Y: 94 ストーリーというご都合主義
2023.12.30
Youtubeで、盲導犬の役目を引退してパピーウォーカーのもとで余生を暮らしている老犬をかつてのユーザーの所に連れて行き再会させるという動画を見た。
その動画は、老いた盲導犬が久々にユーザーの家に行くと、昔を思い出したかの様に歩き出して、ユーザーとの感動的な再会を果たしたというストーリーだった。
動画のコメント欄には、犬が飼い主のことを思い出している、慕っている、愛している、愛されているといった犬の気持ちを想像して、感動したというものが多かった。
私も実家に犬がいるし、犬が好きなので、そうだよなぁとコメントを見ながら思う反面、犬の知能、犬の年齢、個体差等を考えると、実際のところ、犬が何を感じているかはよくわからない。ただ、私たちは、そう見たい(思いたい)んだよなと。
何かを発表するような時に「ストーリーが大事だ」といつの頃からか言われる様になって、自分のものにストーリーがあるかを意識するようになった。
ここで言うストーリー(story)というのは、いくつかの意味があって、例えば、論理的であるかとか、因果があるか(雰囲気でも)、物語のような流れがあるかというような意味で使っている。
世の中にある多くの商品はストーリーと一緒に売り出される。「1000円のペン」と売り出すより「NASAが開発した1000円のペン」の方が売れそうだ。これも一つのストーリーだと思う。
通販番組のグルコサミン的なやつも、最初にひどくやつれたお年寄りが出てきて、それを使うと、若返ったかのように活発になる(ずいぶん、前後の髪型、化粧、ライティングに差があるのは気のせいか)エピソードが必ずある。ちょっとしたおとぎ話のようだ。これも一つのストーリーだ。
よく調べたわけではないが、どういう宗教でも、教義に付随する物語が必ず存在していて、多くの教えは、ストーリーと共に伝承されてきたと思う。「嘘をついてはいけない」という教えだけが伝わっているのではなく、昔々、ある人は嘘をついて、酷い目にあった、だから嘘はよくないんだというような逸話があったりする。
きっと、人は「ストーリー(物語)」なしで、情報を吸収するのは苦手なんだと思う。覚えられないというか。情報が滑って流れていってしまう。むしろ、人は何かしらのストーリーを欲するし、作り出そうとする(なかば中毒)のだと思う。
顔が見える生産者、職人の手作業で作られた逸品、ブランド・ヒストリー、商品開発の裏側、それは商品そのものの味や機能とは直接的に関係はないのだけど、ストーリーを乗っけっることで、価値がより高まる。
ここでも書いた様に数字(データ)は基本的には事実そのものなのに、そこにストーリーをつけると、数字がいかようにも歩き出す。
睡眠アプリの話で言えば、自分の実感が重要なのだから目覚めが良ければいいはずなのに、点数が低いと、もしかしたら枕が悪いのかなぁとか数字に合わせたストーリーを作り出してしまう。
株や為替の変動を予測(予想に近い気がする)を見ても、同じデータを見て、ある人は「上がる」と言い、ある人は「下がる」と言う。おそらく、正しい答えは「予測できない」だ。それでも、人は自分の期待に合うストーリーを信じようとする。そして、自分の聞きたいストーリーを受け入れてしまう。
ストーリーがあることは大事なのだけど、事実やデータに”忠実な”ストーリーでなければいけない。しかし、忠実というのはいったいどういうことなのか。忠実でいるにはどうしたらいいのか、私はまだよくわかっていない。
いつもより、ちょっとよい茶葉や甘味をいただくのに使わせていただきます。よいインプットのおかげで、よいアウトプットができるはずです!