yomotsu(よもつ)

ライター。展覧会レポやインタビュー 記事を執筆。「一期一会の感動を届ける」ために言葉を…

yomotsu(よもつ)

ライター。展覧会レポやインタビュー 記事を執筆。「一期一会の感動を届ける」ために言葉を紡ぐ。日本美術/歌舞伎・能/茶道/ダンス。 noteでは主に展覧会を着想源とした短編小説、エッセイを執筆。 ブログ「アートにいっぷく」(https://yomotsublog.com/)も運営。

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夢は人が叶えてくれる

夢は自分で叶えるもの、そう思っていた。 だから、自分にはできないと思ってた。 でも夢を叶えた今、実感として思うことがある。 「夢は人が叶えてくれる。」 私の夢ーー憧れの人と仕事をする私が叶えた夢、それは「憧れの人と仕事をする」ことだ。結果的には、私が推しているダンスグループ「s**t kingz」にインタビュー取材をしたということだ。彼らのファンになったのは2018年頃だが、「憧れの人と仕事をする」という夢は、彼らを知るよりもずっと前、大学生時代から心に抱いていた。 尊

    • 腕は雨粒が垂れるように

      全然別の場所で、同じ言葉を聞いた。しかも1ヶ月の間に。 「腕は雨粒が垂れるように。」 最初は、茶道の稽古でのことだった。 茶杓(ちゃしゃく)を清める時や柄杓(ひしゃく)を扱う時、両腕と体の正面で五角形を作るイメージで構える。この時の構え方が良くなかった時に、先生からこのように言われた。 趣深い表現だなと思った。五角形でも目指す形はイメージできるが、それよりもさらに肩、腕、指先にかかる力加減(というより力の抜き加減)がイメージできる。一滴のしずくが方から指先に向って滴り落

      • 一期一会の出会いを作る人に

        兄が新築を建てた。これにより、私を含めて兄妹3人のうち私のみが持ち家がないことになった。 大阪で働く兄と、東京で働く私は、ほとんど顔を合わす機会がない。新年も私が茶道の稽古場のイベントで元日から手伝いに出るようになったので、いよいよ家族が集まる機会がなくなった。そんな中でたまたま大阪出張の予定が入ったので、新築祝いを渡そうと兄に連絡を取った。 兄は久しぶりの私からの連絡に驚き、喜んだ。そして当日は新大阪駅の構内になる居酒屋で、帰りの新幹線までのわずかな時間を二人で飲んだ。

        • 筆文字を極める―今始めたいこと

          茶道をはじめて数年が経ち、最近は稽古の中でできたご縁でお茶会に招かれる機会もできた。茶道では、茶席での一期一会の出会いを大切にするためにある、1つの文化がある。 お礼状だ。 茶会の後には必ず亭主にお礼状の手紙を出す。よほど格式の高い茶会でなければ、それほどかしこまらなくても良いが、やはり毛筆で書いた方がよい。これが私にとっては試練の1つであった。熨斗袋に署名するのもままならない私であるから、お礼状なんてとんでもない。 しかし、今年の初めに天啓にうたれた。 それは、東京

        夢は人が叶えてくれる

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        • 【非常という日常】
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          【展覧会小説】なくてぞの椅子

          王が死んだ。玉座は空いた。 しぶとそうに見えた絶対君主たる王は、70を迎えた後あっけなく死んだ。 ===== あゆみは顔を上げて立ち昇る煙を眺めた。 「今まさに父は”荼毘に付”されているのか…」と妙な感慨を覚えて嬉しくなった。嬉しいという気持ちがその場において相応しい感情ではないことは重々承知しているが、それでも嬉しくてたまらなかった。 決して父親の死を嬉しく思ったわけではない。言葉の定義を、頭ではなく心で、実体験として理解したと感じる時、あゆみは嬉しくなるのだった。以

          【展覧会小説】なくてぞの椅子

          推しを好きになることは、自分を好きになることーーs**t kingzが歴史を刻んだ日に寄せて

          シッキンが歴史を刻んだ。 2023年10月25日、ダンスパフォーマンスグループ「s**t kingz(シットキングス、以下シッキン)」が史上初のダンサーによる単独の日本武道館公演を成功させた。8000人の集客だったことは翌日のスポーツ新聞で知った。私はその8000分の1となって、シッキン4人が「見たかった景色」の一部となった。 格好いいことも、パフォーマンスが最高なことも、もう十二分に分かりきっているし、言われ慣れている彼らに対して、どんな言葉が残っているだろう。彼らの凄さ

          推しを好きになることは、自分を好きになることーーs**t kingzが歴史を刻んだ日に寄せて

          【短編小説】おちる

          彼女が海に落ちた。僕は人生で初めて恋に落ちた。 ------ 僕が目覚めたのは、人間がこの地球に誕生するはるか前だ。海の底にいる僕らのことを人は「神」とか「主(ぬし)」とか、とにかく自分たち人間の生命を司る何か恐ろしい存在として呼んでいた。 神とかナントカの価値は僕には分からないけど、少なくとも僕はそんなにたいした事はしていない。小さな小魚を大きな魚が食べ、その大きな魚を人間が食べるように、僕は海に落ちた人間の魂をいただくだけだ。ほんの少し、その人が海に落ちさえしなけれ

          【短編小説】おちる

          人間万事、天職が闇

          出版社を3年勤めて転職した。新しい会社は、美術館や博物館で利用する「音声ガイド」の制作会社だ。 大学院で美術史を専攻したが、美術館の採用には一つも受からず、博士課程に進む経済力がなかった(というのは言い訳で、研究の道に進む覚悟がなかった)ので、修士課程を終えた後、学習参考書の出版社に勤め始めた。しかし「やっぱり美術の世界にいたい」という思いから音声ガイドの制作ディレクター職に応募し、内定を得た。出版社と比べると給料などの条件は悪くなるが、「夢に近づく第1歩だ」と思い、家族の

