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四方 健太郎(よも けんたろう)プロフィール

はじめまして、の方が多いかと思います。改めて、このnoteにて自己紹介を記しておこうかと思い、筆を取りました。

自分の生い立ちまで書いても仕方ないので、高校までのことはササッと振り返りつつ、大学以降はサッカーのFIFAワールドカップの4年おきに人生のマイルストーンが来ているなぁと思っているので、それごとにまとめてみます。

1979年生まれ。神奈川県横浜市出身。(小学生時代は岐阜市に住んでいたことも。)中学・高校からは川崎市の桐光学園に6年間通いました。

そして大学以降。ここは以下の図解でパッと視覚的に見ていただければと思います。

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1998-2002年 立教大学経済学部経営学科入学・卒業
2002年 アクセンチュア株式会社 (東京オフィス)
2006年 アクセンチュア・チャイナ (大連・上海オフィス)
2010年 世界一蹴の旅
2011年- 独立・グローバル人材育成事業(スパイスアップ・ジャパン)
2014年- シンガポール移住(スパイスアップ・シンガポール)
2018年- 鎌倉インターナショナルFC設立
2020年- そしてコロナ禍

いまは(2021年現在)シンガポールに住んで丸7年。日本とシンガポール、東南アジアを拠点に活動しており、海外研修を主とするグローバル人材育成・変革マインドセット育成を事業とする会社の経営と、鎌倉をベースにして世界にチャレンジするサッカークラブの運営の二足のわらじを履いています。

以下は、それぞれのマイルストーンごとに人生を振り返ってみましたので、お時間ある方は読んでみてください。

大学時代(1998年〜2002年)

立教大学経済学部経済学科に入学。無事に、4年間で卒業。(3年間で卒業単位を取り終えるという非常に真面目な学生だったという自負はあります 笑)

2年次の夏休みにバックパッカー旅行という至極の楽しみを覚えました。タイのバンコクから入り、カンボジアのアンコールワットを目指し、ピックアップトラックに揺られ、歩いて国境を渡り、足掛け12時間の移動、こんな原体験は19歳の頃です。

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学外活動として、4年間真面目にテニスコートと食堂と居酒屋を拠点とする硬派硬式テニスサークルに所属していました。

また、1年次に運良く当選したフランスW杯現地観戦学生ツアーで一緒だった他の大学の仲間に誘われて、インカレのイベント企画サークルに所属。一気に学外や社会人と触れる世界が目の前に広がったのもフランスW杯が原点でした。

その頃流行り始めたフットサルのコートでボールを蹴っていたら、インターンシップの機会があると誘われ、行った先が、当時、電通と三菱商事が中心になって出資した「スポーツ・ナビゲーション」(いまのYahoo!スポーツナビ)の設立準備室で、そのままそこでバイトすることになったのも今の仲間に繋がっていきます。

コンサル時代@日本(2002年〜2006年)

フランスW杯で自分の世界が広がったことに味をしめた僕は、次の「日韓W杯を見ずにして働けるか!」と思い、卒業直後の2002年6月でも働かなくていい会社を探していたら、アクセンチュアというコンサルティング会社があり、入社月を選べるということで、試しに受けてみたら合格!コンサルティングなるものが何なのかよく分からないまま、英語もままならないまま外資系コンサルティング会社へ就職しました。

英語も今ひとつの文系新卒ITコンサルタントとして、かなりの苦境に立たされてましたが、クライアントの前ではプロフェッショナルでいる必要もあり、お腹が痛くなったり、メンタルやられることもありました。クライアントと社内の外国人コンサルタントたちの間に立ってミーティングするときは、江戸幕府と開国を迫る黒船・外国人軍団の間に立たされたジョン万次郎のとても良く気持ちが分かりました。

コンサル時代@中国(2006年〜2009年)

2006年、ドイツW杯の時期がやってきて、駄目もとで日本サッカー協会がファン向けに行った観戦チケットの超高倍率抽選に応募。まさかの当選。この頃から「僕にはW杯の神様がついてる」と思い始めました。(たぶん勘違い)

会社の上司に頼み込み、休暇申請してみる。そこは外資、意外にも?あっさりOKをもらえることに。せっかくなので楽し切ろうと思い、同僚と一緒に現地にいき、2週間くらいキャンピングカーを借り、ドイツを縦横無尽に走り回りました。

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帰国後、よく出張で行っていた中国の大連に現地駐在のような形で移住することになりました。北京五輪前、上海万博前のイケイケの経済発展を迎えている中国で仕事も生活も満喫してました。

住んで1年ほどすると、「上海に行け」とのことで、フィールドを地方都市の大連から、超大都市の上海に変更。その発展ぶりや規模にぶったまげて面食らうと同時に、中国に魅了されることになりました。

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さらに1年弱で、「日本に帰ってこい」とのことで、うーんと悩んだ結果、中国に残ることに。日本法人を退職し、転籍のような形で、中国法人へ就職する。現地採用なので給料もまぁまぁ下がったんですが、まぁ自己投資だと思うことにしました。

