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Foreword(序文)

 これまでキリスト教において正典とされている『新約聖書』は四世紀の終わりに成立しました。
 わたしにとっての緊急の疑問は、なぜ、ここで『新・新約聖書』という提案がされるのか、それがこれまでの『新約聖書』と同等に扱いうるものか、否、1500年後も存在するか、といったものです。

 わたしのこの取り組みは、必ずしも、これまでの『新約聖書』が不完全であり、間違っていることを主張するものではありません。しかし、この『新・新約聖書』は、他の初期キリスト教文書について、何かしらの資格を与えるものとなるかもしれません。

 これはわたしにとって、わたしはこの特異な本と、この正確な表題の二つが必要であるとみています。わたしはこれらのことをあなた方に挑戦します。それは恐らく原則のように、そして、金言のような形式を持って、あなたがたの思考と記憶に訴えます。

 まず、わたしにとっての第一の理由は、伝統的な『新約聖書』では「余分なもの」として採用されなかったもの、すなわち、その他の何かを知るためには、その「余分なもの」が何であるかを知らなければならないからです。それは言い方を変えれば、大人のための教育のようなもので、既に教わった事柄を否定するためには、その選択が正しいものであるという事を教わらなければなりません。それは自明のことなので、一つだけ例を挙げましょう。
 あなたがこれまで常識的なものとされている『新約聖書』を開くと4種類の福音書を見るでしょう。当然、これらの幾つもの写本があったとしても、すべてはその中に集約されているものと、容易に結論付けることができるでしょう。そして、正典とされた『新約聖書』以外の文書に触れることは、その他の様々な種類の福音書に触れることを可能とし、いわゆる『新約聖書』以外の文書が正典とされなかったことを実感することができます。
 ただし、そうした知識を利用して、何が正典とされ何が正典とされなかったかを判断することは、ここで扱う問題とは異なります。しかし、あなたは、全ての福音書が正典に採用されず、あるものは正典として採用され、受け容れられ、しかし、あるものは正典とすることを拒否された事実があることは知るべきです。それは、こうした知識は、まさに正典に採用されなかったものについて、それらを繰り返し学ぶことによって、正典という選択について学ぶことなのです。

 次に、わたしにとっての二つ目の理由ですが、『新・新約聖書』の意義は、歴史的に正典とされてきた『新約聖書』の中のものをより良く理解するためには、正典の外にあるものを学ぶことが重要であるからです。
 ここでわたしは原則的に二つの例を提示します。 それは例えばある二つの解釈が提示された場合、あなたがこれまでの正典とされた『新約聖書』だけに注目し続けることはできません。あなたは、正典の中に入れられるようになった理由について、なぜ正典とされたのか、それは何時であったのか、また何所でそのようになったのかを知る必要があります。これから示す以下の二つの例は、わたしたちが生きているのは、旧約聖書の言葉であるか、あるいは新約聖書の言葉であるか、そうした限られた言葉によって成り立っているだけの世界ではありません。

 まず、第一の例を示します。
 今日のトルコのエーゲ海に面するBülbül Daği(ブルブル・デイ、聖書で言うフィリピの教会のあった付近。別のサイトへ飛ぶ)の北斜面の高い位置に小さく平らな丘陵地があります、そこに小さな出入り口を正面に持つ石でできた古代の建造物があります。そこは1990年代にオーストリアの考古学研究所による発掘調査によって8*8*50フィート(およそ2.5m×2.5m×15m)の通路を持つ「聖パウロの洞窟(the Grotto of St.Paul)」と呼ばれる聖廟があります。その石膏でできた壁面の下におよそ西暦500年頃のフレスコ画が発見されました。

 入り口から入り、その左側はほとんど痕跡を残さない程に失われていましたが、しかし、残りは認識可能な程度に残っていました。そこには一人の立った男が大きなナイフを高く振り上げ、跪いた小さな体格の人物を殺そうとしている様子が、破壊者の手から逃れていたのです。これはもちろん、創世記22章におけるアブラハムとイサクの物語です。

 そして、次のフレスコ画は入り口の明かりによって壁にあるのがわかります。上半分以外は腐敗によってほとんど失われていますが、それ以外は良く保存されています。しかし、このフレスコ画は、いわゆるキリスト教における『旧約聖書』や『新約聖書』に登場する場面ではありません。

