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スレーンの丘 VS.タラの丘

2009年3月11日~21日 アイルランド紀行6
3月12日曇りときどき晴れ Dublin - New Grange - Drogheda③ 

バスはゆっくりと丘陵を下り、ニューグレンジ遺跡から遠ざかっていった。日は傾きかけ、ボイン川に暮色をなげかけていた。

ビジターセンターに戻り、遺跡の歴史や研究の展示をざっとみて帰ろうとしたとき、出口にかけられた航空写真に目がいった。
修道院の廃墟と、ケルト十字そして無数の墓標が上空から映されていて、なんとも雰囲気のある場所である。
十字に円環が組まれたケルト十字をたくさん見ることが旅のテーマの一つでもあったので、トイレを案内してくれた受付の男性に写真の場所を聞いてみた。

スレーンの丘(Slane Hill)、と返事がかえってきた。

スレーン!本日、二度も通過した街だ。
そんなに近いのならば訪れてみようと、再びボイン川沿いを上流に進み、橋を渡り、スレーンの街に入った。
とても小さい街だったが、わずか100mほどのメインストリートにも、もちろんパブがあった。夕方6時を過ぎれば、パブ以外はひっそりと息をひそめてしまうような街だった。

標識はないが、「丘」と付くのだから上へ上へいけばなんとかなるだろう。ドタ勘でメイン通りから斜めに入る上り道を選択した。
やがて暮れ残る丘の向こうに、廃墟と墓標が浮かびあがってきた。その幻想的佇まいはなんとも言えず美しく、静謐だった。

Hill of Slane

登りつめたところの駐車場に車を止め、石塀を越えてゆっくりと丘を登っていった。逢魔が時に墓地へ向かうのはいささかためらわれたが、観光客らしき青年が丘を下ってきたので、少し安堵した。

徐々にスレーンの丘の全貌が見えてくる。
右手には屋根がすでに落ちた修道院の廃墟、左手には教会の鐘塔らしき建物と石塀に囲まれた墓地があり、その中でハイクロスが幾歳月の重みに耐えるように凛と立っていた。修道院廃墟の崩れかけた階段をのぼると、夜のとばりが空を覆いはじめて、色を失った緑野が広がっていく。

ここスレーンの丘は、タラの丘に関係する伝説があるらしい。
当代、タラの祭りが催されるときはタラの丘に灯がともされるまで、それ以外の場所では灯を点けることは禁じられていた。
しかしアイルランドにキリスト教を伝導したセント・パトリックは復活祭の日に、タラの丘の向かいにあるこのスレーンの丘で火を灯した。
それはケルトの宗教……ドルイド教への挑戦であった。やがてドルイド教はキリスト教の勢いに負けて改宗し、以来ここはアイルランドにおけるキリスト教発祥の地といわれるようになった。
いまなおケルトの象徴とされるタラの丘と、キリスト教発祥のスレーンの丘は静かに対峙している。

残念ながらこの伝説は日本に帰ってからインターネットで知ったので、修道院の廃墟から遠くタラの丘を探すことはしなかった。
いずれにしても夕闇で見えなかったかもしれない。

一眼レフを買ってから初めての海外旅行の夫は、写真を撮るのがうれしくてしょうがないらしい。似たようなアングルを、夕闇の具合が違うからと何枚も撮っていた。

ビジターセンターで思わぬ出会いをしたスレーンの丘は、思った以上に堪能できる場所だった。思いつきにも関わらず素晴らしく感動した場所や映画、物事を、私たち夫婦は「意外にいいシリーズ」と呼んでいる。スレーンの丘も間違いなく、意外にいいシリーズにランク・インだった。

※この旅行記は以前に閉じたブログの記事に加筆して、2023年3月noteに書き写しています。

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