墓場

822日ほど、毎日数千字、トレースしたりしなかったりしながら書かれたものの墓場

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  • フィクションの使い方

    人間は言語を使うことを、つまりフィクションを立てることをう運命づけられていますが、その力は甚大です。人生を傾かせることも、人生を上向かせることも、どのようなフィクションを立てうるかにかかっていると言えるでしょう。そうした「フィクション」に関して書いた記事を放り込んでおきます。

  • フランス語(等の)方へ

    主にフランス語・フランス語学に関連する記事を放り込んでいます。

最近の記事

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【688】哲学テクストを読むための講義が開講されました

哲学の学説の「まとめ」や、「自分でモノを考える」ようなコンテンツは、参入障壁の異様な低さから、信憑性の低いものや健全な基盤を持たないものも含め、あちこちに溢れています。 これに対して、ものを読むための態度・方法論に言及したコンテンツはほとんど存在しません。大学(の哲学科)においてすら、感覚的・経験的に教えられ、カンの良い人が直感的に身につけるばかりだということです。 こうした現状は明らかに嘆かわしいものですので、もちろん有料になりますが、順当に・カンの良さを極力排した方法

    • 【822】お別れの言葉

      ここ数年、というか書きはじめてからずっと、もうやめようかなという気持ちがずっとありました。いくつか理由はあり、箇条書きにできるような簡単なものではありませんが——だいたいにおいて、物事を箇条書きにしたがる人、箇条書きを求める人、箇条書きにしても何も失われないと思っている人、は残念ながらあらゆる知的活動に向いていないので早々に諦めたほうがよさそうです——、とまれやめたほうがよさそうだと確信したのはせいぜいここ200日のことです(長いなあ)。早くやめるべきでしたが、やっとやめられ

      • 【821】「真似る」と「盗む」、ピカソ(仮)と自転車泥棒

        しばしばピカソに帰される、しかし私の側では正確な出典を突き止められていない言葉として、「優れた芸術家は真似るが(copier)、偉大な芸術家は盗む(voler)」というものがあります。 「真似る」ことと「盗む」ことは日常語においてはおおいに異なるにも拘らず、(日本語であろうと仏語であろうと)学ぶプロセスの説明としておおいに用いられるわけで、しかしピカソ(に帰される言葉)は、ここで「模倣する」と「盗む」の間に明確な差異を見出しているわけです。さて、その差はなんでしょう。 ■

        • 【820】ある先生の意外な一面?

          最高気温が連日30度を超えはじめて、ああ夏だと感じられる折、他の季節よりもいっそう外に出るのが億劫になりがちですが(そして外に出なくてもやっていける生活空間を構築した自分を褒めたいものですが)、流石に急ぎの買い物とかその他の用事で外出を強いられることはあります(もちろんサングラスと日傘と長袖と日焼け止めが必須装備)。機械が壊れたから修理に出すとか、オペラに行くとか、ですが、どうせ出かけるのならせめて悪い思いはしたくないなあと思いつつ出かけることになります。 ■ 今日もちょっ

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        記事

          【819】「バカと関わりたくない」という気持ちを認める

          「君たちはステージが低い 君たちと話をしていると君たちのカルマが入って来て私が苦しくなる」とはある宗教団体を描く漫画の一節ですが、この種の意識はじっさい多くの人が持つものでしょう。 これに類することを最も素朴に言いがちなのが、「ネガティヴ」なことを蛇蝎のごとく嫌う人々です。いや、或る種の自己啓発に染まった人間が示す、ネガティヴなものに対する態度のネガティヴさは本当に強烈です。もちろん或る種の自己啓発は起源という面からも新興宗教なのですが、ネガティヴ嫌いというものは自分がネガ

          【819】「バカと関わりたくない」という気持ちを認める

          【818】どうしてそこでつまずくの?

          簡単な中学数学の問題を。 問:Aさんはxメートルの直線トラックのスタート地点から走って、ゴールとの間を往復しつづける。BさんはAさんと同時にスタート地点から分速80メートルで歩き出した。Aさんが2往復してスタートに戻るのと同時に、Bさんはゴール辿り着いた。このとき、AさんとBさんが初めてB君と出会うのは何分後か、xを用いて表わせ。 これは極めて簡単な問題で、文字式でさえなければ中学受験で出してもよいくらいです。 念のため説明すると、「Aさんが2往復してスタートに戻るのと

          【818】どうしてそこでつまずくの?

          【817】ガリア戦記を読もう

          カエサルの『ガリア戦記』はだいたいラテン語の初等文法を終えた人が最初に読む散文です。何故最初に読むかと言えば、古典ラテン語としては実に模範的な文章で、習得している(はずの)文法的事項を色々駆使しないときちんと読めないものの、難しすぎるわけではないからです。絶妙なのですね。 ウェルギリウス(やホラティウス)もよいとはいえ、韻文ですから、覚えることや注意すべきことが一気に増えてしまいます。散文で言えばキケローやタキトゥスも良いとはいえ、カエサルよりも難しい。 キリスト教系の著

          【817】ガリア戦記を読もう

          【816】「死んでも可いわ」と言えますか?/愛に満ちた生活

          I love youの(ひねったような)訳としておそらく最も有名なのは漱石に由来するとされる「月が綺麗ですね」で、これはあまりにもよく知られているので、したり顔で使っているフィクションなどがあるときまりが悪い感じがするのですが、とまれ有名です。 シリーズもののライトノベルであるところの『半分の月がのぼる空』(文庫版第5巻、275頁周辺)における『ティボー家の人々』第1巻第6章末尾からの引用もまた思い出されるものです。ジャックがダニエルに読ませた灰色のノートには、最後にÀ t