聖パウロの洞窟(the Grotto of St.Paul)

 そこには3人の人物が描かれており、中央の人物は間違いなくパウロであることがわかります(なぜなら、禿げ頭、二重になったあごひげ、名前が記されていますが、後光はありません)。彼は座って膝の上に本を開きそれを読んでいます(ひょっとすると、『新新約聖書』かも?)。彼の右手は挙げられていて、それは教えと祝福を示す所作であり、これはビザンチン時代の象徴的表現(iconography)ーすなわち、五本指を二本と三本とに分け、これはキリストの第二の本質(nature)と三位一体における第三の人格(the three persons)を示すものです。
 パウロの右側の人物をみると、それは立っている女性で、名前は「テクリア(Theoklia)」と書かれています。頭は髪型を既婚女性のようにセットし、その上にベールをかぶっています。彼女の身長はパウロよりも高く、その右手は、パウロと同じようにして上げられています。しかし、彼女の尊厳や、重要性、彼女の教授権はすべて、彼女の目から取り除かれ、彼女の手は破壊され、そして、壁から焼き払われています(これは聖像破壊によるものではありませんが、彼女の目だけが抹消されています)。
 次にパウロの左側の人物を見ると、そこには「裸の処女」のデザインの象徴的表現(iconographically)をされた人物がいます。彼女の髪の毛はベールで覆われており、彼女はパウロの語る言葉に耳を傾けています。そして、他に出口のないところに赤レンガでできた窓があることから、これが彼女が誰であるかを完全に示しています。彼女の名前は「テクラ(Thekla)」で、彼女の頭の左右に、かろうじて認識できます。
 これらの三人の人物はそれぞれの物語を集約した形で、このフレスコ画を見る者の理解の助けになります。しかし、あなたは決してそのように理解することはありません。なぜなら、パウロについては理解できても、キリスト教において伝統的な、すなわち正典とされた『新約聖書』のどこを見ても、「テクリア」も「テクラ」も出て来ず、このフレスコ画が示そうとしている場面は見当たらないからです。このフレスコ画で示されている劇的な場面は「テクラ行伝(Act of Thecla)」に登場します。そして、これは二世紀に存在した「パウロ行伝」の最初の章に登場する場面なのです。ーーそのため、しばしば「パウロとテクラの行伝(the Acts of Paul and Thecla)」と呼ばれます。
 これらの行伝ーーそのすべてが2~3世紀に書かれた伝統的な『新約聖書』に採用されなかった使徒たちの行伝ーーが試みているのは、家父長制度が支配的な世界において、独身を伴う禁欲主義と特に女性の活躍にあるのです。
 たとえば、テクラについて、彼女は初潮を迎えて直ぐ、およそ13歳で結婚しました。彼女は、おそらく、彼女の父親からの結婚の許諾の有無は分かりませんが、どちらにせよ彼女の少なくとも2倍の年齢の夫と結婚したのです。
 このフレスコ画が映像として、また文字で書かれたものを劇的に映像化して示すのは、独身を説くパウロの説教を聞くことによって、親権によって不本意に決められた夫タミリス(Thamyris)に対して、独身を伴う禁欲主義者として生きようとする、テクラの決意の場面です。しかし、そのような決意ーー十代の少女によるーーは、単なる家庭における内乱におさまらず当時の社会制度の破壊を意味します。
 そのため、テクラは最終的に闘技場における死刑を宣告されるのですが、しかし、神による守りによって救われますーー異邦人(ローマから見た)とキリスト者と同様ーー彼女はライオンと格闘させられるのですが、彼女の側に立つ雌ライオンが敵対するライオンに勝利することによって救われるのです。
 もちろん、あなたは、この『新新約聖書』の中で、「パウロとテクラの行伝(The Acts of Paul and Thecla)」において、このテクラの物語を見つけるでしょう。しかし、なぜ、こうしたものを『新新約聖書』が含んでいる事が重要なのでしょうか?