そのあと、いろんなことが重なりましたが、結果的に合計3年ほどで中国を後にし、会社を辞め、キャリアを捨てて、2010年南アフリカW杯に出場する32カ国を巡る「世界一蹴の旅」と名付けたバックパッカー旅行に出かけることになりました。

世界一蹴の旅(2009年〜2010年)

約1年間かけて、サッカーボールとバックパックを持って世界一周をするという無謀企画。「21世紀版・電波少年」と勝手に称して、この当時からブログ・SNS・YouTube・Live配信などを駆使して、行く先々から情報発信してました。時代が時代なら今頃YouTuberとして名を馳せていたかも知れません。

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世界の各地区予選を勝ち上がった32カ国を訪問するので、ある意味ダーツの旅的な感じです。コートジボワール、パラグアイ、ホンジュラスetc,,,サッカーでは聞くものの普通は旅行ではいかないでしょ、という国々も訪れました。北朝鮮にも行きました。

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独立、グローバル人材育成事業スタート(2011年〜)

厳密に言うとサラリーマンを辞めて、世界一蹴の旅の準備をしているときから個人事業主として独立はしていたのですが、「事業を行う」という意味では、この頃からになります。

言葉にするとフツウすぎますが、中国で働いていたり、旅行とは言え、長い間地球を歩き回ってあらゆる世界を見てきた感想として、「世界は広い、日本にいる若者はもっと世界を見るべきだ」と思うようになり、そんなことが仕事になったらいいな〜と考えるようになりました。

それでも事業を興すというのは簡単なことではなく、いろんな失敗をしました。いまとなっては人を裏切ったり、傷つけたり、としたこともあり、ものすごく後悔している自分もいます。

そんな試行錯誤を繰り返していく中で、そのときに出会った仲間と一緒に、企業向けの海外研修事業(修羅場体験実践型チャレンジ研修)を行うことになり、これが一定のヒットプログラムとなって、大手企業を中心に多数導入されることになりました。

シンガポールに移住(2014年〜)

「ビジネスは新興国にあり!」「いま熱いのは東南アジア!」「そこで求められるグローバル人材!」と方々で熱く語りながら事業活動を営む一方、僕自身が仕事・生活のメインとしているのは日本。中国在住時代や世界一蹴の間は毎日がエキサイティングだったことを考えると、そろそろ海外にでなきゃなぁと思っていた頃、2014年ブラジルワールドカップがやってきました。そういえば4年おきに人生のマイルストーンがと思うようになったのもこのあたり。

移住に際しても、ゴタゴタしてた時期で、オフィスの住所も決まらずに、先に家を決める必要があって、とりあえず海外飛び回ることが多そうだな、という理由だけで空港の近くに住んで、はや7年が経過しました。

おかげさまで順調に研修の案件数も増え、毎月、下手すれば毎週のように各国を飛び回る日々が続きました。

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ここでもサッカーボールなどをスーツケースに忍ばせ、出張にあわせてアジア各国でのサッカーシーンに顔を出してました。そのときに、Jリーグなど日本のサッカーコンテンツの引きの強さに可能性を感じ、もっと日本サッカーを海外へ広めたいとか、サッカーのチカラで日本と世界の距離が縮まる!とか思うようになり「アジアサッカー研究所」なる(カッコよく言えばブティックコンサルファームのような)会社も作りました。

鎌倉インターナショナルFC創設(2018年〜)

上記の「アジアサッカー研究所」を立ち上げ、東南アジア地域の大きなサッカー大会の公式サイトでの多言語コンテンツ提供や、いくつかのJクラブと協同で学生向けのグローバル人材育成プログラムを提供をしていました。しかしながら、「もっともっと日本サッカーのグローバル化はできるはずだ!」という想い、歯がゆさもあり、であれば、大変かもしれないが、自分でゼロからクラブを創って、チャレンジしてみよう。他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられるはず!と思い、鎌倉インターナショナルFC創設という挑戦をしてみることになりました。この話は長くなるので、創設の経緯、そして展望も含めて以下の動画を観てもらえると嬉しく思います。

当初、選手1人から始まったクラブですが、あれよあれよと周囲を巻き込んでいって、現在は300人に迫る勢いの大世帯になってきました。

活動していく中でもっとも困難だったのは、鎌倉市にはみんなが使える芝生のグラウンドが無い、ということでした。「無いものは、つくろう」ということで、用地探しから、資金繰りまで、イチからスタートし、寄付や企業スポンサーなどを募りながら障害を乗り越え、クラウドファンディングでも3000万円を超える支援を受けることができました

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そして、鎌倉の老舗企業であり「鳩サブレー」で有名な株式会社豊島屋さんにもネーミングパートナーとしてご支援いただき、集まっていただいたスポンサーさんの力も、夢が現実へと大きな後押しになりました。

2021年8月2日現在の「みんなの鳩サブレースタジアム」の工事現場の様子です。映画 "フィールド・オブ・ドリームス" のリアル版というところでしょうか。

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現在でも、この「鳩スタ」、夢のフィールドの1平米オーナーを募集しています。この夢のフィールドを一緒に創っていこう!という方、ぜひ夢のスタジアム芝生オーナーになってみませんか?

