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#87美しいと捉えるもの

どれほど一緒に歩いてきたのか?
振り返ってみても、もはや霧の向こうでどこから歩いてきたのか?
方角さえ見つけられない。

25年前の今日、夫と結婚をした。

あの頃美しいと思っていたものはなんだったのか??
思い出すこともできないけれど
どこか不安で焦燥感に取り憑かれていたのは覚えている。

あの頃夫と目を合わせ、取り合っていた手はどこにあるのだろうか??

いろんな時が移りゆき
いろんな景色をそれぞれに眺めてきて、

結局今もまだ美しさに憧れ、一生懸命手を伸ばし
なかなか掴み取れないなぁと自嘲気味の毎日だけれど

焦る気持ちは全く無くなり、
自分のアホさ加減は晴れがましい程の気持ちで出迎えれる。

その手を伸ばして掴み取りたいと思うものや
自分が美しいと心が震え躍動していることを挙げてみたくなった。

昨夜見た代表戦の後のインタビュー。
悔しさを滲ませながら訥々と、丁寧に答える選手達。
『何が足りなかったと思いますか?』
酷な質問にも真摯に丁寧に。

この4年間をたった1プレーのために色々挑戦し注いできたと胸を張る。
それでも全てが足りなかったと声を振るわせ。
この潔さやしっかりと自分に矢印を当てて表現する姿は眩しいほど美しい。

そういえばW杯が始まるまでの代表戦はあまり振るわず、
あちこちで失望さえ漂っていた。
それでも自分を信じ、ミッションを掲げ立ち向かい、高め続けて。
悔しさや息苦しさは全て大会で晴らそうと食いしばってきたからこその無念。


他者に何をどう言われようと
自分の腹で蠢く思いから逃げない

その姿勢が私にとっての目標で、
必死に手を伸ばして掴み取ろうとするものの一つ。
これこそが美しいと思うものの一つ。


次の大会までに自分は何ができるだろう?
4年後どうなっていたいか?
選手だけではなく、皆に与えられた課題でもある。

                

覚醒したり覚悟が決まったとしてもそう簡単に変われないのが人間。
こうなりたいと思ったり、自分のこんなところを捨てたいと思っても、
そこから脱出するのには死闘を繰り広げながらしばらく時間がかかる。

自分の中に根付いてしまったパターンや思考は
鍋の底で根を張った焦付きのように、磨いても磨いても一向に取れない。


ここで自分に杭を打って踏み留まらせてくれるのが
覚悟や深い覚醒による意識。
その表れが環境を変化させたり、居所を変えたり。
その様相を見て周囲は期待しがちだが、
期待は自分でするもので周囲は粛々と見ることしかできない。


泥臭く、地味な一歩ずつしか歩めないが
それが生きるチカラと呼ばれる美しいと感嘆する思いのひとつ

見栄や自己満足は全く要らない。「自己肯定感なんて捨ててしまえ」と思う私の信念の一つ。

幾つになっても全力で成長する姿を魅せつけて
ぐいぐいと足跡をつけて生きてやる。。

これは不甲斐ない過去の自分への見せしめであって
あの頃の自傷行為への癒し。

結局過去の自分を支え癒すのは自分の今しかない。

だからこそ今の自分に耳を澄ませて
両手で深く抱きしめ、そっと優しく包む姿を
勇ましく感じ、その哀愁さえ漂う背を美しいと思う。

映画のエンドロールのような気持ちで振り返るにはまだまだ早い!
まだ1幕を終えたばかりで
書き足りない思いを含ませ、支離滅裂なままだが

その曖昧さを残したまま終えるのも美しい気がする。

覆い隠して一見綺麗にまとめ、
誰が読んでもわかりやすい文脈を並べるよりも
ここで終える方がもっと深く交わり、
深く届け合える気がする。

この曖昧さが日本人らしさでもあり、
余白を与える事のできる不完全さが美しいと思える。



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