愛には痛みが伴う マザー・テレサ
苦しい時や困った時に、何回もマザーテレサの言葉に助けられた。画像の言葉は、
傷みを感じるまで与えることが、本当の意味の愛だ。
となるでしょう。言葉の意味を考える前に、彼女の歴史を少し。
マザー・テレサ(1910年8月26日 - 1997年9月5日)は、カトリック教会の修道女で、修道会「神の愛の宣教者会」の創立者。
貧困や病に苦しむ人々の救済に生涯をささげ、ノーベル平和賞を受賞した人道援助の活動家として象徴的な存在だった。
1910年にスコピア(現マケドニア)のカトリック教徒家庭に生まれ、18歳で修道院の教師としてインドに渡った。そこで貧しい人たちの現状に触れ、この地に留まることを決意した。
カルカッタ(現コルカタ)の「地上最悪の住宅環境」と呼ばれたスラム街で約半世紀にわたって貧者救援活動を行った。その活動は全世界に知られ、1979年にノーベル平和賞を受賞している。
マザーテレサは、しばしば痛みについて言及している。
こんな言葉もある。
「私がお願いすること。飽くことなく与え続けてください。しかし残り物を与えないでください。痛みを感じるまでに、自分が傷付くほどに与え尽くしてください」
なぜわざわざ、傷や痛みについて言及するのだろうか。不思議でならなかった。
自分も死ぬほど苦しまねばならない?
自分が貧しくなるほど他人に尽くせと言っている?
そうではない気がする。
「相手の苦しみに共感しなさい」と言っているんではないかな。
10年ほど前のこと。「Happy」という映画が、マザーテレサの貧困者救援施設を撮影していた。そこにドイツ人ボランティアが活動しており、インタビューに答えていた。
「ドイツにいた時には、お金がありおしゃれをしていましたが、ここにきて困った人を助けて本当の幸せを感じた」と話していた。
人間は自分の幸せを考えるのは当然だが、それより大きな幸せを、他人を助けることで感じることもある。
傷みを感じる愛というのは、イエス・キリストが示したものだ。
自らが犠牲になって人びとを愛した。それを見習おうということだと思う。
冒頭の画像は、
から借りました。
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