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1人から始まった鎌倉のサッカークラブが5年で350人になったキセキ

みなさん、こんにちは。
古都・鎌倉で、Jリーグそして世界を目指すサッカークラブを運営している四方健太郎(よもけんたろう)です。

つい先日、神奈川県社会人サッカーリーグ2部で優勝し、来年からは神奈川1部リーグ(J7相当)にチャレンジします。

2018年にチームを創設し、5年目となる2022年が終わろうとするこの年の瀬のタイミングで、この5年間の奇跡の軌跡を振り返りたいと思います。

2018年1月、文字通り「選手1人」から始まったクラブ。いま現在、2022年は選手・スタッフをいれると全部で350人を超える規模になってきました。

また、ファンクラブやトークンホルダー、芝生1平米オーナーなど、数えることのできるサポーターの方々ものべ3500人となっています。SNSなども積極的に発信しており、2万人を越えるファン、フォロワーを抱えています。

2018年(1年目):

前年の2017年に、僕が住んでいるシンガポールでの偶然での展開から、発想と行動力、奇跡の出会いなど様々な要因が絡み合ってクラブ創設のアイディアが生まれました。

神奈川県リーグ3部(J9相当)に参入したこの初年度に、約100チームという激戦区を勝ち抜き、昇格。結果的には華々しいスタートを切りました。

なんて2行やそこらで簡単に語れることではなく、ほんとにこの年から、楽しくも、辛く、苦しい「サッカー魔界村」、そんな魔境に足を踏み入れてしまった年でした。

当時は真面目に、実直に、本気でやっていたのですが、いま思えば、かなり無謀で、アホな挑戦だったのかも、と思えます。鎌倉出身でも、在住でもないし、母体となるチームがあったわけでもなく。PowerPointで描いたビジョンスライド数枚から出来たチームでよくここまで来たもんだ、と今となっては思います。

競技場・スタジアムはもとより、芝生のサッカーグラウンドすらも無いという、鎌倉市のスポーツ環境をよく知らないまま、理想を掲げて突如現れたバカなヨソモノ感満点だったことでしょう。

それでも、当初こそメンバー集めに苦戦しましたが、ビジョンと仲間たちの魅力に惹かれ、1人が2人、2人が4人という具合に、倍々ゲームでメンバーは増えていきました。

2018年1月、サッカーの練習をするには天井高の不十分なフットサルコートにて
たった一人の学生選手からのスタート

「徹頭徹尾国際化を意識したサッカークラブ」という掲げるビジョンを端的に表現するため、県リーグ3部の新設クラブ(言ってしまえば、ただの草サッカーチーム)ながら、8月には海外遠征を決行。シンガポールとマレーシアで国際親善試合を行うとともに、選手やスタッフのグローバルマインドセットを鍛えました。

16歳から40歳までの多様なメンバーを揃えてのシンガポール遠征

この初年度の遠征は当時から現在においても大きなインパクトを与えました。今後も、クラブ内外で語り継がれていく伝説の遠征になったのではと思い、本当にやってよかったと思っています。遠征には元Jリーガーの宇留野純も帯同してくれて、のちに監督を引き継ぎ、シーズン終盤の昇格劇の立役者となります。

この海外遠征をキッカケに、チームは変革を遂げ、年末にはクラブは神奈川2部に昇格することができました。いまでも思ってますが、やはりイノベーションを起こすには「ヨソモノ」「バカモノ」「ワカモノ」が必要なんだと思います。
※今年43歳の僕が若いかどうかは疑問ではありますが(笑)

この頃、選手は入れ替わりがありつつも、25人くらいでしたが、コーチングスタッフは監督ほぼ1人、マネージャーが若干名、フロントスタッフも1,2人というところでした。学生のインターンも数名、クラブを助けてくれていて、年末の頃にはだいぶ増えたなぁと思いつつも、今となってはその程度ではありました。昇格を決めた最後の一戦でも、最初の1人の頃を思い返すと信じられないくらいの大勢の仲間が集ってくれていました。

