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三千世界の烏を殺し ~都々逸

なんだか最近、都々逸(どどいつ)に呼ばれている気がします。

都々逸というのは、三味線の伴奏で歌われる七・七・七・五の音律の歌で、主に寄席やお座敷で音曲師によって演じられる芸。男女の情を歌ったものが多く、江戸末期に流行した。

先日、童謡「赤とんぼ」の弾き語り記事をアップしました。そのコメント欄で、はたぽんさんと童謡「七つの子」の話になりました。皆さんご存知の「からす、なぜ鳴くの~」という歌です。

「ゴミを荒らしたりするので現代では嫌われ者のカラスですが、この野口雨情の歌詞には優しさが感じられますよね。昔はカラスは愛されていたのかしらね」という流れになり、ざっと調べてみたのです。結論としては、カラスはかなり昔から嫌われていたのですけども、そのリサーチの中で見つけた記事の一つがこちら。

この記事によると、カラスは朝に騒いで共寝する男女を引き裂くので憎まれる存在だったとあります。そして取り上げられていたのが、幕末の志士、高杉晋作が遊郭で作ったとされる都々逸。

三千世界の烏を殺し 主と朝寝がしてみたい


この都々逸、最近読んだ小説にちょうど出てきたところでした。

「三千世界」というのは仏教用語で、「一人の仏が教化する広大な世界」、転じて「世界中」を意味します。
つまり、「朝に騒がしく鳴く憎たらしいカラスを全部殺してしまって、貴方とゆっくり添い寝したい」という歌。遊郭にぴったりです。

カラスが恋人たちの朝を邪魔するというのは、遣唐使たちが持ち帰り日本で広まった中国・唐代の伝奇小説『遊仙窟』に由来するのだそうです。この本は中国では早くに失われて日本でだけ生き延びた、いわゆる「佚存書(いつぞんしょ)」の一つで、中国に逆輸入されたのは20世紀になってからだということです。


いや~、かっこいいですね。渋い!
(動画の二つ目の都々逸は「何をくよくよ川端柳 水の流れを見て暮らす」。坂本龍馬の作とされています。「川岸の柳よ、そんな悲しそうにしていないで、川のように穏やかに流れるように生きていけばいいじゃないか」という意味らしいです。)

ちなみに、『三千鴉の恋歌』という邦題で去年日本で放映された中国ドラマがあるらしいのですが、中国語の原題は『三千鴉殺』。高杉晋作の都々逸から付けられたタイトルなんだそうです。でも、彼の都々逸の元ネタを辿れば、先ほど述べたとおり、唐の小説『遊仙窟』に行き着くわけです。中国から日本、そしてまた日本から中国へと、まるでネタの交換日記をしているみたいで面白いですね。


数日前にはKAZEさんの都々逸に関する記事を拝読したばかりだし、何だか都々逸に呼ばれているような気がします。

それで思い出したのですけど、昨年にオスカー・ワイルドの名言を紹介した際(「英語の名言|シェイクスピア、ワイルド」)、そのコメント欄で、東野たまさんが教えてくださった都々逸がありました。

酒も煙草も女もやらず 百まで生きた馬鹿がいる


記事中で私が紹介した『ドリアン・グレイの肖像』の、

「若さを取り戻すためなら何だってするよ。運動や早起き、品行方正でいる、ということ以外ならね」

というセリフに少しニュアンスが似ていますよね、ということでした。確かに。とても味があります。

でも、ほんと上手く歌にするものですよね。大人のユーモアという感じで、すごく好きです。ほかには、こんなのも。

恋に焦がれて鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす
夢で見るよじゃ惚れよが足りぬ 真に惚れたら眠られぬ


こんな風に気の利いた歌を作れて、ちょっといい声で歌える人はそりゃモテたことでしょうね。昔の田舎の歌合戦や歌垣でも、歌が上手い人はモテモテだったみたいですし。

和歌もそうですが、コミュニケーションのツールとして短詩が実際に声に出され、節をつけて歌われるのっていいなぁと思います。

それにしても、今も昔もなぜ歌が上手いとモテるんでしょうね。鳥でもないのに。何か原始時代の名残みたいなのがあるんでしょうか。


さて、これでこの記事は終わりですが、お気に入りの都々逸のある方は、よろしければ教えてくださいね。




ありがたくいただきます。