東京オリンピック閉会式を前に
本日、閉会式を迎える。元来、スポーツ観戦好きな私ではあるが、どうにも気持ちの整理がつかず、今回はほぼ競技中継を観ることができなかった(学生時代、ずっとバスケットボールをしてきた私が、女子バスケットボールチームの快進撃をこんな気持ちで見守ることになろうとは)。
「今は、オリンピックに反対する声が大きいが、きっとオリンピックが終了する頃には、日本中はオリンピック(感動よ、ありがとう)ムードに包まれているはずだ」という意見が開幕前には散見した。そして、オリンピック開催前に見られた懸念そのままに、メディア報道はオリンピック一色に塗り替えられた。
このアンフェアな大会(これをフェアな大会だと言える人がいるのならば、きちんと説明して欲しい)で、日本はメダルラッシュとなった。
このnoteには、選手の活躍に水をさしたいという気持ちはない。
ただ、自分の記憶が今後流れてしまうわないように、いつでも今日の気持ちに戻れるように、オリンピック前、最中にtwitterで保存しておいたつぶやきや記事をまとめて残しておこうと思う。
6月25日 ガーディアン紙の「デルタ株について」の報道
6月26日 BBCの報道「なぜ五輪は決行されるのか」
7月7日 政治と文化の構図
7月8日 エンタメが死んでいかないようにするには
日頃から完璧な人だけが政治的発言をしても許される、少しでも間違った発言は許容されない、そのような状況に対しても当然変化を起こすことが求められている。これは同じように「萎縮」を促す環境の変化の延長線上にあり、「自分にできることだけをやろう」というのはその目標から遠ざかってしまう風潮でもあるのだ。
7月9日 大坂なおみ「大丈夫じゃなくても大丈夫」
7月12日 東京緊急事態宣言
先手先手の措置?
7月14日 自粛とは?
7月18日 オードリー・タン氏「訪日キャンセル」
7月19日 小山田氏のいじめ問題についての寄稿
7月22日 開会式の辞任騒動について
全国唯一の学校連携枠について
世論調査
7月23日 開会式の多様性演出について
その後ろで
森山未来について
総合的に見ると
良い話もある
7月24日 わきまえる必要はない
7月25日 オリンピックの裏側で
7月25日 なぜ、メディアは政治問題を扱うべきなのか?
7月26日 女性競技者の競技ウェアについて
ビーチハンドボールにとどまる話ではなく、かつてのバレーボールのユニフォームの変更もそうだったのではないか。サイドアウト制からラリーポイント制に変更する際、国際バレーボール連盟副会長が「ビジネスのためだ」とストレートに語った映像を記憶しているが、ユニフォームで露出を高める方向に変わったこともある。
7月27日 ゲイで、金メダリスト
感染アラート
7月28日 幻となった演出プラン流出
コロナの感染推移
選手のメンタルヘルス
バイルスは27日に団体総合決勝に出場。跳馬の演技後、精神的な理由で途中棄権し、世界に衝撃を与えていた。
7月29日 選手の抗議活動(BLM)
都民一人あたりの負担額
批評について
7月30日 ショートカットでバッシング
CNN「デルタ株の感染力」
7月31日 オリンピックの政治利用
検査実施人数増えず!?
8月1日 ジョコビッチ(男性)のヒステリー
感染者爆発とデルタ株
ホームレスの排斥
8月1日 オリンピック一色の空気の中で
スポーツを文化にすること
トランスジェンダー選手の出場
8月2日 視聴率低迷
女性差別発言で辞任した森氏、後任人事を語る
8月4日 亡命
「非常時」の概念
8月5日 公共放送とは?
表敬訪問とハラスメント/ミソジニー
LGBT平等法がない日本
任命責任
8月6日 広島原爆の日
殺傷事件とフェミ サイド
8月7日 Z世代とXスポーツ
国際サーフィン連盟のアギーレ会長は笑いながら言った。「我々のカルチャーは変わらない。五輪が変わるんだ」
ラムダ株の国内流入の情報開示
8月8日 老舗スポーツ誌と「日本の血」
手厳しいロイターの報道
招致を巡る贈賄額
パラリンピックの運営
第5波
陽性率
ワクチン摂取
バブルの中と外
1年の延期で選手が難しい調整を迫られる中、心の健康、さらには多様性、圧政といった社会的、政治的な問題に焦点を当てる大会にもなった。
救急医として東京五輪の会場に派遣された医師の横堀将司さんは、ロイターの取材に「今、2つの異なる世界にいる」と語った。(中略)感染第5波の最前線に立ち、重症病床が満杯の状態にある。横堀さんはバブルの内と外を「天国と地獄のよう」と表現した。
メダルの数
IOCとは?
「IOCのバッハ会長は8日のIOC総会で、五輪運動の発展に寄与したことをたたえる「五輪オーダー」(功労章)で最高の金章を、特例で菅義偉首相と東京都の小池百合子知事に授与すると明らかにした」
東京五輪で買えたもの
「300床の病院を建設するのに5500万ドル(約60億5000万円)かかるが、それならばおよそ300の病院を建てられる」と病床ひっ迫を解消できると分析した。
閉会式のテーマ
「Worlds we share」がコンセプト。なぜ「世界(World)」が複数形になっているのか?
“Worlds we share”という表記は、本来「世界」は「The World」と表記するところを「Worlds」と表記することで1人ひとりが異なる世界を持っている様相を表し「1人ひとりの持つ異なる世界を共有しあって生きている」ということを表現しています。
それに対する、東京外国語大学総合国際学研究院の篠田教授の論評。
通常は、多様性(diversity)を包含する(include)することができるのは「世界(The world)」という一つの共通の場があればこそだ。「世界」それ自体が複数になってしまうと「共有する場」が失われてしまう、というのが、普通の国際社会の考え方である。80億近い人々全員が自分たちだけの「世界」を持っているという考え方は、ラディカルな相対主義であり、国際社会の標準的な価値規範に真っ向から対決を挑むものだ、と言わざるを得ない。
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2021年2月15日のnote
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