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青春に正解なんてなかった【連載②】

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中学入学、友人関係の変化

中学生になっても私と彼女は、校内でふたりで行動することはなく、それぞれに違う友人たちと過ごした。

私は中学生になるとすぐに、小学生の頃よくグループで仲良くしていた子たちとは自分から自然に距離を置くようになり、話すことはほとんどなくなった。

私は中学生以降、女子特有のグループで行動という窮屈さや、悪口で共感し合うみたいな憂鬱な時間から解放され、それはそれは自由に学生時代を過ごした。私は特定の友人を選ばずに過ごすようになった。

グループでいることをやめた友人たちとは、はじめの頃は廊下ですれ違うと少し気まずかったりしたけれど、普通に話しかけているうちに気まずくない適度な距離感ができあがった。いつも一緒に行動するみたいなことがなくなったその距離感はとても関わりやすかった。

ちょっと悲しいけれど、そうなってみてその子たちとは、「このくらいの仲でいい、ちょうどいいな」と思った。人間にはどうしても相性というものはある。

そういう話しを彼女にすると「(私)のそういうところ、すごいよね。私にはできない、距離は置けたとしてもその後そういう関係を築くことはできない」と言っていたけれど、私がそうできたのは、彼女が居たからこそだった。

自分に以外に唯一絶対だと感じられた人、それが彼女だったから。

「私にはできないって言うけど、(彼女)は、私にはない強さがそもそもあるでしょう、私が羨ましいないいなって思うものそういうの全部さ」と言うと、

「私には(私)の、そういうところが強さに見えるし羨ましいなって思うんだけどね」と返され、私は「わっかんないなあ」と返し、二人で「ないものねだりか」と言い合いながら学校をあとにした。

*****

特定のグループに属さずあちこち行ったり来たり放浪して過ごす学生時代はほんとうに楽だったし楽しかった。そのおかげで高校時代も含めて適度な距離感でいられる友人も増えて、今でも繋がりがある人も多い。

いろいろな人たちと関わることで世界が広がり、いろんな遊び方も知った。

中学から高校と、その頃出会った友人たちは、私がふらふらしていても「あっちと仲良くするの?」「今日弁当一緒に食べないんだ」なんて言う人も思う人もいなくて、小学生の頃との違いを痛感し、はじめからこうすればよかったと心底思った。

そうできた自分を素直に褒められたし、そのきっかけをくれた彼女にも、いつでも快く接してくれた友人たちに今でも感謝している。

何度も言うけれど、私はほんとうに、周りに恵まれているのだと思う。もちろん自分が行動したからだとも、大人になった今は思えている。

たまに「今日はこっち居てよー!一緒に食べよ」としがみついてくる友人に「じゃあ今日は二人で食べる?」といって、お弁当を食べながら一対一で話す時間もすごく楽しかった。「あのね、まだ誰にも言えてないんだけど、実は好きな人がいるの」と告げられたときの友人の乙女すぎる顔とか多分ずっと忘れないし。

こういう接し方を選んできたことで、数人で仲良い友人たちとも、全員二人で会えるほど仲が良い。

ひとりひとりをちゃんと知ると、グループでいると見えないところを見ることができてより相手を好きになった。

一対一で関わることを大切にするようになったのは、彼女と出会って一対一で関わるようになってからだ。二人っていいな。相手のことをちゃんと見れるし、自分のこともちゃんと見ようとしてくれる。二人って、いいもんだな。そう思うようになった。

中学生になってから大人になり今に至るまで、友人関係で悩むことはほとんどなく、良好だったと思う。

私が人との関わり方を変えるようになったのは、中学生になってからだった。これが早いのか遅いのかも分からないしそうしたことが正解なのか間違いなのかも分からないけれど、少なくとも学生時代は、青春っていう2文字だけで、すべてが輝いたものに見えてしまうものなのだろう。

*****

そして中学1年生の終わりを迎える頃、
彼女と私、二人の仲にも、少しだけ変化が生じることになる。


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