 なぜなら、あなたはテクラのことを知ることがなければ、あなたはパウロのことも知ることはないからです。あなたはパウロについての13の手紙が示そうとするパウロと、パウロについての、伝統的な『新約聖書』が作り上げようとしている内容の半分しか理解できないでしょう。
 ここにおける核心、その例を挙げれば、13通のパウロの手紙の中のひとつの文章を取り上げるとき、そこにはあらわれて来ないパウロの姿を見ることができるからです。事実それは、慣習的なものに対する非常に厳しい攻撃として現われています。:すなわち、「婦人は、静かに、全く従順に学ぶべきです。婦人が教えたり、男の上に立ったりするのを、わたしは許しません。むしろ、静かにしているべきです。」(1テモテ2:11~12)
 ここには学会における大きな共通認識がありますーー外部的には政治的正しさに基づくのではなく、内部的には言語的差異に基づくーーこの三つの聖句について、1・2テモテへの手紙とテトスへの手紙、これらはパウロの死後から50年以上経ってから書かれたという事実です。これを書いた人々は編集者であり、パウロの偽物であり、言い方を変えれば「反パウロ派」の人々によって、パウロの名前で書かれたものであって、パウロの「キリスト者の交わり(the Christian community)」ーー「そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。」(ガラテヤ3:26~29参照)ーーにおける平等性に見るようなパウロの基本的な視点に明らかに反対の反応が示されているからです。しかし、そうだとするなら、このような女性に対する権威的な教えという極端な反応の原因は一体どこにあるのでしょうか?
 その明確な答えは「家父長制」による支配にありますーーつまり、男性は女性が同等であるということを望まず、何の権限も与えませんでした。この1テモテ2の否定的な命令は、女性は教会における指導者になることが不可能であることを明確に説明しています。同時に、キリスト教における指導者は男性であることが明確に肯定されています。そこで、なぜ、1テモテにおいて、男性指導者の第一の要件、または第二の要件について、「結婚していること」と「子どもを持っていること」(1テモテ3:2,4,12)を挙げるのでしょうか?
 実は、1テモテにおけるより深い問題は、女性に対する教育ではなく、独身を伴う禁欲主義にあるのです。そのため、そうした「結婚を禁じ、特定の種類の食べ物を禁じる」(1テモテ4:3)人たちについて、徹底的に汚い言葉で、警告しているのです。1テモテの匿名の編集者(達)は、それほどにローマ帝国下における家父長制の支配から十代の独身女性が独身キリスト者となって自由になろうとする事に恐怖を抱いたのです。すなわち、テクラの存在は、まさに1テモテにおける家父長制を破壊する要因なのです。
 言い換えると、先の1テモテにおけるパウロの信仰を真に理解するには、あなたは正典としての『新約聖書』の内側と正典としての『新約聖書』の外側とを共に見ることが必要なのです。すなわち、内側として、1コリント7に、独身に対するパウロの信仰的な挑戦があり、また外側として、『新新約聖書』における独身に対するテクラによる信仰の挑戦があるのです。これはほんの一例ですが、パウロに触れ、彼の行動や反応に対して、伝統的な『新約聖書』はあくまでもパウロの信仰と、の半分を占めているだけなのです。
 すべてのキリスト教徒は、禁欲的な独身志向の挑戦が最も初期の伝統にあったこと、そして特に家長優位である家父長制の社会にもかかわらず、女性が自分の生活を選ぶ権利をどのように宣言したか、その重要性を知っておくべきです。(今日、ここでは、わたしたちは独身を自由の象徴とは見なさないかもしれませんが、しかし「今日」も「ここ」も、それはいつでもどこでもという基準ではないのです。)

