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最後のデート

 街は日が暮れた。約束の時間まで後わずかしなかった。彼は時計を見ると、イライラしたように赤信号に視線を戻した。

「明日、大事な話があるから」
 最後に電話で彼女はそう言った。何を聞かされるのか、なぜいつもと違う遠くの店で会うのかも言わなかった。
 ただ、いつも明るく快活な彼女の声が、わずかに緊張していたと感じたのは、気のせいだろうか。

 しかしよりによって、電車で30分もかかる店って…
 少しぼやきに似た感想を持ちながら、彼は信号を睨んだ。今までデートでこの辺りに来たことはなかった。どこかのインフルエンサーが紹介して彼女が気に入った店なのだろうか?

 信号が青に変わると、また走りだした。今日はきっと、大事な用事なのだ。しかし、思い当たる節はなかった。いや、1つだけあった。でも、その事は考えたくないし、突然言われる理由も思い当たらない。彼は自分に自信があるとは言わない。それでもできる限り彼女を大事にしてきたつもりだ。ただお互い忙しかったことや、微妙な距離差もあり、確かに会うことは少なかった。たまに会う時も、おおよそ彼女側のスケジュールに合わせるしかなかった。

 路上の猫がこちらを見て、逃げるように電柱の影に隠れた。普段なら見知らぬ猫にも話しかける彼だが、今日はその余裕もなかった。
 静かな路地のカフェに着いた。息を整える間もなく、入り口の扉を押す。店員に彼女の名を告げると、一番奥の、個室に通された。
「ごめんね、こんな時間に」
 彼女は明るい声で言った。
「いいんだ。あ、彼女と同じものを」
 店員にドリンクをオーダーすると、一息ついた。彼女の表情は明るかった。やはり、彼の考えすぎだったようだ。
「で? 大事な話って?」
 少し間があった。
「ごめん。別れて」
「なんだよいきなり」
 彼は努めて平静を装ったが、最悪の言葉が突然出たショックが隠せなかった。彼女は少し下を向くと、いつもの様に前髪を触り、そして静かに言った。
「もう、終わりにして、戻らないと」
「戻るって、田舎に?」
 彼女は首を振った。
「やっぱり、気づいてないよね」
「何のこと?」
「私ね。フィクションなの。本当は架空なの」
 彼は混乱した。
「い、意味がわかんないよ。何の話だよ」
 少し天井を見上げた彼女は、うっすらと涙を浮かべていた。
「ごめんね。あなた自分の理想の彼女像をSNSに書いてたでしょ? 
それで、あなたの友達が応募して、たまたま私がその理想に合うからって、事務所が判断して…」
「何だよ事務所って… 頼むよ。やめてくれよ」
 彼は悲痛な声になっていた。
「本当にごめんね。で、企画は、あ、今までのデートのことね、全部録画されていて、お互いのメッセージも保存されてるの。もちろん、あなたのプライシーがあるから、嫌な動画やメッセージは消すことができるの」
「なんのことだよ!」
 彼は半分パニックになっていた。そして、半分の頭で「SNS上でサプライズを希望しますか?」というチェックマークを、詳細を読まずにチェックしていたことを思い出していた。
「あのね、この部屋も録画しているけど、お願いがあるの。このシーンだけは、企画上重要なんだ。わかるでしょ? 視聴者もこれがないと、ダメなの。あなたはショックかもしれないけど、企画会社とかスポンサーとか、ね? 私もこれをきっかけに夢を前進させたいし。本当に勝手でごめん。それから、今までもらったプレゼントは、お返ししてもいいし、金額を賠償させてもらってもいいの。もし領収書とかあるかな? あ、ごめんね、泣いてるのかな?」
 彼はうなだれて自分の頭を拳でたたいていた。
 悔しくて、悲しくて、愚かで、情けなかった。
 いくつものシーンが頭の中で蘇り、彼女の弾けるような笑顔が悲しく上書きされ、やがて見えなくなっていった。少し黙っていた彼は、スマホを一瞥すると言った。
「僕からもごめん。このシーン、途中からLIVEでネットに流してるんだ。カメラの位置は悪いけど、音だけでも内容わかるみたい。もう、視聴者数が1万を超えた。あ、やばい2万超えた。ねぇ、こういう場合って、この動画の権利どうなるの?」

 そう、彼もまた、ネット上にファンをもつ趣味のクリエーターだった。わずかながら、広告収入も得ていた。既に彼のアカウントには、たくさんのコメントや「いいね」が氾濫していた。

 静かな路地のお洒落なカフェの個室で、お互い困った顔で見つめ合う2人を、大勢の視聴者がネット越しに覗いていた。どこかで寂しそうな猫が鳴いた。