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小説 「あの丘の上の楽園で会おう」 第一章*ペナンのジャングルを逃げ惑った美しい若き日の母

この作品は、日本占領期のマラヤにおいて、筆者と対話を重ねた本人やその祖先が体験した内容の証言や歴史的事実をもとに、小説的に構成したものである。登場する作中の主人公とその家族、友人などは架空の人物である。

太平洋戦争は、数多くの悲しみと愛のドラマを生んだ。

生存者が次々にこの世を去る中で、戦争を知らない世代の筆者が日々出逢う人々との対話の中で、後世に残すべき物語を小説のスタイルで綴っていく。

第一章 「ペナンのジャングルを逃げ惑った美しい若き日の母」

目を覚ますと、まだ日の出前だった。いつものように賑やかな鳥たちの鳴き声が聞こえてくる。もうすぐ日が昇るという知らせだった。

夏子はキッチンで湯を沸かし、熱いコーヒーを淹れた。マグカップを持って、リビングを通り過ぎ、バルコニーのいつもの椅子に腰掛けた。目の前の大木が夏子を静かに見下ろしている。

大都会の真ん中の丘の上に建っているこの古いコンドミニアムには、一年半前に引っ越して来た。都会にも関わらず緑が多いこと、木々に囲まれた遊歩道があること、質素だけど感じの良いレストランがあること、が気に入った理由だった。

ふと、時計を見た。

6:40am

まだテニスの約束まで一時間以上ある。まだ外は真っ暗だった。

数ヶ月前から始めたテニスが毎日の日課になっていた。TVをつければ、じわじわと感染症が世界各地に広がっていく不気味なニュースが流れてくるから、TVは一切見なくなった。日本に一時帰国する予定も、延期せざるを得なくなった。何かに打ち込むことで、考える時間が減るし気持ちが楽になる、そう思った。積極的にテニス経験者の友人や近所の人に声をかけた。まだお世辞にも上手とは言えない夏子のプレーを見ても、みな嫌な顔をせず、むしろ喜んで相手を買って出てくれた。

「まだ少し早いけど、時間まで散歩でもしようかな・・・」

飲みかけのコーヒーを飲み干して、夏子はテニスシューズの紐をきつく結んだ。そして、まだ薄暗い中歩き始めた。

しばらく歩いていると、反対方向から人影が見えた。二人の距離がどんどん近づく。聞き慣れたささやくような声がした。「ナツコ」

その声の主はサリィだった。

おはようの挨拶を交わすと、サリィは遠慮がちに「一緒に歩いていいかしら?」と聞いてくれた。夏子は、「喜んで」と答えると、サリィの歩く方向に向き直した。

この丘の上に建つコンドミニアムは、勾配が激しい。夏子はあえて勾配がきつい方を選んで歩いていたが、高齢で膝があまり良くないらしいサリィは逆方向を好んで歩いていることを知っていたからだった。下り坂だと膝はそんなに痛まないらしい。サリィと夏子は肩を並べてゆっくり歩いた。「最近見かけなかったけどどこかへ行かれていたのですか?」と尋ねるとサリィは少し悲しそうな顔をした。

「地元のアロースターに戻っていたのよ。ほら、このご時世、飛行機はいろいろと不安があるから、と夫と二人で交代しながら運転したのよ。」アロースターはタイの国境に近いケダ州の街だ。クアラルンプールから運転すれば5時間はかかる。「それはお疲れでしょう。」気遣うとサリィは、こう続けた。「どうしても今のうちにお墓参りに行きたかったのよ。これからわたしたちどうなるのかしらね。」伏し目がちにため息をつくと、サリィは顔を上げて肩をすくめて笑った。夏子は、ただサリィを見つめて何も言わなかった。実際夏子も楽しみにしていた日本行きのチケットを延期したばかりだった。

「夫はね、あなたとテニスが出来ることをとても楽しみにしているのよ。」サリィは意図的に話題を変えようと思ったらしい。夏子は微笑むと「それは光栄です。わたしのような初心者でご迷惑じゃないのかな、といつも思っていましたので。」そういうとサリィは声をあげて笑った。「夫の方こそうるさいでしょう?あなたに嫌がられてるんじゃないかってわたしの方が気になっていたのよ。」夏子は首を横に振ると「とんでもない。何もわからずにやっていたわたしにエディさんが丁寧にご指導してくださるので、テニスが楽しくなって来たんです。」

* * *

エディとは、半年前くらいにコンドミニアムの共有スペースで、ある友人の紹介で知り合った。元は政府の役人だったと友人から聞いた。マレーシア外務省の仕事で家族で海外を転々として、10年前に定年を迎えてからは政治評論家として本を何冊も出版しているそうだ。

その後、何度かコンドミニアムの中でばったり会うことが続き、食事に招かれたこともあった。その度に、二人は夏子の知らないことをいろいろと教えてくれる有難い存在だった。このコンドミニアムが建った当時からユニットを持っていて、生き字引のような人だった。歴史が好きな夏子はいつも時間を忘れて二人の話を身を乗り出して聞いていた。

