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Y:84 サブスクで雑になる

2023.4.29

いつの頃からか、サブスク(サブスクリプション・サービス)という形で作品に触れることが増えてきた。定額を払えば、音楽、書籍、映像が見放題になるというのは、レンタルCD屋に通い、当日返却でカセットやMDにダビングをしていた身からすると、お得感がものすごいのだけど、実はサブスクが出てきてから、作品の消費の仕方が少し変わってしまったような気もしている。

例えば、ちょっとした時間に何か本(映像作品でもよい)を読もうかなと思う。特にこれが読みたいという本があるわけではない。そんな時に、どうするかというと私はAmazonのPrime reading(Amazonのプライム会員なら無料で読める数百冊の本)から、おもしろそうな本を見つけようとする。

昔なら、ぶらっと本屋に入って本を買っていたような状況だったと思う。それが、無料(厳密にはサブスクの月額費用を払っているが)で、本が読めるのだから、一見、良い時代のなんだけど、わりとそういう本は読み切らずにそのままになってしまったりする。

映像作品だと、サブスクだからというより特性上、途中停止ができるからかもしれないが、「ながら見」が増えてしまったり、ちょっと目を離してしまったから、巻き戻して見たりすることが増えた。作品に対して集中していないのだ。

つまり、作品の消費の仕方が雑になったのだ。

読まなくてもお金を損するわけでもない(感覚的)し、見たければまた見られるしという思いがあると、希少性がなくなる。

また、「○○放題」という中で、その作品自体の価値も下がる(感覚がある)。昔はその作品に対してお金を払わないといけなかったのに、今はその値段で、他の作品も楽しめるのだから、相対的に価値が下がる。


小さいお子さんがいて、独身時代よりも自分の時間が少なくなった友人が、わざわざ、時間を作って映画館に行くという話を聞いた。そういう人こそ、家でサブスクで映画を見たらいいのにと思うのだけど、家だと2時間集中して見られないと言う。同居人の印象としても、サブスクの映画見ている暇があるなら手伝ってよ的な感じになるし、見ている本人も申し訳ない感じがあると。

だけど、映画館に行くということであれば、家族の了解のもと気持ちよく、集中して映画が見られる。たとえ、より時間とお金がかかったとしても。
なるほど、そういうこともあるのか。

最近は、娯楽に限らず「無料で」できることが増えたけれども、その流れが進むにつれ、以前より「身銭を切る」ということの価値についても感じるようになった。

同じ質のものに触れるとして「無料」と「有料」でこちらの接し方が変わる気がする。有料だと、そこに対価を見出そうとする。見出そうとすることが、そのものに対する能動的な働きかけになるのかなと思う。集中することだったり、より知覚しようとする、理解を深めようとするということに繋がりそうだ。

お金や時間をかけたら、そこに対価が欲しくなる。

サブスクのおかげで、これまではそれほど興味がなかったようなものを、試しに触れてみるかというような、裾野を広げる作品への触れ方ができるようになった一方で、一つ一つを丁寧に触れるという方向へは進みにくくなった気もしている。(私の場合)

そう考えると、何を読むか、見るかは当然、大事なのだけど、どのような条件の下で読むか、見るかも自分の中に取り込む時に影響を与えていることがわかる。

いつもより、ちょっとよい茶葉や甘味をいただくのに使わせていただきます。よいインプットのおかげで、よいアウトプットができるはずです!