見出し画像

  雨の降る日に

私が雨女なのか、彼が雨男だったのか。

会う日は、必ずと云っていいほど、
雨が降っていた。


(今まで、ありがとう。瑠夏も元気でな。じゃあ)

司は、その言葉を残して、この店から出て行った。

傘は持ってるはずなのに、司はささずに濡れながら歩いて行く。


寒くもない日でも、首をすくめて歩く癖。

その背中が段々、小さくなって行く。


最後はガラスに流れる雨粒と、
自分の涙で、何も見えなくなった。


この店のママさんが、黙ってグラスに、レモンの香りがする水を
足してくれた。

何を訊くでもなく、そのまま戻って行く。


泣くと喉が乾くのは、私だけなんだろうか。

私はグラスを手に取ると、冷えたレモン水を、喉を鳴らして、ゴクゴクと飲んだ。
 


「雨の音が、いいBGMになってる。大丈夫?瑠夏ちゃん」


私はママさんを見て、頷いた。


「無理してるよね。変なこと訊いちゃったな。ごめんなさいね」


「ううん、いいんです」


この店を、カフェと呼ばれるのが、
ママさんは、大嫌いだ。


(喫茶店と呼んでね。カフェなんて云われるほど、お洒落な店じゃないから)


初めてこの店に入った時に、そう頼まれた。

小学生の時から、将来は喫茶店をやりたい。
そう思って頑張って来たのに、世の中は、スピードの出し過ぎだと思うのよ。何もかもが。


カフェをやりたかったって、ピンと来ないもの。今更。


「そうですよね。判ります」

「ありがとう、瑠夏ちゃん。そうよね〜」


ママさんは、窓ガラスの向こうに広がる煙った街を見ていた。

そして云った。 

「半世紀近く生きてきたけど、人生って、何が起こるか想像もつかない」

「私はまだ、33年しか生きてませんが、そう思うことは何回もありました。
……今度のことも、その一つです」


「全く、司くんは、いつから変わっちゃったんだろ」
ママさんは怒っていた。



5年付き合っていた司と私。


3ヶ月前に、司から訊いたこと、私は言葉の意味を理解するまで少しの時間が必要だった。


「瑠夏、俺はインドに行く。ヨガを始めてからずっと、行きたいと思ってたんだ」

「インドって、何しに」

「本場でヨガを学びたいのと、インドでなければ、体験できないことを、実際に俺も経験したいんだ」


確かに、本やネットでも、インドに行った人の話しを読むと、一度行くと、かなり影響を受けるらしい。
そういう感想が多い。

これは行った人にしか、判らないそうだ。


司は生まれつき、体が弱い。

心配した司の両親は話し合い、

「激しい運動は無理だが、ヨガなら司のためになるかもしれないぞ。美和と同じヨガ教室に行けばいい」


そして、司はお母さんが通うヨガ教室に一緒に行くようになったのだ。


「初めは、動きがスローだし、つまらなかった」

「いやいや通ってたけど、徐々に
肉体も精神も、心地良くなってることに気付いたんだ」


その後、お母さんはヨガを止め、
ピラティスに通うことになり、司だけがヨガを続けた。



「痩せてるものね、司くん」

「というより、ガリガリですね」
私は思わず、笑顔で話していた。


「私もヨガ教室に行こうかな」

ママさんは真剣な表情だ。



その後も司は、ヨガにのめり込んで行き、長いこと通ったヨガ教室を止めて、ある人の元に、通い出したのだけど……。


「瑠夏ちゃん、何か飲む?お腹は空いてない?」

「食欲は……」


「あゝ、そうよね」


「でも、飲み物を貰います。甘いのがいいな」

「それなら、チョコレートはどう?
ホットチョコレート。フルーツが
良ければ、マンゴーとかバナナとか」


「ホットチョコレート、美味しそうですね。それにします」

「少し待ってね」


ママさんが、カウンターに行ってる間、私はまた、外を眺めた。

相変わらず降っていて、止みそうも無い。


「私が雨女だったのかな」



ある雑誌で、ヨガの特集が組まれた。
