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3年6ヶ月ぶりに日本に一時帰国しました。マレーシア人の友人と旅して再発見した母国日本の姿。

ご無沙汰しております。
Matahari @ マレーシアです。

4月20日の投稿を最後に更新が止まっていました。ご心配をおかけしていたらごめんなさい。わたしは元気です。

この間、わたしは日本にいました。

わたしの地元山口県防府天満宮の花回廊

3年6ヶ月ぶりの日本への一時帰国はたくさんの人の協力で実現しました

コロナパンデミック前の2019年10月に一時帰国をしたのを最後に帰ることのなかった日本へ。4月18日にクアラルンプール国際空港から羽田を経由して、実家のある山口県に帰りました。

これまでもnoteに時折綴ってきましたが、この日本に帰れなかった3年と6ヶ月という長い長い期間に、わたしのライフスタイルもかなり変わりました。

一番は猫を飼ったこと。ペットを飼うことで行動が「制限されている」という感覚よりも、溺愛する猫たちと過ごす時間を自ら優先させて来たので、2020年のパンデミック真っ只中に子猫を飼い始めてからの外出は、日帰りかまたは長くても1泊。海外旅行には、なかなか重い腰が上がらなかったのです。

ただ今回はある退っ引きならない理由をきっかけに、かなり強引に日本に一時帰国することになりまして、、、

信頼できる人の紹介で毎日世話をしに来てくれる人を手配し、仲の良いお友達が定期的に様子を見に来てくれました。送られてくる写真やビデオが不安なわたしの心を癒してくれました。ありがとう。出来ることなら猫たちも一緒に日本に連れて行きたかったくらいです(笑)

母国日本の美しさを再発見するきっかけをくれた中華系マレーシア人の友達

わたしの今回の日本滞在中に、長年の友人(中華系マレーシア人)が遊びに来てくれることになりました。わたしの実家のある地元山口県防府市を起点に、山口県と北部九州の風光明媚なスポットを一緒に巡りました。

神社巡り、玄界灘を望む国民宿舎に一泊して海の幸を堪能、山や島へのハイキング、海岸線のドライブ、日帰り温泉、春の花々が楽しめる庭園、、、これまで幾度かバスツアーで日本を旅したことのある彼女も、わたしの運転で巡るローカルの風光明媚なスポットはどこも新鮮だったらしく、とても喜んでくれました。

彼女がわたしの地元に遊びにくる計画を立て始めた当初は、高い飛行機代を払って田舎に来ても退屈するかもしれないと躊躇ったのですが

「春の日本の自然や文化を満喫したい」

「人々の普通の暮らしを体験したい」

という彼女の熱意に心が動きお招きすることにしました。わたしの家族や友人たちとも言葉の壁を乗り越えすぐに打ち解ける彼女を見て、お招きして本当に良かったと思いました。

言葉通り、普段の生活を日本でもしたいと、観光の合間にスーパーに行ってお買い得の食材を買い、美味しい手料理を私の実家のキッチンで作って、家族や友人に振舞ってくれた愛が深く懐の大きな友人に心から感謝します。

樹齢800年の防府天満宮の御神木にご挨拶
あまおう苺ソフトクリーム

16年も離れたからこそ「よそもの」の視点で見えてくる日本の姿

春の美しい季節の母国日本を、気心の知れたマレーシア人の友人と旅をすることで、たくさんの会話を通して気付きがうまれ、完全なる「よそもの」の視点からじっくりと見つめる絶好の機会となりました。

彼女が一緒だったからこそ、一人で帰国していたらわざわざ行かなかったかもしれない場所をたくさん訪れることになりました。

「友人はもう二度とこの季節にこの辺りには来ないかもしれないから、連れて行きたい場所や見てほしい体験してほしいことって何だろう。」

この問いは、わたしが若い頃から大好きだった地元の観光地やお店を改めて思い出させてくれたし、すっかり忘れてしまっていた大切な記憶もたくさん蘇って来ました。

彼女が来てくれなかったら、きっとここまで真剣に考えなかったと思うので、この機会をきっかけに愛する地元のいいところを再発見出来たのでした。

佐波川の鯉流し
秋吉台
防府天満宮の梅
天神山
防府天満宮の春風楼

トップ画像は、山口県防府市郊外の徳地で摘んだお花です

海外で暮らして早16年。離れたからこそ見えてくる日本の美しさ、日本の独特な文化や人々の行動習慣のいいところにも気付けたし、そして正直に言えばその独特さに違和感を感じることもありました。

具体的なことをお話しすると、まず日本に久しぶりに帰って感じたのは、どこへ行っても街が綺麗!だということ。チリ一つ落ちていない。以前(私が日本で暮らしていた16年前まで)に比べて、道端のゴミ箱の数もずいぶん減ったように感じました。率先してゴミを持ち帰る意識が根付いていて、街の至る場所でゴミを拾うボランティの方も見かけました。一人一人の意識の高さや責任感という一朝一夕では育むことが出来ない精神がそうさせるのだろうと思うと、日本独特の教育の奥深さを感じました。そういう意味で日本という国は唯一無二の場所なのだと感じる経験となりました。

一方で、わたしが感じた違和感は、街中での人々の交流が圧倒的に少ない、あったとしても非常に表面的だったり事務的だと感じました。忙しいせいもあるのかもしれないけれど、他人に無関心な人の多さ、また心に余裕がない人を見かけることも多かったように思います。それは都会に行くともっと顕著に感じられました。

