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〈インタビュー〉他の人にもできて、私にしかできない|古庄奈央子さん

 「私にしかできない」という固有の価値は尊いものに思える。しかし、私だけでなく「他の人にもできる」ということもまた、実はとても大切なことだ。障害福祉の仕事に携わり九年、古庄奈央子ふるしょうなおこ(42)さんは「他の人にもできる」と「私にしかできない」の間で揺れながら、目の前の人に向き合い続ける。

弟にNOと言った世界に

そもそも古庄さんは、はじめから福祉の仕事を目指してきたわけではなかった。結婚前は栄養士として働き、出産後は五年間、専業主婦として暮らした。

古庄:実は自分が福祉に携わるなんて全然思っていなかったんです。弟が二人いるのですが、一人は社会福祉士で児童福祉関係の仕事をしています。彼が昔、福祉関係の仕事を目指すと言ったとき、私、反対したんです。「なんで福祉なん?」「将来お金もらえへんで」って。「福祉の仕事はキツイ/しんどい」というイメージ一辺倒で、正直あんまりいい印象がなかったんです。

福祉の仕事というと、いわゆる3K(きつい、きたない、危険)のようなイメージを想起させることが少なくない。古庄さんもそのような印象を持つ一人だった。転機も、福祉に対する意識変化とともに訪れたわけでもない。

古庄:子育てを五年間してきて、ある日ふと、子ども以外と喋っていないことに気づいたんです。社会との接点を持ちたい。とにかく働かないとダメだと思っていました。だから正直、仕事はなんでもよかったんです。ただ栄養士は、どこの職場にも一人のことが多くて、子どものことで何かあったりするとすごく迷惑がかかると思い、他の仕事を探しました。その時たまたまフリーペーパーでいまの職場の求人を見つけて。土曜日のみ、週一回。これだ、と。

古庄さん 09-min

「こんなこと」が仕事に

こうして出会ったのが「ひまわりはうす」(滋賀県大津市)だ。はじめた仕事の内容は、成人の知的障害のある方を対象とした余暇よか支援。一緒にお菓子づくりをしたり、ボウリングやカラオケへ行ったり。仕事内容を周囲に伝えた際には、「こんなことが仕事になるの?」と驚かれたこともあるという。

古庄:私の仕事のベースには、私の「できていること」あると思います。普段当たり前にやっている、食事、ボウリング、会話。それが、食事を手伝う、一緒にボウリングに楽しむ、気持ちに寄り添うという「支援」の仕事に変わります。

そんな仕事を古庄さんは、はじめは「私でもできる」仕事として認識していた。しかし、利用者との関係ができ、名前を呼んでもらえるようになったり、「古庄さんなら」と言ってもらえるようになったりする機会が増えるにつれ、仕事は「私にしかできない」仕事に変わっていったという。徐々に働く時間も増え、家族の協力もあって、五年目には正規職員としてフルタイムで働くようになった。現在は、「おおつならではの就労移行支援事業 スコラ」という先進的な取り組みでも中心的な役割を果たす。

古庄:高校卒業後、多くの若者は大学や専門学校に進学し、進路を模索できるモラトリアムの期間が保障されています。一方で特別支援学校高等部卒業後の進路は、様々な経験のない18歳のときに、福祉施設に通うか一般就労かを決めなければならないのが現実です。それに対して大津では、障害のある若者に対して更なる学びの場を保障すべきではないかとの議論が起こりました。そして、四年間の学びの場が生活訓練と就労移行を組み合わせて用意されることになりました。2013年、「社会に出るってどういうこと?」「大人になるってどういうこと?」、そういった疑問を持って立ち止まることのできる場として最初に整備されたのが「スコラ」です。

古庄さん 14-min

人生を応援する社会

スコラでは自立訓練・生活訓練の授業を受け持って、自身で教壇にも立つ。授業の中身は多岐にわたり、衣食住等の基礎的な生活力を育むものもあれば、自己表現を促したり、自己理解を促進したりするものものある。

古庄:スコラははじまって九年目。小規模で、毎年障害特性の異なる方が来られるので、その年の色に合わせて授業を作っています。前年度を踏襲とうしゅうできるわけでも、参考にできる事例が他にあるわけでもなく、日々試行錯誤です。いまは教育や心理、もっと他分野の考えを取り込めるよう学んでいきたいなと思っています。