※クラブ創設当初に加わってくれた仲間は誰一人として重要で大切な仲間でしたが、無謀なこの航海に参加してくれた吉田健次(当初から現在まで現場の大黒柱のGM)、記念すべき1人目の選手である野地涼平(FW)、初代監督の松村竜次郎さんには感謝しかありません。そして、公式戦初ゴールを記録したあと、渡米してアメリカサッカーにチャレンジし、帰国後、現在もトップチームで活躍している藤田航規(FW)は、鎌倉インテルの宝です。

2019年(2年目):

昇格で気を良くしたチームはシーズン前にJビレッジでトレーニングキャンプを実施、カテゴリの上のチームと練習試合で勝利するなど、気は引き締めていいたつもりでしたが、ひょっとしたら、どこか浮かれた状況だったのかもしれません。

公式戦開幕3連敗。引き分けを挟み、はじめての勝利は5試合目でした。

クラブの規模は初年度と大差なく、(有り難くも)金額的にはまだまだ多くないスポンサーシップの収入や選手からの部費だけでは赤字も大きく、運営は厳しいものがありましたが、本気度を示すためにもクラブを株式会社化したのはこの年でした。

SNSなどでの発信力は高く、話題になりがちな先輩クラブたちが昇格に苦しんでいるのはよく耳にしていましたが、降格するというのは前代未聞。その「まさか」が現実に見え隠れしている悪いムードを変えたのが、2年目の海外遠征、タイ・バンコク行きでした。

スケジュール上、初年度の遠征に参加できなかった選手や、新加入の選手なども来てくれて、社会人チームとしての難しさであるメンバー同士のコミュニケーション量の少なさが解消。そして、海外・アウェイの地を体感することで、クラブが大切にしている事を実感してもらう機会にもなりました。

また、直前にオーストラリアのクラブから移籍し、のちにクラブ初のJクラブチームへの人材輩出となる(J3「ロアッソ熊本」への移籍を果たす)相澤祥太(MF)もこの遠征でチームにフィット。結果的に、シーズン後半に勝ち星を拾うことができ、1年での降格から逃れることができました。

※この遠征をキッカケに、若い選手たちが海外にも目を向けることになり、3年間主将を務めた佐々木英泰(GK)がその後ニュージーランドへ移籍するなど、複数の選手たちの海外移籍の原体験にもなりました。

この頃、トップチーム(1軍)のベンチ入りから漏れてしまう選手たちも出てきたので、クラブ創設期に貢献してくれた選手たちのためにセカンドチーム(2軍)を作り、神奈川3部リーグに登録。マネジメントとしてはまさかの展開でもありましたが、このセカンドチームも1年で100チームの激戦を勝ち抜き、クラブ全体として2つのチームが神奈川2部リーグに所属するということになりました。選手数の規模も、単純計算で倍になったということになります。

さらに、僕も含めたスタッフたちが楽しくワイワイやるエンジョイ志向のサッカーチームも欲しいね、ということになり、よく応援に来てくださるファンの方々やボランティアスタッフなどで構成される「生涯スポーツチーム」としての3軍も出来ました。ありがちな「幽霊部員」もいれると30人くらいのメンバーで鎌倉市リーグに登録し、下手ながらも真剣にスポーツを楽しんでいた記憶です。


2020年(3年目):

前年の2部残留を受け、チームは変革を迫られました。さらには未曾有のコロナ禍というビッグイベントもやってきて、とにかく苦痛の1年だったと記憶しています。ただ、これが、クラブがのちに大きくなっていく手前の助走期間だったことを考えると、この苦痛は「成長痛」だったのかもしれません。(と、いまになったらそう思えるようになりました)