もちろん司も買い、読んだ。


私も見せてもらったが、“ヨガの達人”と云われている人達が、数名紹介されていた。


その内の一人に、司は憧れを抱いた。

まさに仙人のような風貌の老人の
写真が載っていたが、自らの手で造ったという、小さな住まいも映っていた。



それは、とても現代の家とは思えない。原始時代の住み家のようにしか見えなかった。

老人は、自分は独り身だから、このスペースで十分だと、インタビューに答えている。



司は何故か、この老人に惹かれた。
そして弟子にして貰ったのだ。


「はい、どうぞ。ホットチョコレート。甘いわよぉ」

ママさんが、悪戯っ子のような目で、私を見てる。


「いただきます」

私は少しだけ、口に含むと、喉に流した。


「確かに、かなり甘いけど、美味しいですね。なんだか……肩の力が、抜けるような感じ」


ママさんは、優しい瞳をしていた。

「良かった。ホットチョコレートにして」

そう云って後ろを向いた。
泣いてくれてるのが、私にはすぐに判った。



「ママさん、ありがとう」

私の言葉に、ママさんは首を振って、そのまま奥に引っ込んだ。



私は最初から、余り良い感じを、
その老人には抱かなかった。

何故かは理由は無いけれど……。

司には、あんまりこの老人とは、
繋がって欲しくはなかったが、
そんなことを云ったところで、今の司なら、ムッとするだけだろう。

だから私は何も云わなかった。



ある日、私は友達とハイキングに出かけた。

近県の、さほど高くない山へ。


日頃の運動不足がたたった。

私と友人は、直ぐに息が上がってしまい、休んでばかり。


岩に座って水分補給をしていた時だ。

「あれ、なんだろう」
友達が前をジッと見ている。


彼女の目線を辿って、私もその方向を見た。


20人、もっとか。
30人くらいの人々が、集まっている。

大人たちは、松明を頭上で振り回し、子供達が笑いながら、見ている。


子供。

子供が、やたらと多くいる。
大人より、圧倒的に人数が勝っていた。


「なんだか、気味が悪いね。行こうよ瑠夏」

「うん、行こう」

立ち上がる時、私は見つけてしまったのだ。
あの老人の姿を。


急に怖くなって、私は早足で歩いた。
友達も、早くこの場から離れたいのだろう。

無言で、歩いていた。


(宗教じゃないよね。でも、どう見ても、そうとしか見えなかった)

(司のヨガの老師も、それなら入信している?)


「宗教が全て悪いとは、思わないけど、明らかにこれは駄目でしょう。というのも、たくさんあるからね」

友達も、同じことを思っていたようだ。


その時、雨が降り出した。

また私が降らせたのかな。


「瑠夏、ぼんやりしてないで。ケーブルの駅まで急ごう」

結局、ハイキングは取り止めになった。


私と友達は、いつまでも、気にするのは、よそう。と話した。


この日以来、司のことが、心配になったのだ。

あの老人と、離れてくれないかなぁ。

そして毎日、祈るようになった。



そして司は、インドに行く。
滞在期間は判らない。

何ヶ月、もしかしたら数年になるかもしれない。


そう司から訊いたのだ。


私は悲しかったし、辛かった。
けど、あの老人の元から離れることに、安堵したのも確かだった。




私は今まで通り、会社で経理をしている。

司がインドに旅立って、もう直ぐ
10ヶ月だ。

元気にしてるだろうか。



よく晴れた、休みの日。

私はアウトレットで買い物をして、
駅に向かう途中に、突然マッチョな男たちが、ある建物から出て来るのところに遭遇した。


そこはトレーニングジムで、ガラス張りの建物からは、中の様子が見える。

たくさんの、トレーニングマシーンがあった。

少しの間、室内を見ていた。


一人の男性が、大きく口を開けて、
私を見ていることに気付き、見たらその男性は、司だったのだ。


何で。インドは。
なんなの。

他人の空似?


