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親とか介護とか難病とか

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親の介護が始まったら整理したいことはいっぱいあります。サービス、お金、情報、キモチ。 そんなnoteを集めています。
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母に会うと、お酒が飲みたくなる

母に会うと、お酒が飲みたくなる

1ヵ月経ってしまった。
母のところに行かなくちゃ。

誰に強制されるわけではないのに
母の面会に行けないと
罪悪感で潰されそうになります。

片道1時間。

嫌なわけじゃないけど
どうにも気が進まない。

今日は自分を奮い立たせて
母に会いに行ったけど、両手首を強く握られそのまま腕、そして首へ。

「頭がゴチャゴチャで気が狂う」

そう言いながら、私の首の真ん中を親指で押さえる母。

たぶん、きっ

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優しさが詰まったホスピスに適応できない母。

優しさが詰まったホスピスに適応できない母。

「みんないい人、親切すぎて、息が詰まる。」

なんじゃそりゃ。
前の施設で嫌な思いをした母に、必死で探した施設、ここならきっと大丈夫。そう思って選んだ施設です。

部屋は狭い、しかし〝おーい〟と声をかければすぐ誰かが飛んできてくれる。

台所のトントンと言う音が聞こえる。

誰もが優しく声をかけ、そしてそばに寄り添ってくれる。

こんな温かい場所で死を迎えられたらどんなに幸せだろう。

全ての〝よ

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面会に行けない私に鋭く刺さる優しい言葉。

面会に行けない私に鋭く刺さる優しい言葉。

母にピッタリの場所を見つけたと思って入居した在宅ホスピス。
字の書けない母に代わって、お友達へのお手紙を代筆してくれたり
一緒にポストに出しに行ったり。
母には今までとは全く違う、穏やかな時間が流れている。

ここに入れてよかった。そう思う日が多くあります。

一方で、娘の私は日に日に追い詰められていく感じがします。

「もう少し、会いに来てあげて。」
「お母さま、寂しいと思うの。」

そんな言葉

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母の生きる場所を探してみよう〜ホームホスピスへの引っ越し

母の生きる場所を探してみよう〜ホームホスピスへの引っ越し

半年前、在宅から難病の専門施設に入居した母
その時は、ここで母は最後を迎えるんだと思っていた。

しかし、7月に流行病のクラスターが施設で起こり、
面会が遮断、その後も復活したものの
家族のみ、週1回までのルールが月1回までに変わった。

入居時に何度も確認した幼児の面会も禁止になった。

このルールがいつまでなのかは誰にも分からない。
ただ、母に残された時間は、声をだして人と話せる時間は
もう長

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施設にいる母に会いにいくのが面倒なのは、きっと雨のせいだ。

施設にいる母に会いにいくのが面倒なのは、きっと雨のせいだ。

子供たちを土曜保育に送り、そのまま電車に乗って母に会いに行かなくちゃ。

1週間分の疲れがしっかり背中に乗った土曜、私は朝から自分自身を奮い立たせて、なんとか家を出たのだけど。

保育園に着いたら、3歳のタイの預け薬の書類に不備があり、「今日はもしお熱が出ても痙攣のお薬は入れられません」と言われ、そのまま自宅にお薬手帳を確認しにいくことに。

家に帰ってしまったが最後、もう一度雨の中、母に会いにい

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母の生きる場所を欲張って探してみよう〜在宅は無理=有料老人ホームじゃないはずだ

母の生きる場所を欲張って探してみよう〜在宅は無理=有料老人ホームじゃないはずだ

「夜ご飯食べたらね、ベッドから出ちゃダメって言われちゃうの。
お母さんね、いっつも怒られちゃうの。」

流行りの感染症で母の施設も陽性者が多数出て、1ヶ月半ぶりにやっと面会ができた。

久しぶりに会った母の表情は暗く、元気がなかった。
こんなに変わるものか?と目を疑いたくなるほどだ。

母は、進行性核上性麻痺という転んでしまう病気だ。

3ヶ月前まで在宅でなんとか1人で暮らしていた母だが、室内での

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母の生きる場所を欲張って探してみよう〜本人の意見

母の生きる場所を欲張って探してみよう〜本人の意見

「施設のことずっと悩んでるんだよね」

施設からの外出が許された母に、私の胸の内を伝えた。

私はホスピスに入れたい、母を人として扱ってくれると思うから。
姉は今のままでいい、このままで過不足なく、問題ないから。
叔父叔母は近所がいいという、もっと面会に行けるから。