いつもゆったりしていて、ある意味いい加減なマレーシア人は、いつも肩の力が抜けていて、目の前の人にもありのままで接する人が多いと感じる一方で、日本人同士には見えない壁が存在していて、他者との間にある一定の距離感というか接する際の暗黙のマナーが存在していて、見ず知らずの人と交流する際のハードルが高いように感じました。

マレーシアだと当たり前に生まれる通りすがりの人との間に起きる日常的な些細な交流が、日本ではほぼ起きないし、そのせいで一人で行動していると孤独を感じる瞬間が幾度かありました。マレーシアではあまり感じたことのない感覚だったので、これは何だろう、と今も考えているくらいです。


山口宇部空港のフラワーガーデン
山口宇部空港に咲き誇る薔薇

「人生100年時代」の折り返し地点に立つわたしの転換期となった日本への一時帰国

今年で46歳になるわたしは、「人生100年時代」のちょうど折り返し地点。少しずつ体力や気力に衰えを感じつつある日々の中で、コロナパンデミックを通して不要なものを一つずつ削ぎ落とす過程の中で、ずいぶんと原点回帰が進んでいるように思います。

わたしの原点、それは日本人だということ。

東京滞在中に宿泊した半蔵門のホテルからの眺め
左は皇居、国会議事堂や東京タワーも一望できました

日本で生まれ育ち29歳で海外に出るまでに、無意識に培って来た「日本人らしさ」という財産。

これからどれくらい海外に住み続けるかはまだ今の段階では未知ですが、いずれ母国に帰ることになった時に、「わたしが海外で見て感じてきた経験が活かせる場に身を置き、その上で母国とそれ以外の世界の場所との架け橋として出来ることをしたい」という新しい目標意識も芽生えました。

今回の3年6ヶ月ぶりの日本滞在で、これからやって来る未来に小さな種を植えることが出来ました。後は大切にたっぷりの水と肥料(=努力)を与えなければ、ですね。

最後に:滞在中にG7広島サミットのニュースを見て感じたこと アジア各地で起きた悲しい過去の傷を癒しながら平和を自らの手で作っていく決意

今回わたしの地元にお招きして一緒に旅をした中華系マレーシア人の友人のお祖父様には、戦時中日本軍が侵攻した北部マラヤで、「抗日分子」という疑いをかけられ旧日本軍の激しい想像を絶する尋問を受けた上で、地域の人の兵士への説得でなんとか生き延びた、という悲しい過去があります。

幼い孫娘に具体的な内容を話したことはほとんどなかったそうですが、そのエピソードだけでも胸が潰れそうになる衝撃を受けました。

長年の友人で、私が質問するまでその話をしたことは一度もなかったけれど、あなたが知りたいなら話すよ、と教えてくれた思慮深い友人の存在に感謝しています。

わたしたちは縁あって現代のマレーシアで出会ったけれど、お祖父様がその時に生き延びなければ彼女は生まれていなかったし、わたしたちが出会うこともなかったのです。

彼女の家族に限らず、マレーシに限らずアジアの各地にはそういう家族間の被害の物語がたくさん存在しています。また敵対していた連合国側の兵士で旧日本軍の捕虜となった人々の物語も。
(過去記事にマレーシア各地の慰霊の旅の記録がありますので、ぜひ読んでください)
軍国教育の犠牲となりモラルが完全に欠如した日本の兵士たちの起こした加害行為の数々は、アジアでは世代間で共有されていますが、日本ではどれくらいの人々がその歴史を知っているのでしょうか。少なくともわたしは恥ずかしながら全く知らないままマレーシアに移住して来ました。

彼女のお祖父様の息子であるお父様は、そのせいで長く日本に対して手放すことが到底出来ない負の感情を抱き続けていたそうですが、彼女を含む6人の子供の世代の強い勧めで2012年に日本の富山県を観光で訪れ、少しずつ日本に対するイメージを払拭していったそうです。

彼女のご両親は、わたしの両親と同じく、戦後まもなく生まれた70代です。娘が日本人の友人の家に滞在し共に日本を旅をすることにどのような思いを抱かれていたのか、私にはただただ想像するしかないのですが、わたしたちの世代が友情を育み、ごくごく身近なところから戦争のない平和な世界を作っていくことが、戦争体験者が次々にこの世を去る中で、わたしたちが出来る唯一の過去への償いになるのかもしれない、と感じています。

世代間で脈々と受け継がれていく決して完全に癒えることのない深い深い傷は、無かったことにしてしまうのではなく、そこに傷があることを自覚して大切に向き合っていくことで、二度とその古傷が開くことがないようにしなければいけない、と思います。

わたしが日本滞在中にG7広島サミットが開催され、「平和」という言葉が度々テレビを通して流れて来ました。

世界のリーダーたちがヒロシマを訪れ、平和への意識を発信する中で、日本側からは原爆の被害だけが強調され、日本が残した各地への加害の歴史が語られることはわたしが見た限り全くありませんでした。わたしが強く感じたこの違和感は、わたしが知ることが出来た範囲で、自ら語り継ぎ発信していく責任を強く感じています。

今月は「平和のためのおはなし会」を開催することはできませんでしたが、また6月には再開します。Zoomと現地でのハイブリッド開催をします。もし可能ならどうぞ現地に足を運んでくださいね。

6月24日(土)マレーシア時間午後1時(日本時間午後2時)を予定しています。
(予定が変更になる可能性がございます。最新情報はこちらのnoteもしくは公式LINEでお届けします)

「平和のためのおはなし会」最新情報・お申込み方法

CROSSING 公式LINE (https://lin.ee/b62NZnP)
Email: note.matahari.malaysia@gmail.com
(お名前、年齢、連絡先、をご明記ください)


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