          【816】「死んでも可いわ」と言えますか?/愛に満ちた生活

          【815】先行する訳書を見る態度

          先日仕事で英語のテクストを読んでいて、解釈が割れる場面がありました。 その際にとるべき戦略は、基本的には自分たちがほとんど直感的になした解釈について、事後的に厳密な理屈をそれぞれ与えることです。辞書や文法書や他の用例を根拠にする必要がありますし、その用い方も公共性のある・自他にとって納得のいくものでなくてはなりません。(というか、他人を説得できなさそうな解釈というものは、自分にとってもほんとうは納得のいかないものです。) そうして厳密に解釈しようとしたときには、自分の当初

          【815】先行する訳書を見る態度

          【814】セットで覚える

          「記憶」ということを「勉強」の核に据えようとしている人は大半が大学受験か資格試験で知性をストップさせてしてしまった人ですが、それはそうと記憶することはなんであれ絶対に必要ですし、語学なんかはどれだけの量をどれだけの質で記憶しているかが重要な面があります(いやもちろん、語彙力はあっても緻密かつ正確にものを読めない、みたいな人は、特にTOEICやTOEFLの点数だけが高い人の中にかなりいますが)。 ものを記憶するときに大切な態度はといえば、「文脈を繁茂させる」ことですが、これは

          【814】セットで覚える

          【813】ゾラのマッチポンプと電車の広告

          エミール・ゾラはいわゆる自然主義文学のひととして知られる19世紀後半のフランスの作家です(一応1902年まで生きています)。作品のほうはやたら分厚かったり、波乱万丈があるわけでもなかったり、読み手を選ぶものではありますが(私はあまり好きではない)、なんであれ存命中から大作家として知られていました。フランスの共和制における最高位の勲章であるLégion d’honneur勲章を受け取っています。 極めて不適当な言い方ですが、ゾラは半世紀以上後にサルトルが占めていたような地位を

          【813】ゾラのマッチポンプと電車の広告

          【812】「歯切れのよさ」にご注意!

          極めて広義の教育にあっては、もちろん或る種のリーダーシップを発揮するために自信満々なfigureを装うこと、「私についてくれば大丈夫!」という安心感を与えることにはそれなりに意味があります。 「勉強法」はもちろんある程度重要ですが、迷いなく時間を投下するという決断を(極めて多くの場合無意識に)なしている人こそが「勉強法」を最も効果的に活用できるのですし、どんな方法であれ(まともな方法であれば)時間や労力をかけることを前提します。言い換えるなら、時間や労力をかけると決めること

          【812】「歯切れのよさ」にご注意!

          【811】教える必要のない人に教えること。……

          教育や学習は成果が短期的には見えにくいものですし、成果が一発で見えるような「教育」に大した価値はなく、それゆえコンテンツの価値を受益者が理解できない(即座に理解できてしまうような「教育」は極めて皮相的である)ということになりますが、教育や学習を売り出す、ないしその価値をアピールする際にはとりあえず「実績」を作り上げる必要があります。 そのための手段としてよく採られるのが、とりあえず「成果」を出してくれそうな人をあの手この手で客にする、ということです。無論、大学受験予備校がや

          【811】教える必要のない人に教えること。……

          【810】caecitas capacitas est

          知的態度として或る種盲目であることは、受容力(capacitas)を持つことでもあります。あるいは受容力を持つような意味における盲目さであれば、仮想的に持とうとしてみてもよさそうなものだと感じられるものです。 変に目が開かれていると、目の前のものの欠点が手に入ります。良いものももちろん目に入るにせよ、様々に欠点が目に入り、「とりあえず受け容れる」ということが妨げられます。 これに対して、触覚のよいところは、ごく狭い範囲のものしかとらえることができないという点です。あるいは

          【810】caecitas capacitas est

          【809】「半年ROMれ」と言われても、無修正要求マンは死なない

          いにしえのインターネットには「半年ROMれ」という言葉がありました。いや、今も用いられるのかもしれませんが、昔ほどではないでしょう。 今ではいわゆるSNSに殆ど駆逐されましたが、2000年代初頭のインターネット上での人的交流といえば、個人が作ったホームページに付設された比較的クローズドな「掲示板」で行われるものが大きなウェイトを占めていました。個人が運営主体として見えにくいものであっても、掲示板サービスである「2ちゃんねる」(今は「5ちゃんねる」ですか)は活況を呈していまし

          【809】「半年ROMれ」と言われても、無修正要求マンは死なない

          【808】原因において自由な行為

          「自由と責任は表裏一体」ということを言いたがる人は大抵の場合に個人の権利を圧殺したいだけで、権利と義務をバーターで考えるような人々ですが(つまり自由を含む諸権利を義務を果たすことの対価として見たがる、控えめに言って西洋型の法-政治システムを抹殺したいタイプの人々ですが)、ごく狭い意味での自由は概ね責任の根拠になります。 というのは、自由になされたことについてこそ責任が生まれ、責任の所在を認められてこそ(古典的意味での)刑事裁判が有意味に機能するからです。たとえばローマに過失

          【808】原因において自由な行為