現在は「みんなのスタジアム構想」として、第二期のスタジアム芝生1平米オーナーの募集をしています。

※ 銀行振込向けや、法人向け支援メニューなどはこちらから。

また、クラブでは神奈川県一部昇格に向けて全力でチームを強化していく一方、クラブのブランディングに注力して、カッコいいユニフォームを創ったり、公式グッズ、コラボプロダクト、コンセプトムービーなど、新しいモノ・コトづくりにチャレンジしています。


そして、クラブでは最新のブロックチェーンを活用した新世代クラウドファンディング2.0とも言える、クラブトークン(「鎌倉インテル・トークン」)を FiNANCiE(フィナンシェ)というドリームシェアリングサービスにて販売を開始しました。海外のビッグクラブやJリーグクラブをはじめ、話題のサッカークラブが新しい形でファンエンゲージメントを強化するものとして導入を開始しています。

2021年9月まで初期ファンディングを実施し、約2300万円のサポートを得ることができました。

そして、新たに2022年11月24日より、第3回のファンディング(トークン追加販売)を開始しました。12/26までの限定販売ですが、このタイミングだとトークンが固定価格で安定的に買えるほか、鎌倉ビール(しかもオリジナル!)や鎌倉ハム、ブラック&ゴールドカラーの限定ユニフォームなどがリターン特典としてついてきます!



そしてコロナ禍

若干話しは前後してしまいますが、2020年3月頃から、日本やシンガポールでも新型コロナウィルスのパンデミックが本格化し、両国や東南アジア各国への移動は全くできなくなり、かつ、それら国々を舞台にして海外研修プログラムを実施することを主たる事業にしていた僕らのビジネスは瀕死に。

とはいえ、指をくわえて、ただただ死を待つのみ、というのは性に合わずでして、とにかく考えに考え、行動あるのみで、試行錯誤を繰り返した結果、現在は「オンライン版海外研修」なる、以前の価値観であれば摩訶不思議なニューノーマルな研修プログラムが完成し、好評いただいています。(それでも1年くらいはかかりましたが・・・)

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鎌倉インテルのほうは、コロナ禍の間、一度も日本・鎌倉に行けず、完全フルリモートで運営していますが、現場のメンバーたちの奮闘もあり、そしてリモートながらにもお話し、ご支援してくださるスポンサー企業の皆様や仲間たちのおかげで、日々どんどん仲間が集ってきています。

そして、本当に名実ともに、みんなで力を合わせて、2021年10月、いよいよ「みんなの鳩サブレースタジアム」が完成しました。

湘南モノレール「湘南深沢駅」から徒歩1歩の、"DIYスタジアム"。
子どもたちから高齢者まで多くの「みんな」に来場いただいてます

いろんなネガティブなニュースが飛び交う毎日の中で、鎌倉・深沢の地に新しい賑わい、明るいニュースを創ることができたのは、大げさかもしれませんが、僕らの周りの人たちを元気にすることにつながったのではないかと思っています。

いよいよアフターコロナの時代へ

2022年4月、いよいよ鎌倉インテルの新シーズンが始まりました。早いもので、創設から5年目です。

シンガポールと日本間の往来に関しても、2022年5月現在で、ワクチンの複数回摂取が条件になりますが、両国において隔離無しとなりました。シンガポール行きはPCR検査もありません。もはや、ほぼアフターコロナの時代に突入したと言えるでしょう。

鎌倉インテルもニューシーズンの始まりです! 僕もいままで通り、日本へもその他に国々へも頻繁に訪れるような日常へ戻ってきそうです。

海外研修事業も、クライアント各社より、以前のように海外での実践型研修を復活させよう、という声が届いてます。実際に8月以降、タイを皮切りに東南アジアでのプログラムが復活しそうです。

学生向けにもカンボジアやインド、シンガポールでも海外プログラムを実施予定です。
いよいよ、アフターコロナの息吹を、欧米に追随して、東南アジアにて正面に受け止めています。日本にももうすぐこの復活の狼煙が届くかと思います。

トークンや仮想通貨(クリプト)の世界も、2021年末くらいから「Web3」「Web3.0」というような新ワードが出てきて、ブロックチェーンという新技術に裏付けされた「新しい経済」がキャズムを越えてくるような兆しがあります。

「みんなでつくろう、鎌倉インテル」の号令ではじまった、鎌倉インテルの"プロセスエコノミー感"が、期せずしてWeb3の世界観にマッチしているように思えます。ここも、実践しながら、学び、成長していく僕らのチャレンジをそのまま世に見せていきたいと思います。

・・・

さて、次のFIFAワールドカップ・カタール大会は2022年11月下旬に開幕。日本が出場した過去6大会すべて現地観戦(参戦?)した僕ですが、次回も無事に現地に行くことができるのでしょうか。そして、2022年は僕の身に何が起こるのでしょうか。それはW杯の神様のみぞ知る、ことかもしれません。

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