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私がタクシーに転職した理由。(前編)

私がタクシーに転職したのは、約20年前、41歳の時だ。
自己紹介でも書いたが、その頃、私は住宅の仲介営業をやっていた。
会社は横浜駅近くのオフィスビルにあった。営業マンは30名くらいで5つの課に分かれ、ネット反響、チラシ反響、来店の客を順番に担当し、物件案内をし、契約に持ち込んで、数字を競い合う。
給料は、基本フルコミッションで、例えば5000万の新築を仲介すると約300万の売上(仲介手数料)になり、給料は80万円くらいになった。
私も、いい時は年間800万くらい稼いだが、収入が増えても、その分飲みに行ったり、ギャンブルに使ったりして、そのうちに、どうしようもない浪費癖がついてしまった。
お金が入って来ても、あればあるだけ使ってしまうのだ。
パチンコやスロットにのめり込み、四六時中、店に通うようになった。
典型的なギャンブル依存症。頭の中は、パチンコやスロットでいっぱいだった。

当然仕事にも熱が入らなくなり、新しい契約が全く取れなくなってしまった。
お客を呼び込んで、物件案内をするのだが、契約にこぎつけることが出来ないのだ。
普段から真面目に物件収集や下見をしていないのだから、当然である。
仮に申込みをもらっても、キャンセルを喰らってしまう。
もしかしたら、「お願いだから、契約してください」という余裕のない気持ちが顔に出ていたのかもしれない。
顧客は、私から買わず、他の会社の営業マンから買ってしまう。そんなことが何回も続いた。

私は、3ヶ月間、一件も契約が取れないでいた。
契約が上がれば天国、上がらなければ地獄。
それが不動産営業の世界。
営業会社で、3ヶ月ゼロになると、「駄目営業マン」「無能者」のレッテルを貼られ、針のむしろ状態になってしまう。
それよりも何よりも、金が入って来ない訳だから、マンションのローンも払えす、生活が出来なくなる。

私は、月末になると、サラ金で金を借り、その場しのぎで生活費を補った。
もちろん、妻にそんなことは言えなかった。私は、表面は、順調に売り上げている営業マンを演じた。
せっかく手に入れた家族三人の幸福を手放す訳にはいかなかった。
(生活費を何とかしなければ。住宅ローンを稼げなければ。家族が崩壊してしまう)
私は、金銭的にも精神的にも追いつめられるようになっていった。

上司からは毎日のように詰められた。「会社は、数字の上がらない人間をいつまでも置いとく訳にはいかない。自分で考えて決めてくれ」と言われた。
私は、上司を前に、自分の情けなさ、不甲斐なさを、嫌というほど味わった。

私は、ある日、会社を休んだ。家を出て会社にも行かず、街をさまよい歩いた。
会社には「具合が悪いので休みます」とだけ電話を入れた。

私はパチンコ屋に行った。そして、残り少ない生活費を注ぎ込み、ボロ負けした。

私は、街角の植え込みに座り込んだ。
(どうすればいいんだろう。このままじゃ死ぬしかない)
私には、どこにも行く場所がなかった。
営業の仕事に戻りたくはなかった。
新築の一戸建てなんか見るのも嫌だった。
私は苛立ち、髪を掻きむしった。

その時だった。
目の前に、一台のタクシーが止まった。
運転席のドアが開き、ドライバーが降り立った。
きちんとした制服の人だった。年齢は、40歳くらいだったか。
「お待たせいたしました。◯◯交通です」
ドライバーは、私の近くに立っていた老夫婦に笑顔で挨拶し、後部座席のドアを開いて迎え入れた。
夫婦が中に入り、席についたのを確認するとドアを閉め、自分も運転席に座ると、ウィンカーを出して、サーッと走り去った。
タクシーは、街の中に消えて行った。

私は、しばらく、タクシーが走り去った方を見つめていた。
街中で普通に見かける何と言う事のないシーンだったが、私には、鮮烈に映った。

私は衝動を覚えた。

私は、その時、タクシーをやってみたい、そう思ったのだった。

(前編 終わり)

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