Jリーグでも活躍し、初年度に昇格を決めてくれた経験豊富な監督から、大学を卒業したばかりの社会人経験ほぼゼロの若い監督へのスイッチ。さらには誰も経験したことのないコロナ禍という世界的危機。5年目を迎えたいま現在のクラブで最も成長した若手スタッフのひとりと言える武田航平(新監督、当時)が、修羅場を味わい、その後の成長の糧となった一年だったのではないでしょうか。

コロナ禍という未体験ゾーンの環境下の大きなストレスや、練習や試合が中止になってしまう状況に加え、監督より年上の選手たちとのいざこざも耐えません。毎年恒例となっていた海外遠征もコロナで中止となってしまいました。(5年目の現在に至るまで休止中)

そんなチームは、何とか毎試合、騙し騙しの状態でギリギリ勝ちながらリーグ戦を消化するも、重要な試合を落としてしまい、最終節を残してブロック2位。(当時、コロナ禍でシーズンは半分に。試合数を減らすため、4ブロックに分けて実施されました)

ところが、このワカモノ監督に希望の光が差し込みます。最終節、首位を走っていたライバルチームがまさかの敗戦。同日夜に行われる鎌倉インテルの試合結果次第ではブロック優勝、昇格決定戦プレーオフに進出できるかもしれないという展開に。ただし、そこには8点差で勝利しなければいけないという、およそサッカーの試合では実現しえないような過酷な条件付きではありました。

が、奇跡というのは起こるもので、(当然ながらそのための準備や戦略があったの間違いないのですが)その日曜日の夜の試合は11-0というスコアで勝利。ブロック優勝を果たすことができました。

普通、マンガやドラマだったらはこういう流れだとこのまま昇格決定戦で勝利して、1部リーグへ!と話は展開しそうなもんなのですが、良くも悪くも期待を裏切る鎌倉インテルは、この昇格決定戦でまさかの敗戦。そう甘いもんじゃないというのを味わった苦い思い出です。

一方、2部に昇格したセカンドチームはかなり苦戦を強いられたものの、実力としてもなんとか降格圏外でのフィニッシュ。(そもそもコロナで降格チーム無しというレギュレーションでもありましたが)

中止となった海外遠征の代わりに何かできることはないか?とクラブで模索した結果、国内にいる外国人チームたちとの国際交流試合を何度か実施することに。これもYahoo!ニュースで特集されるなど、話題を振りまくことになりました。対戦相手のレベル感からしてもトップチームは動かしにくいこともあり、このようなセカンドチームやサードチームの存在はクラブにとってもすごく有意義だと言えると思います。

そして、何と言っても、この年には自前グラウンド建設への目処がたち、動き出したことがビッグニュース。具体的な資金調達や土地の確保が進み、いよいよというところで、不足する資金の獲得や、クラブやグラウンドの支援者・仲間を増やすためのアクションを加速。のちに、鎌倉の隅々まで歩き回り、知らない人がいないというくらいの活躍をみせる「シュウヤマン」こと岡崎修也(スタッフ兼GK)の加入はこのタイミングでした。併せて、パートタイムのメンバーやボランティアなどのスタッフが急増しはじめたのはこの頃だったと思います。

お金はないが、人がいないとお金も集まらない、という「ニワトリとタマゴ」状態でしたが、そこに手を差し伸べてくださるスポンサーさんがいらっしゃって、(これも今となってはよくやったなといえるくらいの)見切り発車ではありましたが、このあたりから更にスタッフを増強していくことになりました。

2021年(4年目):

「成長痛イヤー」を経て、監督をアルゼンチンから招聘した河内一馬へバトンタッチ。併せて、河内監督はブランディング責任者も兼務となり、クラブの「リブランディング」を敢行。

彼のいたアルゼンチンと、僕のいるシンガポール、ホームタウン鎌倉の3拠点を結んだ1年間のリモートワークを経て、クラブは新しいブランドへ刷新。「CLUB WITHOUT BORDERS」および、新クラブエンブレムが誕生しました。1年間という長い期間をかけて作り直したのは本当に意義深く、今となっては前のデザインが記憶から薄れていってしまうほどのインパクトを与え、クラブとその仲間たちに染み渡っていると言えます。