1980年当時、クアラルンプールの一等地に建った珍しいモダンな建造物として人気だったこのコンドミニアムも老朽化が激しい。周囲には高級コンドミニアムやショッピングモールが乱立し、せっかく残されている自然も木々を切り倒す計画が何度も持ち上がったそうだが、エディが持ち前の交渉力を発揮し、住民を巻き込み反対運動を起こし守って来たという話を人伝てに聞いた。夏子が毎朝大切にしている朝の時間は、目の前の大木との対話から始まる。あの木々がなかったら、と想像すると、エディに感謝の気持ちが湧いてくる。そんな彼が今は夏子のテニスの師匠だった。

* * *

「アロースターの後は、ペナンにも立ち寄ったのよ。夫の父は数年前に96歳で他界してしまったけれど、まだ家は残っているの。夫は大学のために若くしてクアラルンプールにやって来たけれど、ペナンの家にはたくさんの思い出が詰まっているから、どうしたものかしらね。」寂しげにサリィがささやいた。

* * *

いつかエディがペナンで暮らした両親の話をしてくれたことがある。日本が英領マラヤに侵攻した1941年12月8日から、たったの11日後の12月19日、ペナン島(英植民地時代はプリンスオブウェールズ島と呼ばれていた)はあっさりと陥落した。当時の混乱ぶりは多くの小説やノンフィクションに登場する。長きにわたり植民地支配をしていた英軍は、旧日本軍の上陸時英国籍の民間人含め要塞のあったシンガポールに避難した。置き去りになった現地人たちは旧日本軍による空爆で右往左往したそうだ。エディのお母様がまだお父様に出逢う前、オランダ人の夫と共にプリンスオブウェールズ島で暮らしていた。最初の子が生まれてすぐ夫は病死してしまい、未亡人となったフランス人の若い母親は、旧日本軍に占領された島の中を幼子を連れて逃げ惑ったそうだ。その当時、島中の人が噂をしていた。「旧日本軍の兵士に捕まると襲われる。」恐れ慄いた住民たちは若い女子を家の奥に隠したり、頭を丸坊主にして男子を装ったりしてその時代を生き延びた。しかも白人の女性は目立つ。非常に美しかったエディの母は、近所の人からもそれはそれは心配されて、ジャングルの中にしばらく隠れるように促された。12月は雨季だ。激しい雨が降ると地面は泥濘み、とても人が生活できるような環境では無かったが、まだ2歳だった息子を連れて逃げるしか無かったのだ。それを聞きつけた近所に住む正義感あふれるインド系マレーシア人の青年が、危険を犯しながら足繁く彼女の元に通い、食事や衣服を届けて彼女をどん底から救ったそうだ。戦後、二人は結ばれ、エディと兄が生まれた。エディはフランス人の母とインド系の父の血を引き、背が高く端正な顔立ちをしていた。

「夏子。わたしはこんな話を日本人にしたことは一度もない。分かるだろう。誰もこんな話は聞きたがらないからな。でも君は違った。熱心にわたしたちの話に耳を傾けてくれた。もう両親はこの世を去ってしまったけれど、君のような友人が出来て良かったと心から思うよ。」

子供ほど歳の離れた夏子を友人と呼んでくれたことがとても嬉しかった。テニスを通して信頼関係を夏子と築いて来たからこそ、エディは誰にもしたことのない家族の物語を語ってくれたのだった。

戦後、日本政府は戦争被害国に対しての補償をしたと発表しているが、本当にそうだろうか。特にエディのお母様のような人は、どこにも訴えていく場所が無かったはずだ。彼女は運良く生き延びたけれど、ジャングルで野垂れ死ぬか、または捕まって虐待されていてもおかしくはなかったのだ。

* * *

「今度、お二人がペナンに行かれる時に、わたしもついて行ってもいいですか?お墓参りさせてもらえませんか?」と言おうとして夏子は口をつぐんだ。どんなに夏子が真摯な思いでそう告げたとしても、受け取る側は戸惑うかもしれないと思い直したからだった。ペナンにはまだ多くの当時を知る生存者がいる。日本人の訪問をよく思わない人もいるだろう、夏子はそう思った。

「今日は晴れるわね。ところで、あなた日焼け止めは塗ったの?」サリィは明るくなり始めた空を指さして夏子をからかうように笑った。「いいえ、ズボラな性格で日焼け止めなんてせずにテニスに行っちゃうから、見ての通りこんなに真っ黒なんです。もう手遅れですよ。それに、もう誰も日本人だと気付かないと思いますよ。」夏子も声を上げて笑った。「あなたは色が黒くてもチャーミングだから。でも日焼け対策は大事よ。」70代でも美しく、背筋を伸ばして颯爽と歩くサリィの言葉には説得力があった。「わたしも膝が悪くなければ一緒にテニスしたいのだけど。昔はよく夫とテニスをしたものよ。」そう言うと、「じゃぁ、またね。」と言ってサリィは家に戻って行った。

それから夏子はテニスラケットを担ぐと、足早にテニスコートに向かった。今日のテニスのパートナーは、近所に住むフィリピン人のベティだ。夏子より20歳も年上なのに、年齢差を感じさせない若々しくて楽しい女性だ。ある日、コンドミニアムのレストランで知り合った。意気投合した二人は、しょっちゅう時間を見つけて食事をするようになった。

第二章につづく。





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