 私はここでこれまでの伝統的な『新約聖書』に関して、その全体的を支配している信仰的原則を調べます、ーーそれは、あなたは正典外の文書について知っていることがなければ、正典の文書を知ることができないようにーー、それをこれから『新新約聖書』からひとつの例を挙げて示しましょう。それはキリストの復活に関係するものであり、キリスト教信仰の核心に触れるものです。そして、わたしは再び一つの絵からわたしは始めます。それは、洞穴に隠されていたひとつの壁画からではなく、ティベール(Tiber)からティグリス(Tigris)にかけて、またネヴスキー(Nevsky)からナイル(Nile)にかけてのモザイク画とフレスコ画から得られたものです。また、これらは古代の詩人から近代の教会への、イエスの全生涯におけるそれぞれの場面を包含します。すなわち、「十二の偉大な宴会(the Twelve Great Feasts)」の聖画(icon)、イースターの祝祭の旗、これらの絵は、東方教会(Eastern Christianity)の信仰におけるキリストの「復活(The Tesurrection)」の形状がどういうものであるかを示しています。しかし、こうしたことは既存の正典である『新約聖書』のどこの箇所からであっても理解することはできません。
 一方において、西方教会(Western Christianity)における聖画はキリストの復活を、力強い神の権威によって表現しています。ーーしかも、それはあたかもティツィアーノ(Titian)かルーベンスの絵画を彷彿とさせるーー眠っているか、見る者を威圧するような警備員の上に表現されています。彼は一人の偉大な個人(individual)として示され、あたかも、彼がローマの十字架刑で死ぬ、最初のあるいは最後のユダヤ人殉教者ではないことを忘れさせてしまうほどです。このような筋書きは、ひょっとすると、あなたはマタイによる福音書に見ることができると言うかもしれません。
 また他方において、東方教会(Eastern Christianity)においては、イエスの「復活」は個人的なものとしてではなく、キリストの復活を共同体的なもの(a communal)として描いています。そこに見るキリストの姿は傷つき、絵画的神々しさ(haloed)を受け、体にはローブをまとい、古くは巻物を持っているものもありましたが、時代が新しくなると十字架を持っています。イエスは天からの光によるマンドーラ(mandorla,〈イタリア語ではアーモンドの意〉中世キリスト教美術において、復活したイエスを囲む光のような、二つの円が交わってできた中心のアーモンド型。聖なるものの象徴。)によって取り囲まれ、十字架の形をしたハデス(Hades、地獄)の二つ折りの門の上に立ち、そこには破壊された錠前と鍵があたりにあります。そして、イエスは手を伸ばしてアダムの手を取り、--あるいはアダムとイブの手を取りーー、彼らと共に、光り輝く神の御霊の中へと引き込みます。
 こうした東方教会(Eastern Christian)の聖画(iconography)について、あなたは西方教会において伝統的に正典とされている『新約聖書』を学ぶだけでは、理解することも、それが何であるか認識する事すらできないでしょう。しかし、あなたは『新新約聖書』の中の「ソロモンの頌栄の第四の書(The Fourth Book of the Odes of Solomon)の42番目の頌栄を見るとき、これら二つの事について読むことができます。西暦100の限りなく早い時期にできたと思われるシリアのキリスト者(Syrian Christian)の賛美歌を読んでください。それをゆっくりと注意深く、思慮深く、また祈るようにして、読んでください。それによって、あなたは個人と、我々の暴力的な傷を受けた人間性に対する、神の偉大な平和と和解の約束を、共同体に対するキリストの復活(Christ's resurrection)に見ることができます。わたしは、わたしが『新新約聖書』において関わった中では、この42番目の頌栄はそうした内容を、初期のキリスト者において唯一存在を確認できるものとして入れてあります。
 わたしは、あなたに、何が利益となり、何が損害になるのかを問うことをもって、ここでの結論にしたいと思います。わたしは、これまでの伝統的に正典とされた『新約聖書』が貴重なものを失ってしまっていると思います。それは、例えば、テモテへの手紙とテクラ行伝の両方を得ることによって、それはテクラ行伝にある、テモテへの手紙に対する信仰的な批判を得ることになるのです。より良い『新約聖書』、より良いキリスト教の歴史、より良い女性、当然、それは男性にも良いことなのです。そう、しかし、それは失われてしまっているのです。
 再び、『新約聖書』には「ソロモンの頌栄(the Odes of Solomon)」は無く、わたしたちの心に強く訴えかけるキリストの復活に関する頌栄は切り離され、そうした東方教会の信仰から切り離されることによって、西方教会の信仰は守られました。そうです、それは大きな損失なのです。あなたが『新新約聖書』のひとつひとつの文章を読む時、自分自身に同じように問いかけてください。すなわち、わたしたちの伝統的に正典とされた『新約聖書』は、この文章を失った時に何を失ったのか? ついに、わたしたちは、「ああ、喪失よ。風は悲しむ、霊よ、再び帰ってきてください!」と歌ったトーマス・ウルフ(Thomas Wolfe,O lost)のように謝罪をもって、悲しむかもしれません。わたしたちには、まだまだ多くの失われた文書があるかもしれません。しかし、この『新新約聖書』において、少なくともわたしたちは、そうした損失について熟慮する機会を得て、おそらく、損失を越えて、その先に行くことができるでしょう。

John Dominic Crossan

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