(c) Jesse Kojima

しかしながら、そこはいまだコロナ禍。グラウンド建設は計画通りに進まず、遅延。新監督および新加入選手たちも、フットサルコートでの練習などに四苦八苦。この年は3ブロック制でのリーグ戦になるが、同組の強豪チームにも大差で敗れるなど、昇格決定戦へも進むことができませんでした。

一方、グラウンド建設の不足資金を補うために行ったクラウドファンディングでは、(これまた無謀な目標設定だった)3000万円を超える支援が集まりました。支援合計額のみならず、支援者の数なども話題となり、ニュースが鎌倉市内外へ轟くようになってきました。

クラファンに際して記者会見も実施

30年ほど前に一斉を風靡した米国の映画「フィールド・オブ・ドリームス」のストーリーのような話にみんながエモさを感じたことや、古都鎌倉の知名度、スポーツ環境向上への期待値、コロナ禍での閉塞感の脱却への希望など、様々な要因が重なった部分があったとは思いますが、「芝生1平米オーナー募集、1口1平米3万円」という衝撃的なキャンペーンには、700近い個人や企業から、4000万円を超える支援が集まりました。オンラインも駆使しての記者会見などのメディア戦略は原田公樹さんが牽引してくれました。

さらに、「クラウドファンディング2.0」と銘打った、トークン発行型クラウドファンディングの『FiNANCiE(フィナンシェ)』という仕組みと出会い、新しいカタチでのファンエンゲージメントの強化を進めることができました。資金を得ながらも、同時にファンを獲得・エンゲージメントを高められるという一挙両得な面に加え、成長余地が大きく、その成長速度が高い鎌倉インテルの「プロセスエコノミー」感にかなりフィットしたサービスだったと思います。結果的に、現在に至るまでに、上記のクラファンとは別に約4500万円の資金調達、120万円を超えるセカンダリ収入を実現していて、これは後にも触れますが、革命的な出来事だったのではないかと思います。


そしてそして、当初より半年遅れて「みんなの鳩サブレースタジアム」がついにオープン!

当初から「グラウンドができたら潮目が変わる」と言い続けてきたんですが、(時には経営陣、スポンサーからも馬鹿げている、やめたほうがいいと言われながらも・・・汗) やはり、「場」ができることでクラブへの影響は大きく、一気に鎌倉インテルを取り巻く環境、雰囲気は変わりました。

Photo: Kazuki Okamoto

(普通の人はそうだと思いますが)グラウンドの建設なんてやったことないし、ましては運営などもズブの素人だったわけで、豪華な設備ではなく工夫に工夫を重ねたDIYスタジアムということもあって、多かれ少なかれご迷惑をおかけしつつも、頑張って施設運営をしています。クラブ創設初年度に偶然出会って意気投合した堀米剛(施設管理主体である、鎌倉スポーツコミッション代表理事)とのタッグも強いものになってきていた頃です。

新しいことにチャレンジすることに厭わないメンバーが集まっている僕らは、「ないものは、つくろう」「じゃあ、どうするの?」「どうやったらできるか?」的なマインドを持って、この頃も今も、引き続き、挑戦を続けています。

"If you build it, he will come."

