すばる

遺書

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最近の記事

あいをしる

 間違いだらけの人生だった。  周りの環境に耐えられず地元を捨てて数年が経ち、今だにあの選択が正しかったのかと自問自答することがある。あの時、どの選択にしていれば私は楽しく生きることが出来て、自らに傷を付ける事もなく綺麗なままで笑っていられたのか。考えても仕方のない事だ。分かっている。解っている。何が正しかったのか間違いだったのかなんて、全て自分が決める事も。死ぬまで変わることのない過去に嘆いても何の意味のない事も。  過去に某男性アイドルグループや舞台俳優を推してきた中

    • 贖罪

      「今何してる?」 その6文字が言えないまま あっという間に歳を重ねて こんな時代に生きながら いまだ息耐えずに言葉を並べてる あれからもう随分時間が経って あなたが今何してるかとかなんて 何も分からずに何も違わずに ただそれぞれの道を歩いていて あの頃全部上手くできていたら、と カッターを掴んで引いた赤線 辿った白線から外れたあの瞬間 買い間違えた乗車券の切符 あの点字ブロックの先は進めずとも 足した黒線の指す方向が今は道標 異常が普通の不条理な人生 当たり前に生きら

      • この街が似合う男

         舟平さんことSAMさんがUMB栃木予選優勝を果たしました。心からおめでとうございます。現地で見届けることが出来て本当に良かった。ベスト64以降の判定はずっと怖くて、陪審員さん方の判定はハラハラしながら指を組んで眺めていました。  楽しかったこと含め日曜の余韻が抜けてしまうのが嫌で、仕事に向かう最中に書き始めています。  勝負事を見て涙が出そうになったのは、第100回全国高校野球選手権大会の金足農業以来です。あの時は試合を見る度、テレビの前で金足農業の勝ちをずっと願っていた

        • その愛を以て

           今世で幸せになってほしい人がいる。傷付くことは避けられないとしても、どうかその笑顔を無くさないで欲しいと思う人がいる。  これは身勝手な祈りだ。その人は神様でも仏様でもない、私と同じ人間だ。一方的に私が相手に幸せになって欲しいと望んでいるだけなのだ。  振り返ると、出会いは唐突だったと思う。機会がなければ触れることのなかった音楽と動画サイトで出会い、直近にあったライブにふと足を運んだ。学生時代に通っていた、潰れた回転寿司屋を改装して作ったライブハウスに少しだけ空気感が似

        あいをしる

          私のSNSは遺書である

           題名通りである。Twitterとnoteは言葉の遺書であり、Instagramは見てきた景色の遺書。誰に向けた訳じゃない、私が私に向けた遺書。メメント・モリを軸にしている私のSNSの用途は、大抵そんなところ。  私は自分の思考を口にするのが苦手なので、人と話す時は口下手だ。綺麗な言葉を使おうとして言葉に詰まるし、自分の本音は8割隠して生きている。本音を話すと人が離れていくから。むしろ、謙虚や建前を度外視しても本音を言わない事が美徳なのであれば、自分の心を閉ざして無口になっ

          私のSNSは遺書である

          20歳になったら死のうと思っていた

           20歳になったら、死のうと思っていました。  現在27歳。あと数ヶ月で28歳になる。死ぬ予定だった20歳はもうとっくに過ぎて、あなたはこうして生きている。  20歳で死ぬ予定を本気で立てていた事は誰も知らない。同僚も友人も家族も。あなたが勝手にそう決めていただけ。生きる事に疲れていた。24時間の中で繰り返し呼吸をしているだけの人型の個体に、何の意味があるだろうと。誰に問われた訳でもない、あなた自身が問うていた。  思えばその20年の中で、何度自殺を考えただろう。リスト

          20歳になったら死のうと思っていた

          いつか死ぬ私へ

          拝啓 いつか死ぬ私へ お元気ですか。こちらは10月の中旬、金木犀の香りが段々と薄れ、木枯らしの準備に移る季節です。 こんな手紙を書く事を、どうか許してください。なぜなら、あなたはいつか死ぬ事が決まっているから。何十年先の話かもしれないし、もしかしたら明日の話かもしれない。こればかりは分からないんだ、あなたも私も。 あなたは今何をして過ごしていますか。 大事な人の隣で過ごす事が出来ていますか。臆病なあなたは、大事な人が隣にいても触れる事すらも出来ず、誰かを愛する事が許され

          いつか死ぬ私へ

          わるいひと

           泣きながら文章を書くのはいつぶりだろうか。私は今、初めての感情に戸惑っている。  恋という感情は未だに分からない。ただ、分からない感情に戸惑っている。  不思議なのは存在。声が、匂いが、私に触れる手が、温かかった。全てが落ち着く。恋人みたいな距離感で、深夜のカラオケで夜を明かした事もあった。その人になら全てを預けられるんじゃないかと、勘違いしそうにもなる。  隣にいたくて、話したくて、触れたい。隣にいさせて欲しくて、話して欲しくて、触れて欲しい。あの人の心の片隅にでも

          わるいひと

          私の幸せを決めつけないでくれ

           と、声を大にして言いたい。あなたにはあなたの幸せがある。それと同時に、私には私の幸せがある。形だって人それぞれだろう。恋愛をしていないだけで、私を幸せじゃない人だと決めつけないでくれ。  「この先恋愛をしなくてもいいと思っている」と行きつけの居酒屋で話したら「まだ若いんだから!諦めちゃ駄目だって」と言われた。一般的な答えなんだろうと思う。前回も話したが、私がその感情をちゃんと持ち合わせていたのなら苦労しないし、そんな事言わない。  「恋愛は自由」だと誰かが言った。男女関

          私の幸せを決めつけないでくれ

          「恋愛」という枷

           恋愛ってどうしてするんですか?と誰かに問いたくなる時がある。恋愛があるのが当たり前で、恋愛をするのが当たり前のような世の中だと思う。別に否定をする訳では無い。恋愛があるから人は美しく見えるのだろうし、恋愛があったから私が生まれて、今こうして生きている。恋愛によって救われている人をこれまでに見てきた。それが当たり前だと、それが普通なんだと思う。  きっと異端なのは私だけであって。  私は無性愛者を自認している。それが悪い事だとは思っていない。仕事が好きだし、恋愛をしなくて

          「恋愛」という枷