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旧日本軍のマレー上陸作戦から82年。母国を離れマレーシアで13年暮らして来た筆者が思うこの地で生きる私たちに出来ること。

皆さま、こんにちは。Matahari@マレーシアです。

本日12月8日は、1941年の旧日本軍のマレー上陸作戦と真珠湾攻撃から82年。

英領マラヤ (BRITISH MALAYA) の北東部の海辺のタイ国境に近い街コタバルに、イギリスに事前通告せぬまま旧日本軍が進軍。英領のアジアの植民地だった小国を恐怖に陥れた。

この時、コタバルに上陸したのは、わたしのルーツがある福岡県を本拠地とする「第18師団(通称菊兵団)」の一部の兵士たちだった。

同じ日、タイのシンゴラとパタニに上陸し、マレーの西海岸を南下した主力の広島が拠点の第5師団と、仏印から陸路タイを進み南下した近衛師団と合流し、要塞のある英領シンガポールを総攻撃しイギリス軍を翌年2月15日に降伏させた。

12月19日 ペナン島陥落(英軍の撤退でほぼ無血開城)
 1月11日 クアラルンプール陥落
 1月31日 ジョホールバル占領
 2月15日 シンガポール陥落

旅行ガイドにないアジアを歩く マレーシア
高嶋伸欣二著 より抜粋

たったの2ヶ月ほどで当時難関不落と言われていたイギリス領のマラヤを制圧出来てしまった「楽勝」こそが、旧日本軍を自信過剰にした。その後、日本はアジア全域に占領地を拡大しようとして数多くの歴史的な汚点となる数多くの悍ましい失敗を重ねていく。

マレー上陸作戦の「成功」こそが、太平洋戦争での日本の最大の敗因の一つになってしまったのだった。

太平洋戦争が「日本国内で」事実上終結した1945年8月15日から77年と5ヶ月。

わたしたちは歴史から何を学んだのだろうか。

筆者は、5〜6年前からこのnoteにマレーシアの日本占領期の証言やリサーチなどを細々と綴ってきた。

昨年2022年の今日は、ある友人とクアラルンプール日本人墓地に慰霊に行った。

友人で「よしもとKL住みます芸人」のキンジョー君。
コロナ危機の時に、仕事柄お互い煽りを受けて非常にしんどい思いをしながらもマレーシアに残ることを選び、母国へ帰ることなく今もここで暮らしているという、いわゆるわたしの戦友だ。(筆者はフリーランスの日英通訳やイベント司会、キンジョー君は芸人さんとして日系企業さんのイベントやマレーシアのメディアや映画産業がメインの収入源)

このクアラルンプール日本人墓地を訪れた日の帰り道の即興のインタビュー動画の中で、キンジョー君は、吉本芸人としてTV番組のロケで初めて訪れたマレーシアに「よしもと住みます芸人」として残ることを余儀なくされて以来、手探りで生きていた自身の経験を語ってくれた。

さすが芸人。即興にも関わらずめちゃくちゃ滑らかな語り。長いインタビューですが、ぜひ聞いてください。

「なぜ今自分がマレーシアに住んでいるのか。」
疑問や葛藤を抱え、何をこの地ですべきなのか悩んでいる人にぜひ見てほしい動画だ。キンジョー君の話を聞いていると、まだわたしにはここでやれることがある、そう思わせてもらえる。

筆者はこの地に住んで13年になるが、来た当初(当時30代半)はそれは悩み多き人だった。日本や3年住んだアメリカで経験したことを活かしたいと思っても、一筋縄では行かない多民族国家のマレーシアで日々壁にぶつかり、これまでの自分の「常識」が全く通じない環境の中でもがき、やればやるほど上手く行かず自信を無くすことも多かった。日本人としてのアイデンティティに疑問を持つことも多かった。

そんな中で日本占領期の歴史に遭遇する機会があり、このマラヤのリサーチを始めて以来
「なぜ今自分がマレーシアに住んでいるのか。」
この問いに、明確な答えがもたらされるようになった。

今では、わたしはおそらくこの地を選んでやって来たのだろうと思うし、ここでやるべきことがたくさんある、そう思いながら日々出逢う「戦友たち」との交流を、マレーシアで楽しみながら暮らしている。

82年前に旧日本軍がマラヤ北東部に進軍し、あっという間にシンガポールを制圧したあと、ここは日本になった。シンガポールは「昭南島」と呼ばれ、現地の人たちの間でその「暗黒の3年8ヶ月」は今も語り継がれている。

最近はマレー系の監督が「PAGARI BULAN」という日本占領期のマラヤの従軍慰安婦 (COMFORT WOMAN)の物語を映画化し全国公開された。この映画はわたしはどうしても観ることが出来ず、感想を伝えることは出来ないのだが、ただネット上にある予告編は繰り返し観た(英語字幕あり)。

この地で平和に暮らしていた罪のない人々が殺されたり、愛する家族の元から連れ拐われたり、酷い虐待を受けた事実を、わたしたちはもっと知らないといけないと思う。

旧日本軍に徴兵されこの地で戦った若い兵士たちも、貧しい家庭出身で自ら選ぶことが出来なかったという点で、同じく犠牲者だと思う。

そして、当時日本だった朝鮮、台湾、満州からも多くの若者が徴兵されたり軍属としてこの忌まわしい日本のアジアで起こした戦争に関わることを余儀なくされた。その事実も、最近になってここマレーシアで出逢った人々によって、祖父たちの軍歴を辿る旅で知ることになった。これについては改めて書くか「平和のためのおはなし会」で話そうと思う。

(まだ書き終えていないが、わたしの福岡の両家の祖父たちの軍歴についてもいずれ公開したいと思う)。

これまで辿って来た歩みはここに集約しているので、よかったら読んで欲しい。BEFORE TOO LATE 手遅れになる前に(マラヤ日本占領期の証言集)


2023年も残りわずか。

今、母国を離れ異国の地で暮らしながら「自分との戦い」を日々続けるあなたに届くことを願って。

最後まで読んでくださりありがとうございました。

MATAHARI@マレーシア
2023年12月8日

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