前述の「フィールド・オブ・ドリームス」での有名な一節があります。「鳩スタ」がオープンし、多くの仲間達が押し寄せてきた、そんな鳩スタ元年が2021年でした。

※ 年の冒頭に敢行したリブランディングにより、クラブビジョンはより明確になり、クラブ内外に発信され、皆の中で同じイメージを視覚的にも共有できたのはかなり大きなことだったかと思います。新ブランディングガイドラインに加え、インテルが誇るカメラマンチームたちの写真という最高の素材をインプットに、新進気鋭デザイナー大貫友也が輝きを放ち始めた年でもありました。クラブ設立当初からチームを撮影してくれていた岡元カメラマン(ONELIFE)もJリーグの仕事を始めるなど、若手がどんどん飛躍していきました。このnoteの記事でも巨匠・岡元の写真をたくさん使わせてもらってます。

2022年(5年目):

いよいよ、満を持しての1部リーグ昇格を達成することになる5年目シーズン。決して楽なものではありませんでした。

合計32チームを2つのブロックに分けて行われることになった今季の2部リーグからの自動昇格枠はわずかに「1」。まずはブロック16チームでの総当りで1位になる必要がありました。(その後に昇格決定のかかった決勝戦が行われるレギュレーション)

他の強豪チームが逆ブロックに集まるというクジ運でラッキーかと思いきや、総当り15試合での長丁場における好不調の波、怪我人・体調不良などもあり、一時は自力でのブロック優勝の望みが無くなり落ち込んだ時期もありました。

ただ、努力を続け、やるべきことをやる集団には、勝利の女神が微笑んでくれることもあるみたいです。

ライバルチームが敗れるというニュースが入り、自力ブロック優勝が復活。最後は勝ち点も並び、得失点差でブロック優勝チームが決まるような緊迫した展開になりました。

セカンドチームを率いることになって3年目、今季で勇退する石井久和監督の最終戦が、奇しくも、最後にトップチームと得失点差を争うライバルチームとの一戦となりました。結果、「0-3」での敗戦となりましたが、このときのセカンドチームの選手たちの身体を張った戦いぶりには、観るもの全ての心を揺さぶられたそうです。当日は鎌倉でトレーニングマッチをしていたトップチームの選手たちも、終わり次第、アウェイで行われたこの会場に駆けつけていました。
※ 僕自身は、W杯のため、カタールにおいて、現地時間の朝の5時からFiNANCiEのコミュニティでのテキスト速報を見ながら応援していました
※ 石井さんは監督こそ退任するものの、コーチングスタッフのロールはもとより、地域総合型スポーツクラブの運営などで引続きクラブには残ります

結果、トップチームのリーグ最終戦は「5-0」で勝利し、得失点差わずか2でのギリギリでのブロック優勝を果たします。(セカンドチームが3失点で抑えたのが功を奏しました)

その勢いをもって、もうひとつのブロック16チームを勝ち抜いてきた「エブリサ藤沢ユナイテッド」との頂上決戦、1部リーグへの昇格決定戦へ臨みました。

そして、勝利

この優勝、昇格という偉業は、ピッチにいる約30人の選手・コーチングスタッフの努力だけによって得られたものではなく、鎌倉インテルというクラブの350人を超えるメンバー全員の想いと努力の賜物だったのではないかと思います。

©︎DAN IMAI

©︎Kotaro Matsuo


トップチームが1部リーグへ昇格したことで、2部リーグに昇格する権利を得たサードチーム。(5年目のこのシーズンには新たなチームとして3軍=サードチームが神奈川3部リーグに参戦。また選手が20人ほど増えました)

2軍ながらにも、トップと同じ2部リーグで上位に食い込み、最後はライバルチームとの戦いでトップチームを助けることになったセカンドチーム。

昇格戦の相手をあらゆる角度、あらゆるシナリオで分析していたコーチングスタッフ。怪我人を抱えながらもできるだけ早い回復を促してくれたメディカル・トレーナーチーム。ホームグランドのみならず、決勝戦の新横浜の会場(観客席はなく、まさかの橋の上からの立ちっぱなしの90分!)でもサポーターさんたちに最高のおもてなしを提供した試合運営チーム。圧倒的なカッコよさと、尋常じゃない情報量とそのスピードを誇るクリエイティブ、カメラマン&広報チーム。トップチームの選手が指導もしているサッカースクールのジュニアたち(そしてサポートしてくださる親御さんたち)。

