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私がタクシーに転職した理由。(後編)

私は、翌日、不動産の会社に退職願を出した。
上司は、特に引き止めるでもなく、少しホッとしたような顔で退職願を受け取った。
おそらく社長に、早く辞めさせろと言われていたのかもしれない。
「力になれなくて悪かったな」と上司は言った。
「こちらこそ、ご迷惑をおかけしてすみませんでした」と、私も謝った。
本心だった。私みたいな3ヶ月ゼロの営業マンを下に持ったら、それこそ地獄だろう。
本当に悪い事をしたと思った。

私は正社員ではなく契約社員だったから、退職の手続きは簡単に終わった。
しばらく契約が上がっていなかったので、残務もなかった。
営業資料や荷物は、全部ゴミ箱に捨てた。

会社を出た私は、少し歩いた。
夏の終わりの風が吹いていた。
私の足取りは軽かった。
たった今、数年いた会社を辞め無職になった訳だが、私の中にタクシーに転職するという目標が生まれていた。

私は考えた。どうして、タクシーをやりたいと思ったのか。
その理由は、昨日見た、あのタクシードライバーの姿にあった。
自分に自信があるような。仕事に誇りを持っているような。
かっこいいと思った。
私とは全然違う。

他にも理由があった。タクシーの仕事には、今の駄目な自分でも受け入れてくれる懐の大きさみたいなものが感じられた。

お客さんを乗せて、横浜の街を走る。そういう仕事なんだ。不動産の仕事で運転には慣れていた。少しは道にも詳しい。物件を案内するのと変わらないじゃないか。私にだって出来る。そんなに難しい訳じゃない。
私は勝手にそう思った。

私はコンビニへ行き、神奈川県版の求人誌を購入した。無料の求人誌も数種類あったので、それももらって、ドトールコーヒーに入った。

私は、求人誌のページをめくった。
そこには、全部で10社ほどのタクシー会社の求人広告が掲載されていた。
いずれも横浜市内の会社だ。
私は、1社ずつ、採用条件を確認した。
どの会社も、養成費用負担と書いてあった。
それは、ニ種免許を取得する費用を全額会社が負担するというものだった。
プラス、入社後、タクシーに初乗務するまでの期間、給料を払ってくれる。
今では、3ヶ月間給料保証30万とか35万とかあるみたいだが、その当時は大抵1ヶ月保証だった。
1ヶ月給料保証の内容は、まちまちで、1日8,500円支払うとか、1万円とか、あるいは、月25万円とか、30万円とか、いろいろあった。
不動産会社で、3か月契約ゼロで給料の入って来なかった私には、夢のような給料だった。
職種と会社が違うと、こうも違うのか?
タクシーは、そんなに稼げるのか?

私には、どれもよさそうな条件に思えたが、その中から、自宅から近すぎず、30分くらいで行ける会社、そして、少なくとも、月30万円くらいはもらえそうな会社を選んだ。
私は、候補を3社に絞った。

そして、次の日には、面接を開始した。
タクシー業界は、当時も今と変わらず、就職希望者の売り手市場だった。
私は、3社受けた会社からすべて内定を受けた。
そして、いちばん最初に受けた会社に入ることにした。

会社は、東京に本社があった。決して大手ではなく、中堅だった。
建物は古かったが、タクシーを約100台保有し、ドライバーは200人くらい在籍していた。

私が何故その会社に決めたかというと、希望条件がそろっていたからだ。
二種免許を取るためのスケジュールも最速だった。
給料も1ヶ月30万円保証。
家から電車を使って30分くらいの距離。
社会保険も完備。
希望すれば、乗務した分の売り上げ(税抜き)の半分を前借りできるらしい。
面接を担当してくれた所長の人柄もよかった。本人もタクシー経験者で、昔ながらの年配の運転手という雰囲気だった。

面接の後、通りがかった休憩室は、昼食時で、ドライバーたちの笑い声がして活気があった。
前日、横須賀に行ったとか、東京に行ったとか、埼玉に行ったとか、そんな自慢話が繰り広げられていた。
みんなが楽しそうに、食事をしながら、休憩時間を過ごしていた。

私は、この会社にしようと思った。この会社でタクシーをやろうと思った。
そして、何かに吸い込まれるように、その会社へ入った。
今から考えてみれば、それが良かったのか悪かったのか。
どっちなんだろう。
いいこともあれば、辛いこともあり。
こうして、私のタクシー人生が始まった。

(後編 終わり)

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