「瑠夏。久しぶりだね」

大きく重そうなバックを持って、司がジムから、出て来た。

(なにが、久しぶりよ)


「怒ってる?怒ってるよね。当然だよ」

「話しを訊かせて貰いたいんですけど」


そして私と司は、ママさんの喫茶店にいま来ている。

司を見たママさんは、幽霊を見たような顔をした。


いつもの、窓際のテーブルに着いた。

「アイスコーヒーを二つください」

ママさんは、無言で何度も、頷きながら、カウンターへと戻って行った。


「瑠夏から、質問してくれないか。
何から話せばいいのか、俺の中で、まとまらなくて」


「インドには行ったの。行かなかったの」

「行かなかった」

「私に嘘をついたの?別れたかったから」


「違う。それは違うよ。行く予定だったんだ。それで老師に挨拶に行ったんだ。そこで」


ママさんが、震えながらアイスコーヒーを、テーブルに置くと、そそくさと、立ち去った。


司も私も喉が乾いていたので、
一気に半分飲んでしまった。

「そこで、老師と瞑想をしたんだ。
俺の方が、トランス状態になって、
それを見て老師は、俺に質問して来たんだ。とんでもない内容の」


はああ〜〜


司は、深いため息をついた。

私は次の言葉を待った。


「老師はいつも、『女、金、地位、そういったものは、全て排除して生活することが、悟りを得るには、かかせないのだ』と、云ってたんだ。
なのに」


司はまた、アイスコーヒーを飲んだ。
ほとんど空だ。


「ママさん、お代わりを一つください」

ママさんは、いつの間にか、こっちをジーと見ていたのだった。

「お代わり、一つね」


どうやら、少しずつ落ち着いて来たようだ。
良かった。


「老師は司に、どんなことを聞いたの?」


[ワシは、いつ金持ちになれるのだろうか。それから美人の妻が欲しいのだが。それからタワマンに住みたいのだよ]


「……」

「な、酷いだろ?俺には老師の声が、ハッキリと聴こえるから、もうね、こんなインチキに習って来たのかと思ったら、インドに行く気が全く無くなってしまったんだ」


話し終えると、司は項垂れた。


「はい。お代わり置いとくわね」

ママさんは、気の毒そうに、司のことを見ていたが、カウンターで洗い物を始めた。


「なにか、変なことに誘われなかった?」

「変なこと?あゝ、自分が教祖になって、やってる宗教みたいな、やつのことなら、断ったよ」


「良かった〜。え、あの人が教祖なの?うわぁ!」

私もストローを、すすった。



「俺が瑠夏に連絡をしなかったのは、出来なかったからなんだ。
恥ずかしくて。だから1年経ったら、インドから帰国した体で、何らかの形で瑠夏には連絡しようとも
考えた。けど、俺の勝手な考えで、
別れたのに、連絡したら迷惑だろうとも思ったんだ」


     ピカッ

ドーン!ガラガラガラガラ


「雷だ。いま、近くに落ちたよね」

「うん。今日は、雷男て雷女かな」


テーブルに、豚の生姜焼き定食と、
ジャガイモとほうれん草のグラタンが運ばれた。


「え、これ」
私はママさんの顔を見た。


「私の奢り。遠慮なく食べて、ね。
それにしても司くん、たくましくなっね。ガリガリだったのに」

ようやく、いつものママさんに戻っていた。


「真逆になりたくて、鍛えることに、したんです。嬉しいなぁ。

実は、腹ペコだったんです。ご馳走になります!」

そう云うと司はパクパク食べ始めた。


私は、そんな司を見ながら、思っていた。

私はまた、この人と付き合って行くのだろか。


赦す、赦せないではなく、何だか
自分の中で、納得していないのが
判る。


「瑠夏ちゃんも、ほら食べて。熱い内に」

私はママさんの、グラタンを食べながら、急いで答えを出すことは、
ないんだ。

そう思うことにした。


    ピカッ

「あ、また来る」

ドーーン メリメリメリ


私の人生、今は第何章だろうか。

雷が、幕開けを告げる。


      了




























この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?