福祉の仕事は、利用者の生活、ひいては人生に関わる仕事だ。そこでは、支援者が自分自身を磨くことも大切だが、自分一人で抱え込まないことも大事になる。

古庄:福祉の仕事は、人の人生の一部に携わる仕事です。自分の言葉の重みを感じるし、「よかったのかな?」と思うこともあります。人の人生を左右するものだからからこそ、関係者は多く、多様な価値観を取り込む必要があります。
はじめは自分も驚きました。障害のある人の将来のことは、たくさんの関係者で一緒に考えます。家族、相談支援員、自立訓練の職員、ときには出身高校の先生なども一緒に話し合いをします。その場面に居合わせて、一緒に考えてもらえるのはちょっぴりうらやましいなと思いました(笑)

障害のある人の選択を支える仕方は、古庄さんが他分野の学びを取り込もうとされているように、まだまだよくしていけるのだろう。しかし、人生の選択を支える、多くの人で誰かを応援することは、障害の有無にかかわらず、社会全体にもっと浸透していいあり方かもしれない。

古庄:応援の体制はもっと社会の中にあっていいと思います。そういうニーズを社会として掘り起こしていけるといいですね。

古庄さん 07-min

引き算の支援

古庄さんは以前お子さんに「お母さんは何の仕事をしているの?」と尋ねられて、「お手伝いしてほしい人を手伝う仕事」と答えたそうだ。「できない人」と普通なら言いそうなところを「お手伝いして欲しい人」と表現するところには、古庄さんの障害への見方・意識がよく表れている。それに伴う支援の姿勢もおおらかだ。

古庄:仕事として支援に入ると何でもやりたくなってしまうんです。でも、「手伝ってあげる」だけじゃなく、本人のために「やらない」ことも支援。引き算の支援は大切にしています。
それと、失敗を経験してなんぼだと思うんです。致命的な失敗、やり直しがきかないことってそうそうありません。

私たちの生きる社会ではできることが評価され、失敗は否定的なものとして受け取られることが多い。福祉の世界では、できる/できない、成功/失敗への目線が少し異なる。そしてそれは支援者自身にも当てはまる。支援者は必ずしも「できる人」であることも「成功者」であることをもとめられるわけではない。

古庄:支援者は、失敗経験の多い人、できないことの多い人の方がいいかもしれません。私、paypay使えないんですけど、利用者さんが使いこなしていて。「教えて!」ってくらいの方が、引き出せるというか(笑)

古庄さん 01-min

他の人にもできて、私にしかできない

支援は奥深い。「できる」がベースと言いながら、「できない」が力にもなる。一見矛盾しているようにも思えるものが程よく均衡しているのが福祉なのかもしれない。同様に、先にあがった「私にしかできない」に対しても、「他の人にもできる」が立ち上がってくる。

古庄:支援者は替えがきかないといけません。支援者に何かあったときに、その人の生活が成り立たなくなっては困りますよね。だから、支援は「私にしかできない」ものではダメなんです。でも、相手は人で、私も人。だから私としてしか支援できないというのも事実。そのバランスなのかなと思い、日々考えながら支援を続けています。


インタビューの中で、古庄さんは目標や夢も語ってくださった。「できない」ことを受け入れながら、「制度・社会とのつなげ役が必要」と社会福祉士の勉強をして「できる」ことを増やそうとすること。他の人にもできる支援を心掛けながら、「自分の好きな食と福祉をつなげたい」と自分ならではの夢を描くこと。こういう絶妙なバランス感覚にこそ、これからの社会を生き抜くヒントがあるのではないか。

古庄 奈央子(ふるしょう なおこ)
ひまわりはうす(大津市立やまびこ総合支援センター内)所属。二児の母。栄養士、専業主婦を経て、障害福祉の世界へ。趣味は料理と手芸。機械系はめっぽう苦手。

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ダイバーシティ&インクルージョンの時代の鍵の一つ「ともに生きる」を障害福祉を切り口に考え、これからの社会をよく生きていくヒントを探索するメディア〈ヨコヨコ〉。「ヨコへヨコへと、ヨコヨコと」を合言葉に、ゆったりと丁寧に文章を編んでいきたいと思います。

次回は、訪問介護事業所「つながり」の堀内未央さんのインタビューをお届けします。お楽しみに。

執筆・編集:大澤 健
企画:大津市障害者自立支援協議会

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