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旅行エッセイ【夜行の船旅】①大の字は太でもないし犬でもなかった(大文字山、京都市)

夜行の船旅 ①大文字山(京都市)
 私と同じ大阪出身で、同志社出身の同僚に「大文字の送り火ってどんなん?」と聞いてみた。というのは流行病での自粛時期と私の赴任が重なり、この3年間見ることなく過ぎてしまったからだ。
 同僚は大きなからだを揺すりながら「ま、人出が多いんですわ」。出町柳あたりの鴨川やったら見られるかな。「そんなん、みんな涼みに来ていて身動き取れませんよ。ほんまは亡くなった人を見送る行事やのにね」。そんならキミの学生時代は静かやったん?「そんなん、いつでも見られるので一回も見たことはありませんわ」。ぎゃふん。
 五山とは「大文字」「妙法」「船形」「左大文字」「鳥居形」の五つ。新聞やテレビで見られる点火は、毎年8月16日20時から5分ごと、ときれいに決まっている。一番最初に点火される「大」の文字が点火される大文字山は京都市の公式登山ガイドでも「8月16日だけは立ち入り禁止」と毎年印刷されている。 
 出町柳の駅を降りて京都大学の前を通り、森見登美彦さんのファンタジー小説で夜に歩くと何かが出そうな吉田山のふもとに沿って歩く。哲学の道を少し歩いて銀閣寺に向かう。銀閣寺山門の手前を左に曲がって銀閣寺の後ろに回り込むように東南方向に山道を歩くと火床と呼ばれる「大」の字の真ん中にたどり着く計算だ。
 京都市が力を入れている「京都一周登山ルート」になっていて400メートルと適当なこともあり携帯アプリの「ヤマップ」を見ながら登っていく人も。私の携帯はすぐに電池が切れるので、汗でぐしゃぐしゃになった紙の地図を握りしめて「とにかく上だよな」と、草をかき分けると、いきなり広い草地と青い空、そして一本道の階段。
 逃げるところのない太陽光に照らされる。
 登山を始めてそろそろ1時間。なんどもTシャツで拭うが、汗が目の中に入ってくる。階段の脇にはキャンプ地で置いてありそうなコンクリートの台が「=」の形に置かれている。上からおじいさんが降りてきたのが目に入る。「ゆっくり上がってきはったら。私そのとき避けまっさかい」。いやいや、ちょっと休みますわ。一気に登る元気はおまへん。お父さんこそ、どうぞゆっくり歩いてきはったら。疲れたというのは半分本当だが、半分は目の前でクマバチも八の字ダンスを踊りだしたので怖くて上に上がれないからだ。
 中間でおじいさんと立ち話。おじいさん、と言っても浅く日焼けして目つきも鋭い。京都にこういう方が多いが、毎日のように登山していることがうかがえる。
 聞くと「大」の字を構成する台は77カ所らしい。それなら他の「船型」とか「妙」「法」とかは? 標高100メートルらしいし歩いていけそうなんですが。「火ィつけるところは、全部ロープ張ってあるんや。特に船型とかは私有地の竹林やから入ること自体ぜったいムリやな。ホンマはこの大文字山もあまり入ったらあかんねんで」。聞くと学生さんや若者を中心に、点火する日に懐中電灯片手に入り込んで「犬」「太」にしようとする人が絶えないという。「それはマナーの問題やな」と語気を荒らげた。「たぶんそんな若い人らは両親とも健在で死者を見送ったこともないんやろな」と目を伏せた。
 
 聖霊《しょうりょう》の 帰り路送る 送り火の
もえたちかぬる 月あかりかな
  ~正岡子規
(2023年7月30日記)

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