みんなで掴み取った勝利でした。

ピッチの上で躍動した背番号10、内藤洋平(MF)。チーム内ではベテラン選手として圧倒的に頼れる存在の元Jリーガー(桐光学園、立命館大学を経て、京都サンガ、ギラヴァンツ北九州にて10年間プロとしてプレーして、2021年に鎌倉インテルへ移籍)ですが、クラブのスタッフとしてはグッズ担当として奮闘。企画、制作、販売まで一環した役割をマルチにこなす。いわゆるセカンドキャリアの悩みを乗り越え、いまやサッカー界を越えて話題になりつつある鎌倉インテルグッズのチームをリードしています。この日、新横浜の決勝戦会場に駆けつけた大勢の仲間たちが、そのグッズを身にまとい、みんなの心を一つにしていたのは疑いもない事実で、これもまたその日の勝利の遠因になっていたのではと思います。

そして、TwitterFacebookはじめ、試合中、試合後には鎌倉インテルの優勝、昇格のニュースはデジタルの力で、日本中、世界中を駆けめぐりました。合計約17000人のフォロワーたちに届き、その仲間たちがさらに拡散してくれました。これは、鎌倉インテルと並行してマーケティングコンサル会社「シンクロ」社勤務という二足のわらじを履くスタッフの岡田浩弥の存在が大きい。新卒で海外に越境し、アルビレックス新潟シンガポール、シンガポールサッカー協会という"アウェイ"の地で鍛えられた彼の言葉は、デジタルデータとして世界へ発信される。彼の持つITスキルに加え、語学力がそのデジタル力をさらに増幅させ、鎌倉インテル情報は英語でも配信されています。

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今年のはじめ、クラブのさらなる成長と組織化を実現すべく、杉之尾剛太COOが加わりました。自転車操業のスタートアップ・ベンチャーだった鎌倉インテルが少しずつですが成熟した組織へと変わりつつあります。まだ創業5年目が終わるところですが、鎌倉インテルを擬人化すると、インテル君はもうすぐん幼稚園年長さんというところでしょうか。小学校に入る準備をしているところです。

クラブメンバーは350人と書きましたが、この実、鎌倉インテルサッカースクールのこどもたちが約半数を占めます。このスクールを率いてきたのが、先にも登場した武田航平。2019年からサッカークリニックとして、地域の西友の屋上のフットサルコートでスタートしたころは20人程度でした。それでも、日本代表選手である"ブラボー"長友佑都選手の明治大学時代の恩師である神川明彦さんをアドバイザーに迎え、ティッシュを一枚ずつ重ねるように丁寧に、丁寧にこのスクールを育ててきました。

160人程度いるスクール生のこどもたち、その両親となるとさらに倍の数がいますし、祖父母やご家族をいれるともっともっとファミリーがいると言えます。うちのスクールに限らず、サッカー界では「4種」と呼ばれる小学生年代の地域のスポーツ少年団にも鳩スタを利用してもらったり、時には「鎌倉インテルこども未来基金」という枠組みを活用しての施設の無償開放も行っています。

僕がひとつのモデルとして参考にさせてもらっている「三菱養和会」の大槻邦雄コーチからの「とにかく地域を大切にせよ」というアドバイスをいつも胸に刻んで、スタッフ・選手にも共有しています。トップチームの強化を図り、上位カテゴリーにチャレンジしていくのであれば、三角形の裾野を広げていかないと、その頂点は上へと上がっていけない、というのが彼の持論。遠回りな気がしてしまうが、サッカー界の物事を瞬時に的確に捉える彼の言葉を信じて実行しています。

そんな方からのご縁もあって、4月からインテルにジョインした岡田祐介。幼児へのスポーツ教室事業を営む会社に勤めていたところから転職。鎌倉インテルサッカースクールをリードすることになりました。すごく貴重なレア人材でもある「歌って踊れるサッカーコーチ」の加入はとても大きな影響を与えました。子どもたちの前だけではなく、クラブの事務所でも常に明るくポジティブな行動と言動は、クラブ全体に良いムードを波及してくれています。

