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障害は環境により立ち現れる

フリースクール事業をしていると、時々「発達障害がある子はいますか?」と聞かれることがあります。私は必ず「うーん、よく分かりません」と答えています。診断を受けている子もいるようですが、こちらから「診断を受けているかどうか」を聞くことはありません。それには理由があります。

まず、障害が「ある」か「ない」かということは、表現として間違っていると考えています。「自閉スペクトラム症」という名称があるように、現在は障害と呼ばれるものは基本的にスペクトラムであるという考え方が主流です。スペクトラムとは「連続体」という意味です。例えば、こだわりが強いという特徴でいうと、こだわりが「ある」人とこだわりが「ない」人がいるのではなく、こだわりが強い人から弱い人まで連続して存在するということです。音量で例えれば、音が「する」「しない」ではなく、ボリュームが0から10まで連続しているのと同じです。そして、連続体なので、ここからは障害があって、ここからは障害がないという明確な線は引きづらいはずです。

以前、こんなことがありました。ある子の保護者から聞かれました。「うちの子は軽度の発達障害があるんです。学校で人の話を聞いてないって注意されているんですが、こちらではどうですか?」よみたん自然学校では、子どもに話を聞かせるよりも、子どもの話を聞くことの方が圧倒的に多いので、話を聞いていないことがあっても、あまり気になりません。思わず私は、「え?そうなんですか?」と答えていました。

その話を友人にすると、「障害って『生きづらさ』だと思う。だから、逆にその人が『生きづらさ』を感じていなかったらそれは障害とは言えないよね。」それを聞いて、私はなるほどと思いました。環境によって生きづらさを感じたり感じなかったりするのであれば、障害はその人個人にあるのではなくて、障害はその人と環境との関わりによって生まれていると言えます。つまり、その人個人個人で見たときは、あくまで個性であり、環境によっては障害が大きく現れたり小さく現れたりすると考えられるのです。そうであれば、その人を環境に合わせるというアプローチだけでなく、環境をその人に合わせていくというアプローチも可能なはずです。

以前、療育の仕事をされている方が、よみたん自然学校のサポートスタッフとして関わっていました。しばらく経って、その方はこう言いました。

「はみ出ていくだろうと思われる子には、こんなことに困るだろうな、と環境(保育園、幼稚園)に合わせた解説と対応をお伝えするようにしています。よみたん自然学校は、子どもに合わせて環境や関わりを変えていくから、よみたん自然学校に通うなら私は助言がいらないなって思っています。自然の中にたくさんの学びがあり、人からの押し付けがない子ども主体の学校生活を送る中で、社会への適応や自立の能力が育まれているなと思います。」

一般的には、障害があると診断された子は、今ある社会に適応するための教育や訓練を受けています。しかし、私たちは、その全く逆の発想で環境をその人に合わせていくというアプローチをしてきていました。しかも、そのことが、その人自身が環境に合わせていくことにもつながっているというのです。私は、ここにこそ、「誰一人取り残さない社会」を作ること、そしてそのためのインクルーシブ教育をどうするか、のヒントがあると思うのですが、みなさん、どう思いますか?

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