          人間万事、天職が闇

          【展覧会小説】「初めての再会」

           小夜子にとって死ぬことの最初のイメージは「消える」ことではなく「歳を取らない」ことだった。幼い頃、家の欄間に飾られていた小夜子の祖父の写真は、出征前の精悍な顔つきで若者らしい笑顔をこちらに向けている写真だった。若々しい青年と、白髪で腰の曲がってしまった祖母が夫婦であること、青年姿の祖父の年齢を既に2倍以上は超えてしまった父が、この二人の子であることが、幼い小夜子にとっては不思議だった。 **************** 「こんにちは。覚えてるかなー?小夜子おばちゃんだよー

          【展覧会小説】「初めての再会」

          【よもつ茶道記】2022/2/26

          【よもつ茶道記】2022/2/26

          【展覧会小説】玉虫の夢はピンクに踊る

           お婆ちゃんの家は不思議な家だった。玄関を入ってすぐのロビーには不思議な彫刻がいつも出迎えていた。その中でも足にたくさんの引き出しを付けた女性像(心の中で密かに「のっぺらぼうの女神」と呼んでいた)は、上半身を大きく後ろに反らせ、しなやかに腕を伸ばし、この館の守護神のように威厳を湛えロビーの中央に立っていた。幼かった私はいつもその像の前を通り過ぎるのが怖かった。目も鼻も口もないのっぺらぼうのその顔が、だからこそ360度どの角度からも私を見ていて、私の一挙手一投足に目を光らせ(眼

          【展覧会小説】玉虫の夢はピンクに踊る

          『線上の別れ』 #創作大賞応募

          「永遠は直線なんだ。」 初めて彼と話したのは大学の新歓コンパの花見でのことだった。何のサークルのコンパだったかは覚えていない。彼は1つ上の学年で、コンパ主催である団体に所属する友人から場所取りを頼まれ、そのまま宴会にも居ただけで、私もまた入学式後の学部説明会の時に近くにいた子に誘われて参加しただけだった。その場に上手く馴染めなかった私は、同じようにその場に溶け込んでいなかった彼に気づいて話しかけた。居心地の悪い者同士で肩を寄せ合いたかったのかもしれない。 「永遠が直線??

          『線上の別れ』 #創作大賞応募

          片岡仁左衛門の『連獅子』に若冲の鶏をみる

          令和3年11月26日金曜日、割れんばかりの拍手が鳴り響く。いつまでもいつまでも続き、止む様子がないーー。歌舞伎座11月公演「吉例顔見世大歌舞伎」、千穐楽の日にそれは起こった。  今月の歌舞伎座第二部は、十世坂東三津五郎の七回忌追善狂言『寿曽我対面』で、子息・坂東巳之助が曽我五郎を勤め、尾上菊五郎による工藤への敵討ちに挑む勇ましい姿を見せた。亡き父の仇を討つ物語だが、(尾上)菊五郎劇団で活躍した父・三津五郎とその座頭である当代菊五郎。世代的に言えば「菊五郎」という大看板の役者

          片岡仁左衛門の『連獅子』に若冲の鶏をみる

          「十六代襲名記念 樂吉左衞門」展@日本橋高島屋

          只今、日本橋高島屋の美術画廊にて、令和元年に樂家16代目当主に襲名した樂吉左衞門展が開催されている。 千利休が長次郎に作らせた茶碗。黒と赤のその茶碗は利休の茶の湯の精神を端的に表すものとされ、その後今日までの約400年間、樂家は一子相伝で茶碗を作り続けてきた。 2016年に京都国立近代美術館、2017年に東京国立近代美術館で「茶碗の中の宇宙」展で歴代の樂家当主の茶碗、そして当時の当主である15代樂吉左衞門(現・直入〈じきにゅう〉)の茶碗を一望する展覧会が行われた。当時私は

          「十六代襲名記念 樂吉左衞門」展@日本橋高島屋

          「小早川秋聲 旅する画家の鎮魂歌」@東京ステーションギャラリー

           もしあなたが「小早川秋聲」の名を聞いて「誰?」もしくは「あぁ《國之楯》(とか戦争画)を描いている人だよね」という認識であれば、今すぐ東京ステーションギャラリーに向ってほしい。そしてその幅広い画業と上手さに打ち震えればいい。いや、そうならざるを得ないだろう。 …と偉そうな物言いをしているが、かくいう私自身数年前までは全く知らず、2019年に鹿島美術で観た《國之楯》が強烈に記憶に残っていただけであった。だからこそ今回の小早川秋聲の回顧展には関心があった。チラチラと舞い込んでく

          「小早川秋聲 旅する画家の鎮魂歌」@東京ステーションギャラリー

          「能Noh 秋色モード」@大倉集古館

           9月は全然暑くて、10月に入ってもまだ暑く、時折来た台風や雨の降る日はだけは寒くて、「そろそろ夏が終わるなぁ」と思った矢先に途端に寒くなった。例年以上に寒暖の差が急激で、「秋」という季節は長い夏と冬の境目でしかなくなったのではないか、日本の「四季」は最早観念上にしかないのではないか、とさえ感じる。先月は”中秋の名月”が少し話題にもなり秋らしいイベントもあるにはあったが、肌で感じる「秋らしい時間」があまりにもなかった。これから訪れるのかもしれないが、もしかしたらそんな間もなく

          「能Noh 秋色モード」@大倉集古館