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昭和47年に万景峰号はどう見られていたか

ゆえあって北朝鮮の貨客船万景峰号について調べていたら、読売新聞の記事に出会った。昭和47年7月2日付だ。

横浜読売という県版の記事なのが貴重だ。記者の目を通して、一般市民の反応が分かる。

当時、革新系である飛鳥田市長は万景峰号の横浜港入港を認めていた。

歓迎する人もいたが、反対運動も激しく、結局数回の入港だけで終わっている。

この日の県版には、桜木町というコラムがある。
字が小さすぎてよく読めないが、大意は以下の通り。

著作権に触れないよう、ぼかしてあります。

朝鮮民主主義人民共和国の貨客船万景峰号が 1 日横浜港に初入港した。埠頭には市内に住む在日朝鮮人多数が出迎え、初めて見る祖国の船に祖国。そのものを見るように感激していた。

平壌市の朝鮮社会主義青年同盟中央委員会から招待を受けている横浜朝鮮初級学校舞踊サークルの子どもたちは、この船をどんな気持ちで眺めたことだろうか。祖国の土を踏みたい、美しい風景を確かめたいと望郷の心をかき立てられたに違いない。

夕方、プリンスホテルで乗組員らを招待してレセプションの催されたが、出席した横浜市をはじめ、日朝友好団体の人たちの間では、これを機会に再入国という政治の壁を乗り越え、子供たちの希望を叶えてやりたいという機運が高まっている。

在日朝鮮人は自分の思惑で日本へ来たのではなく、戦時中強制的に移住させられた人が大部分と言われる。戦争から四半世紀以上も経った現在、生活の根拠を日本に持っている人も多い。

本国への往来は事実上閉ざされ。里帰りという名目で細々と続けられているにすぎない。特に子供たちのケースだけに政治抜きで考えてやれないかという声が強い。横浜市では来月中国の上海市から地方自治体としては初めてジュニアサッカー代表団を招待するなど、国交のない国との交流も活発化している。

政治や法律の問題はさておいて一方が良くて一方はなぜダメなのか、国の態度には疑問が湧いてくる。飛鳥田市長は子どもたちが行ったことのない。行ったことがない。母国を見たいと思うのは、人間として当然の気持ち。

法務大臣と直談判をして、でも実現させたいと語っているが、国際都市である横浜が近隣友好の尖兵となって、ぜひ子どもたちの夢を叶えてやってほしいものだ。

読売新聞横浜版

まるで朝日新聞を読んでいるかのような内容だが、当時はこれが一般的な受け止めだったのだろう。

飛鳥田市長をはじめ革新市政の北朝鮮に対する姿勢も興味深いものがある。こういう一般的な理解がある時代に、日朝国交正常化を進めていればよかったのにと思わざるをえない。

ちなみにこの日の新聞には、入港した万景峰号の中が報道陣に公開され、船内には子供向けのおもちゃがたくさんあったとも書かれている。

万景峰号は、いわゆる帰国事業で北朝鮮に渡った日本人妻の家族たちも乗っていた。再開を望む声もある。


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