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一本の幹にこだわらない。自分軸への劣等感が晴れた話


「自分軸で生きる」みたいな言葉に
私はずっと劣等感を感じていた。

という話をしてみようかな。

私は器用貧乏の星に生まれた。

新卒で入った広告制作部では、取材・撮影・動画編集・執筆・デザインを一通り一人でやりこなさなければならない環境だったせいか、ある程度のことが一人でできるスキルが身についた。これは本当に感謝している。

しかし、三年目で退職し、まだまだ未熟で中途半端な状態でフリーになってしまった。それでもありがたいことに、若さを味方にして、その延長でいろんな仕事をさせてもらった。スキルに小回りがきくことに助けられることも多かった。

でも、肩書きを一言で表せないという悩みが付きまとった。

ずっと「自分の軸を決めなければ」と、路頭にまよう自分がいた。

自分の軸を決められない=ダメなこと」と思えば思うほど、自分の生き方がダメなような気がして、自己否定が止まらなかった。

そんな悩みを考えたくなくて、昼からお酒を飲む日が続いていたある日、たまたま見ていたYoutubeの「YOUのこれからこれから」で、YOUさんが青学の原監督の言葉を引用してお話しされていた。

酔っていたので内容はあやふやだが(笑)

一つのことに打ち込める人は、太い木の幹を育てればいい。
色んなことに興味がある人は、色んな木を育てればいい。
どっちが正解とかではなく、自分に合ったスタイルで木を育てればいいんだよ〜

その話を聞いて、「あ〜私は自分に合わない生き方を目指していたから苦しかったんだな」と腑に落ちた。

私は、ものすごくストイックなところがあり、悪く言えばバーンアウトしやすかったり、依存しやすい傾向があった。

だからこそ、健康的な依存先を数多く持っておくことが、自分の心の安定には大切だった。

そういえば、私は16歳で肩書きを捨てることから、第二の人生が始まっていたんだった。自分が心地よく生きるために、あえて「目標」「枠」を決めない生き方を練習してきた。

来たバスに乗れる自分が育っていった。

それが中途半端で心地悪くなることもあるけど、心の健康あっての人生だと思えば、それが健全だった。

そして、これが私の生き方だった。

他人から見ると、自分軸とやらだった。


そんな自分の生き様を振り返ると、そりゃ一つの木に決められないわけだわな。

どの生き方が正解とかはない。
自分に合う生き方が、自分の正解。

ということで、自分の中の悩みは酔っ払ったからこそ出会えたYouTubeに助けられたのであった。

しかし、悩みは尽きないもので、

次の課題は

自分の好きなものを突き詰められない」ということ。

好きなものはわかるんだけど、それを突き詰められない。
どこかで好きが義務に変わってしまい、好きなのに緊張する。苦しくなる。

ただ、これは今、友人にすすめられて「ブルーピリオド」という漫画を読み始めて、バシバシ鍛えられている。

また感じたことはここに書けたらいいな。


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