「他人に迷惑をかけてはいけない?」ショートショート
とある夏の日のこと。男は上司と取引先に商談へ行っていた。
気温は30℃を超えていたが、取引先へ伺う時は必ずジャケットを羽織ることになっていた。
クールビズのカジュアルな軽装は先方に対して失礼、というのが弊社の考え方だ。
商談を終え、駅へ向かって歩いている時だった。
ボトボト滴り落ちるくらいの汗が出てきた。
それを見て上司は「まあ暑いからなぁ」と特に気にしない様子だが、真夏とはいえ異常な発汗量だ。
会社へと戻る電車は、商談の反省会会場。上司から延々とレクチャーが入る。
しかしまだ汗は止まらない。ワイシャツの首周りが塩をふいていた。
胃もムカムカしてきて、何か言葉を発するたびに酸欠状態になって、息が苦しくなってくる。明らかに体調がおかしい。
これはたぶん熱中症というやつだ。しかし上司の営業指導は続く。
いよいよ吐き気がしてきた。血の気も引く感覚がする。
上司には入社時から「人様の迷惑を掛けるようなことだけはするな」と口酸っぱく言われている。親にもそう言われて育ってきたものだから、当然のことだと思っている。
ここで「熱中症みたいです。気分が悪いので休ませてください」なんて言えば、上司や会社にとんでもない迷惑をかけてしまう。帰社後も次のスケジュールがある。
電車の揺れがいっそう気持ち悪さに拍車をかける。
なんとか耐え続けてきたが、もう限界だ。
「まもなく、○○~」と、ターミナル駅に到着する放送が流れた。快速急行だからこの先しばらく途中の駅には止まらない。降りるならたぶん今しかない。
・・・
電車は扉を閉めて出発した。
"迷惑をかけてはいけない"
それしか頭になかった。男はただ耐えるだけだった。だが…
「うっ、、」
「おい!!お前!何やってんだ!!!!」
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『只今、車内清掃を行っております。お急ぎのところ電車が遅れ、お客様には大変ご迷惑をお掛けし申し訳ございません』
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