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ジェネレーション・ギャップを知る

2024年3月23日に、佐藤友美さん主催「さとゆみゼミ」を卒業。卒業後も、文章力・表現力をメキメキと上げ続けるため、仲間と共に、note投稿1,000日チャレンジをスタート。

Challenge #46

中学校教員に採用されたのは、40歳のとき。それまでは一般企業で働いていたから、「中学校」という場所に立ち入ったのは、私自身が中学生のとき以来だった。

40歳にして、「今」の中学生の実態を知り、ジェネレーション・ギャップに驚いた話をしたい。

教員になって最初の年、「実用英語技能検定(英検)」の試験監督をする機会があった。英検3級のために用意された教室に、放課後、10名ほどの生徒が集まった。ほとんどは中学3年生だったが、1、2年生も数名いた。

全員揃っているのを確認して、1枚目の解答用紙を配る。「住所や電話番号など、必要事項を記入してください」と伝えた。しばらく待っていると、ほとんどの生徒が手を止め、周りを見渡している。

不思議に思い、ひとりの生徒の解答用紙をのぞき込んだ。書けていない項目は、他の生徒もほぼ同じ。自宅の住所と電話番号が空欄のままだった。

これには驚いた。中学3年生にもなって、自宅の住所と電話番号がわからない?

それから数年経ち、勤務している学校で親子向けの講演会が催された。場所は体育館で、それぞれの生徒の右横に保護者が座って話を聞く。スマホやゲーム依存に対する注意喚起がテーマだったと思う。

壇上に立った講師が、質問を投げかけた。「生徒のみなさん、自宅の住所、番地まで言えますか?言える人は手を挙げてください」。500人くらいの生徒の中で、手を挙げているのは数名だった。

質問の趣旨は、「自宅の住所も言えないほどに、お子さん方は自立できていない。自立しないまま、自由にスマホやゲームを扱わせるのは、たいへん危険である」といった内容だった。

忘れられないのは、親御さんたちの表情だ。手を挙げようとしない我が子のほうに顔を向け、大きく目を見開き、唇が「う・そ・や・ろ」と動く。

考えてみれば当然だ。

私が学生だったころは、年賀状や手紙を書いて送る機会が多く、自分の住所を何度も書いた。電話だって、番号を押さないとかけられない。仲良しの友だちに電話をかけるときは、ピッポッパ、と指が勝手に動いたものだ。亡き祖母の家の電話番号なんて、今だに覚えている。

「今」の子どもたちは、SNSでコミュニケーションを取る。年賀状は書かなくなってきているし、書くとしても住所は印刷されているかもしれない。電話をかけるのも、スマホに登録された名前をタップするだけ。いちいち番号をプッシュしなくても良いんだから、覚えられなくて当たり前だ。

最初のジェネレーション・ギャップで度肝を抜かれてから、私自身の子育てへの意識も変わった。長男が中学1年生のときに、彼が「自分で書く」機会を逃さないようにしようと決めた。

たとえば、学校へ提出する書類を長男から渡されたら、「名前とか住所とか、電話番号とか、書けるところは書いてから見せて」と、本人へ戻す。住所や電話番号を書いたメモを冷蔵庫に貼っておき、覚えていないうちは書き写すように伝えた。

このことで彼は、いろんなことを学んだと思う。「フリガナ」と書かれていたらカタカナで、「ふりがな」と書かれていたらひらがなで記入するとか。正式な書類はエンピツとか水性ペンはダメで、油性ボールペンを使うとか。正確に記入するために、学校からのお手紙を真剣に読み込んでいる日もあった。

そんな彼も、もう大学4年生。一人暮らしをはじめてから、諸々の手続きを自分ひとりでやることも増えた。それでもこの4年間、困った様子を見せなかったのは、家に居る間にほどほどに自立させられたからだろうと思う。

祖母や母が裁縫が得意なのは、洋服を簡単に買い替えられる時代じゃなかったから。それと同じように、私にはできて、次の世代の人たちには難しいことがある。その逆もしかり。

私とは違うジェネレーションに生きる子どもたち。何ができて、何ができないのか。できないままでも良いことは何で、できなくちゃいけないことは何か。高校2年生になる次男と暮らしながら、いつもそんなことを考えている。

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