このスクールでは、トップからサードチームまでの現役の選手たちも子どもたちのコーチとして指導に入っています。その筆頭にはJ3クラブから移籍してきた清水敦貴(MF)がいます。これまた社会人経験の浅い元プロサッカー選手が、自分の人生(セカンドキャリア)を賭して子どもたちに向き合っています。そして、自身の試合(トップチームの試合)ではその子どもたちの前でまた別の顔を見せ、彼のチャレンジそのものを身を持って子どもたちに伝えています。

運動会で司会をする清水敦貴(左)と岡田祐介のスクールコーチコンビ

これだけのことを短期間に進めていくのには相当なリスクを持って、ある意味攻撃的に進めていく必要がありましたが、もはやこれだけの大所帯になってくると、攻めだけではなく「守り」も必要になります。今年の下半期からは人事・経理・総務というようないわゆる管理部門も増強すべく、新たに小林友佳が加入。約10年前にシンガポールで出会ったグローバルタレントと鎌倉で再会するとは、人生おもしろいものです。

そして、我々のホーム「鳩スタ」を日々、素敵な場所に整えてくれているのが、鶴田亮二さん。僕が25年前、高校生のときに知り合い、お世話になったひとと一緒に働いている奇跡。鳩スタ至近のミズノフットサルプラザ藤沢や、鵠沼海岸での湘南ビーチサッカー大会などのスタッフでご一緒させていただいていた腐れ(?)縁です。

鳩スタという「場」ができることによって、圧倒的に潮目が変わったと本当に思ってます。一見、僕たちはクラウドファンディングやトークンなどで派手にやってるように見えますが、足繁く地域各所へ参じ、たくさんのボランティアワークなど、地味で泥臭いこともたくさんやっています。サッカーだけじゃなく、「お祭り」や「運動会」など、より多くの人達が関心をもってもらい、つながっていけるようなコトもたくさん仕掛けています。

ここでも、1月から正式に仲間に加わった"小さな巨人"、 地元出身の山口愛の存在が大きい。2019年にトップチームのマネージャーとして活躍してくれていましたが、翌年のコロナ禍を機に一旦クラブから離れていました。が、近所に鳩スタが完成したことから、施設管理スタッフとして白羽の矢が立ち、その愛らしいキャラクターと、若手スタッフに愛を持って接し、教育・カウンセリングしてくれるスタンスが、鳩スタをより良い雰囲気にしてくれています。

※ 昇格決定戦に向けて、選手やチーム内部向けに作られた映像がその様子をビジュアルで表現できていたので、このタイミングに公開します。(↓)


これは、僕たちに続くクラブにもお伝えしたいことですが、サッカークラブ(スポーツクラブ)が小手先でチョイチョイと稼げるようなことはありません。地味だとしても、やるべきことを愚直に進めていく、やり切るほかないかと思っています。


ただ、それだけでなく、少し工夫して、より魅力的に、そして、どんどん新しいことにチャレンジしながら仲間を増やしていきたいところです。

前述したFiNANCiEでの「鎌倉インテルトークン」の発行は、より顕著な事例かもしれません。僕たちのクラブの周りでは、地域ローカルだけでなく、インターネットで繋がっていく、オフライン・オンラインのハイブリッドな結びつきが生まれています。その境目はもはや曖昧で、明確なボーダーがない世界がそこにはあります。これは僕が海外在住で、リモートワークもしながら運営していることも起因しているかもしれません。(web3は、関わるみんなのwell-beingを高めると言っている研究者もいます)