それぞれの思いがあることも伝えた。
できるだけわかりやすく。できるだけゆっくり。

すると母はニヤッと笑ってこう答えた。

「かん

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母の「何かあった時」のノートに書いてあったこと②〜心を軽くしてくれた〝手紙〟〜

母の「何かあった時」のノートに書いてあったこと②〜心を軽くしてくれた〝手紙〟〜

続きです。

続き。

「何かあった時」

そう書かれたノートを1年ほど前に母から預かった。
エンディングノートのようなものだった。

その中に美しい詩が書かれていた。

2015年6月13日

母が62歳の誕生日を迎えた翌日に書かれたものだ。

母がこの詩を書いた時、まだ病気は発症していないと思われる。

それから7年、まるで予測していたかのように彼女はこの詩のとおりに
今までと違う姿になった。

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母の「何かあった時」のノートに書いてあったこと①〜決意を決めた言葉〜

母の「何かあった時」のノートに書いてあったこと①〜決意を決めた言葉〜

「何かあった時」

そう書かれたノートを1年ほど前に母から預かった。
エンディングノートのようなものだった。

2008年に書き始めた形跡がある。
母が55歳の時だ。

そこには、加入している保険や証券番号、年金の受け取り期間などが細かく書かれていた。

ページを捲るにつれ、読んだ本の感想や簡単な日記のようなものもあり、
ここは読まないほうがいいかなと飛ばして読んでいた。

改めて、このノートを見

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母の生きる場所を欲張って探してみよう〜ホームホスピスという不思議な場所に出会った

母の生きる場所を欲張って探してみよう〜ホームホスピスという不思議な場所に出会った

〝当施設は癌の末期の患者さんのための施設です。お母様は癌の診断は受けていらっしゃいますか?〟

家の近所に小さなホスピスを見つけた。
何日も何日もホームページをみて、施設の前をウロウロしたりした。

ここなら少しだけ美味しいご飯が食べられるかもしれない。
ここなら保育園の帰りに子どもたちとガラス越しでも顔が見られるかもしれない。

急に希望が湧いて、やっぱり諦めないで探すべきだな!と妙な自信まで湧

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誕生日に「おめでとう」と言うことを忘れた母が伝えたかったこと。

誕生日に「おめでとう」と言うことを忘れた母が伝えたかったこと。

誕生日の朝、母からの着信。

〝あ、まだ、覚えてたのかな。。〟

少しだけ嬉しくなった。
日々、認知が進む母、
この電話も全く関係のない電話だったら
虚しいな。

自分の誕生日に親から電話があっても
この電話がお祝いの電話かどうか確信が持てない。

これが今の私の現実だ。

やっと紡ぎ出す母の言葉から
「おめでとう」と言ってくれるのを
ゆっくり待つ。

「あのー、ね、あ、の、ねぇ〜。
お母さん、お

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本当の母の姿を忘れそうで、結婚式の手紙を残すことにした。

本当の母の姿を忘れそうで、結婚式の手紙を残すことにした。

4年前の結婚式で母に宛てて書いた手紙。

自分の気持ちの整理のためにも書いてよかったな、と今は思う。

母が少し変だな、と気づきながらも病名もはっきりせず、年取ってわがままになったな、くらいに思っていた。

それでもまだ、私の中に強くてたくましい母が残っていて、そんな彼女に向けての自分の気持ちを書くことができた。

でも、今同じように書こうと思っても、弱った母の姿がどんどん昔の母のイメージに上書き

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親が認知症かな?と思ったら〜難病と診断されるまで3年間かかりました〜

親が認知症かな?と思ったら〜難病と診断されるまで3年間かかりました〜

母は67歳の時に進行性核上性麻痺という指定難病の診断を受けました。
そこに至るまで、たくさんの診療科を受診しました。

歳相応です、なんでもないです、様子を見ましょう。
そういわれ続けて途方に暮れながら、私は母に病名を付けたいだけなんじゃないか?そう思ったりもしました。

もし、いま大切な人に
「なんか変、なにかある」

と思ったら、それはきっと何かあるのだと思います。

たった一人の事例でもヒン

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子育て世代が親の介護に直面したら【やってよかった10個のリスト】

子育て世代が親の介護に直面したら【やってよかった10個のリスト】

「もう無理だよ、施設に入れよう。」

姉からのその言葉に正直ホッとしている自分がいました。

母の様子がおかしいと思ったのは5年前
そこからあっという間に
家の中は手すりだらけになり
お風呂も自分で入れなくなり
伝い歩きもやっとになった母。

診断名は進行性核上性麻痺、
治療法はありません。

転びやすくなり、
話しづらくなります。
認知症のような症状も出て、
会話があまり成り立たちません。

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