誰かに訊いて教えてもらうしかないのだ。

市議会は5/12に一度開かれたきり、あの爆破予告や園児脅迫メールや市長殺害予告が続く中、先週(5/15 -19)は一度も召集開催されなかった。6月の定例会で取り上げると言う。現市長と弁護士が、今月中にニールマーレ(アルバトーザ)と裏で「金目」で合意し、収拾を図ってお茶を濁すという意味だろうか。秋の市長選を控えて、現市長の責任問題を回避し、ダメージを極小に抑える策で逃げようという腹だろうか。普通の自治体の議会なら、臨時会を開いてこの問題を集中討議する進行となっただろう。喧々諤々しただろう。市の存亡の危機なのに、何を考えているのか分からない。無責任の極致だ。どうして市民は抗議しないのだろう。

ご支援を下さった方々に感謝します。屈服せず、最後まで言論で戦い抜いてゆきます。

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