「地域密着」とは、ある意味危険なワードで、ともすると地域に閉じた、非常に変化に弱く、流動性の低い、モノカルチャーな存在になってしまいがち。外に開かれていて、ヒト・モノ・カネ・情報が外界と越境して行き来する、それが結果的に地域に繁栄をもたらすのではないかと思います。これはクラブ創設期の僕の多大なる影響を与えてくれた鳥谷部史さんの言葉を、いま僕なりに解釈している理解です。

クラブとサポーターの皆さんで共に価値を創り、共に成長していく。そんな「共創・共栄」のweb3型の思想をもとに、このクラブをさらに熱狂の渦(ブラックホール?)にしていきながら、さらなる高みを目指したいと思っています。このnoteを読んで、興味が湧いた方はぜひこのトークンを入手してみてください。

さらに面白い現象も起きてきました。これは社会現象の一部の現れかもしれませんが、このトークン発行・運営を含めた地域コミュニティづくりが注目されてきて、大学などで講演を頼まれたり、他の地域、企業から地方創生・地域活性コンサルティングを頼まれたりしています。この「鎌倉モデル」が他の地域に展開したり、鎌倉・深沢のエリアの新しいカタチの開発のヒントにもなるのではと思っています。


2023年(6年目):

さぁ、これから6年目を迎えます。

鳩スタは2024年3月までの暫定利用地で運営していますので、その後も継続して利用できるかのか、はたまたどこかに場所を移転するのか、これには様々な要素が絡み合ってきますが、2023年前半にはいろいろ見えてくると思います。鎌倉には平坦で広い土地は多くありませんが、候補地にはコンタクトを開始しています。また、少し先にはなりますが、鳩スタの近所にある県立深沢高校の統廃合のニュースも飛び込んできました。ここも将来の候補地にはできるかもしれません。もちろん、僕たちの夢でもある「Jリーグ」に行くには、スタジアムも必要です。2032年に開業予定の東海道線の新駅に合わせたまちづくりの中で、そんな夢が実現できる場所が生まれたら本望です。

「ないなら、つくろう」
「どうやったら、できるか?」

自分たちの限界を自分たちで決めない。
常にチャレンジする姿勢を忘れない。
周囲にはいつもリスペクトの心を。

勇気・尊重・覚悟、こんなスポーツマンシップにも代表されるようなマインドを持った人たちがたくさん生まれ、溢れていくようになったら、世の中もっと面白くなると思いませんか?

僕は世界中を見てきましたが、日本には他国のない良いものをたくさん持っている世にも稀な裕福な国です。

一方、いまの日本に欠けているものもあります。このままだとあまり明るい未来は待ってないかもしれません。

でもそれを解決するために、この鎌倉インテルの活動、ムーブメントがその一助となれれば、と思っています。

若い人がどんどんチャレンジできて、活躍できるような、そんな世の中になればと思います。僕含めて、おじさん・おばさんたち、先輩たちはそんな若者をサポートするような環境づくり、資金提供などをしていくのがカッコイイぜ、というような雰囲気が醸成できれば、と切に思います。

そうなれば、社会において、僕らの愛するサッカーの価値はあがり、僕の人生に多大な影響を与えてくれたサッカーに対する恩返しにもなるのではないかと信じています。

ぜひ、いまや、350人を超えるクラブの新しいメンバーとして、約17000人のSNSフォロワーとして、クラブを支援してくださるスポンサーとして、1000人トークンホルダーとして、これを最後まで読んでくれたみなさんが、色んなカタチで僕らの仲間になってくれるのを、お待ちしています。次の5年、そして10年を一緒に共に創っていきましょう!

鎌倉インターナショナルFC 代表取締役オーナー
四方 健太郎

※追記(2022年12月31日)
鎌倉インテルが誇る若手クリエーターの松尾光太郎が贈る渾身のムービー。1年かけて、主将・栗山聖(GK)を追いかけた大作です。僕らはこんなチーム、こんなサポーターたちに囲まれて、こんなクリエーターたちと共にGood gameを創っています。選手としてもこんなクラブでプレーしたい人はぜひ仲間に加わってください!


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