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拝啓、10年前の私へ。


27歳の誕生日を迎え、良い機会だからもう昔の日記は捨ててしまおうと思い、色々な断捨離をしながら学生時代の日記を読み返していたら止まらなくなった。

自分の過去を辿るようにゆっくり読み入った。

一緒に整理してくれていた恋人は、意識的に視線を避けて中身に目を止めることはなく、私が「これはいる」「これはいらない」と言ったものを黙りしながら機械的にまとめていた。

「日記、読んでもいいよ」と言ったら、驚いた様子で「いいの…?」と不安そうに驚きながら聞いてきた顔が、親の前でわがままを我慢していた子供みたいでちょっと笑ってしまった。

「うん、(彼)ならいいよ」「でも多分楽しいものではないから、暗くさせてしまったらごめんね」と返すと、彼は首を振って重なった日記帳の一番下のものを抜き取って読み始めた。

「そこから読んだら陽が暮れる」とツッコミを入れると「ちょっとだけ緊張する」と彼はいつもの穏やかな表情で薄く笑って読み始めた。

彼が読み始めたのは偶然にもどんどん暗くなっていく最悪のタイミングのところだった。今まで彼に語らなかったことも、そのまま書かれている。

それでも、彼は気持ちを引っ張られたりする人ではないから多分大丈夫だろうという安堵もあった。私とは違って自分と他者をしっかり切り離せる人だから。

私も自分の手元の日記帳に視線を戻した。

私は高校生からの日記をすべて読み返した。私の人生を変えてくれた先生との出会い、一生の付き合いになるであろう友人たちとの出会い、当時付き合っていた恋人とのこと。私の思い出を色付けてくれた色んな人たちとの思い出がたくさん綴られていた。

なかには、文章を読むと今の自分とそれを書いた自分が同じ人間であることが不思議なくらい、目を伏せたくなるような苦しい文章もあって、時折静かに涙が流れた。

日記にだけ書くことができた本音だったのだろう。ストレートな10代の自分の文字に胸が痛んだ。

私はいま、自分の人生を後悔なんかしていないし恨んでもいない。「たくさん闘ってくれてありがとう、私はいまちゃんと幸せだよ」と心で思い、当時の自分の頭を撫でるように指先で文字に触れた。

苦しい夜は大人になっても何度もやってくる。むしろ大人になってからの方が受け入れなきゃならないこと、飲み込まなきゃいけないことは増える。ひとりの夜を何度も越える必要がある。

そんな少し考えたらわかるようなことを考える余裕すらないくらい私は「大人になりたい」という言葉を祈るように希望を託すように何度も日記に綴っていた。

卒業したら、大人になったら、実家を出たら、(親友)とそんな話ばかりしている。将来の私に荷が重いと怒られそうなくらい

日記より


大人になったら自由になる、解放されるんだって、私はあの頃毎日そんなことを考えていたけれど、実際、大人になっただけだけじゃ歳を重ねただけじゃ自由にはなれなかった。

ほんとうに自由になるべき心が縛られているままじゃ、結局何も変わらないんだと思い知らされた。

だから大人になってから自由になるまでには少し時間がかかるけれど、でも大丈夫、生きていてよかったとちゃんと思えているし、あの頃より笑えている。

それに自由ってやつは、窮屈ななかで感じてこそみたいなところもあるのかもしれない。ある意味一番厄介だね。

当時そばに居てくれた人のなかにはもう話せない人もいるけど変わらずそばにいてくれる人がいるし、新しい出会いもあった。

新しく出会ったその人たちは今の私だけを見ていてくれる。過去に何があったかどんな私だったかなんて気にしちゃいない。

それはとてもありがたいことで、けれど同時に昔から私が今に至るまでの変化を見ていてくれた人たちにも心からありがとうって思う。

出会うことでしか生まれないものがたくさんある

日記より

17歳の私と27歳になった私に相違がないこともたくさんあった。根っこの考え方はやっぱりそれほど変わらない。人との出会いや関わり方について考えていることは全くと言っていいほど同じだった。

ただちょっとだけ、受け取り方は良い方向に変わったように感じた。

「仕事はまあそれなりに頑張れたらいいや、でも好きなことなら本気で頑張れそう」という文章もあって、当時の私は少々投げやりなものの、残念!仕事は好きなことだから本気で頑張っているし斜に構えてできるほどの余裕はありません。


