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イースター・サンデー

今日はイースターサンデーだ。
今朝は気付くと辺りが異常な静けさに包まれていた。

外は雲は多いが太陽は明るく照っていて、春らしいどこかぼんやりした暖かい日曜日。
こんな週末はいつもなら外でおしゃべりする人や遊ぶ子供のはしゃぎ声、草刈り機の音などがどこからか聴こえてくるものなのに、今朝はまるで何も聞こえてこなかった。通りを走る車の数も少なそうだ。
イースター・サンデーは音を出してはいけないなんていう規則があっただろうか、それとも何か重大事件や大きなスポーツイベントがテレビでやっているとかなのだろうか。

静けさ、といっても人声がしないだけなのだ。小鳥のさえずりはうるさいほどだし、風が草や木々を揺らす音や近所の家の軒先にかかるウィンド・チャイムの音も時折聴こえてくる。
まるで、すべての人間が私を残して突然いなくなってしまったような錯覚に陥った。
そして、ふと思った。
人間にとっての世界の終わり--例えば、異常気象で暑くなりすぎるとか寒くなり過ぎるとか--は地球の終わりを意味しないんだなということ。必ず生き延びて繁栄する生き物が現れる。そう考えると不思議と楽しい気持ちになる。たぶん私と同じような人はこの世界にたくさんいると思う。
私たちは特別でも何でもなく、ただ一瞬水面に浮かんだ泡で、偶然居合わせた泡同士で世界を短い時間共有し、また消えていく。巡り合わせに意味は無いとしても、それに感謝の気持ちを感じることはできる。

こんなことを考えたのも今日が祝祭日だからだろうか。
今しがた、遠くの道路を爆音をあげてバイクが通り過ぎた。アイスクリームの移動販売車が鳴らす音楽がどこかの通りから聞こえてきた。少しずつ音が戻ってくる。

もう午後になってしまったけれど。


『春の朝』

ロバート・ブラウニング、上田敏(訳)

時は春、
日は朝(あした)、
朝は七時(ななとき)、
片岡に露みちて、
揚雲雀(あげひばり)なのりいで、
蝸牛(かたつむり)枝に這ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。


これを書いている間に日が陰って風が冷たくなってしまった。まったくイギリスの天候、油断ならない。



ありがたくいただきます。