過去と未来は切り離されるものではなく連続していくもので、私の人生はひとつの線の上。その線の上で何万、何億もの選択をしているだけにすぎない。だから、今私が幸せだと思えているのはこれまでの自分の選択によるものなのだと思える。

17歳の私が未来の自分へ託した希望を、私は受け取れたと思う。

日記を読みながら17歳の自分に何度か心の中で話しかけた。

“ちなみに分かり切っていることだけれど(親友)とは変わらず2日に1回は話す仲だよ。相変わらず「人間やめたい」は2人の口癖だけれど、本気の死にたいって意味じゃなくてね。そういう意味じゃないよ、もっとポップな意味合い。”

日記には私が変わるきっかけをくれた先生のこともたくさん書かれていた。

(名前)先生が短歌が載っている本を貸してくれた。付箋がついていたところは、私に見て欲しいって意味だったのかな。だったら嬉しいなと思える短歌だった。先生に可愛くないことを言ってしまったから明日ちゃんと謝りたい。ちゃんと学校に行く、たぶん。

日記より

(名前)先生に会いに行ったら、謝る前に「もっと色々な本があるのよ」と違う短歌集を貸してくれた。タイミングを逃して謝れなかった。昨日たくさん泣いて目が腫れていることに気づかれていないかということばかりに意識がいく。心配されるのは恥ずかしい。(名前)先生の授業だけは欠かさず出よっと。

日記より

先生は、私が社会人になってまもない頃に亡くなった。

末期の癌だとは知らず、あまりにも突然のことだった。先生は余命をまっとうした。

最近学校に行く頻度が増えた。(名前)先生の授業だけはなぜか全く眠くならない。古典の授業はほんとうに楽しい。放課後は(友人)とジェラート屋さんに行った。良い日だったな。

日記より

先生があのとき廊下で私に話しかけてくれなかったら、一冊の本を渡してくれなかったら。先生と出会わなければ私の人生は今の人生ではなかった。大袈裟ではない。

人は一生のうちで何度か、人生を変えるきっかけをくれる人に出会うと思う。私の人生で、先生は間違いなく人生を変えるきっかけをくれたうちのひとりだった。

10代は、苦しい日々が続いたけれどそんな日々の中で私の人生を照らしてくれた人たちがいた。記憶ではなく思い出と呼びたい人たちが。


17歳の私よりも、今の私はわがままになったと思う。正しくはなれた、と思う。意思表示ができるようになったというか、感情の輪郭がはっきりするようになった。

*****

彼は私よりも長い時間読んでいて、ひと通り読んだあとで積み重ねられた日記帳を手のひらでやんわりポンポンとしていた。

「がんばったね」という彼の小さな声は、私の方を向いてではなく日記の方に視線が向けられたまま囁かれていた。

一瞬で涙腺に涙が溜まる感覚があったけれど、彼が私の方に向き直って「で、大人になった感想はどう?」と茶化すように聞いてきたので涙は引っ込んで笑いが漏れた。

「んーー、ひとことで言うなら、楽しい!」と親指をグッと突き出すと満面の笑みで彼も同じような親指をグッと突き出した。

あなたも、私の人生を変えるきっかけをくれた人なんだよと言ったらどんな顔をするだろう、なんて言うだろう。照れた顔をするだろうか、当然みたいな顔で誇らしげな顔をするだろうか、吸い込まれそうなほどまっすぐな瞳で穏やかに笑うだろうか。

手をとって「どこにもいかないよ」と一緒に歩いてくれた夜も、怯えて目を覚ましたときに「ここにいるよ」と隣で笑ってくれた朝も私は絶対に忘れない。

これまでもこれから先もあなたでよかった、あなたを好きになってよかった、あなたに出会えてよかったと私は何度も繰り返し思うんだ。


色々なことがあるし感情はいつもメリーゴーランドだけれどなんだかんだ楽しく大人をやれている。社会人は辛いけど大人は楽しい。矛盾かな。

憧れ続けた27歳。ロウソクの27を見つめながら考えたことはこれからのこと。賑やかで騒がしい未来のこと。

何度も目の前に立ちはだかる壁を粉々にできるような私ではないけれど、まあなんとか試行錯誤して壁を登って次の景色に辿り着いて。

そんな風にゆっくりでも着実に生きていけたらいいなと思う。

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