生きることは「悲しみ」に近く

はじめまして。吉田 真樹(よしだ まさき)と言います。山梨県は甲府市在住で、山梨ではま…

生きることは「悲しみ」に近く

はじめまして。吉田 真樹(よしだ まさき)と言います。山梨県は甲府市在住で、山梨ではまだ数少ないとされている、男性オイルトリートメントセラピストです。 こちらでは、普段の活動や宣伝以外の、私の個人的な想いや気持ちを書き出していきたいと思っています。

最近の記事

課題シリーズ1:祈り、とはなにか。

現在、与えられた題に対して15分程度で自分の思いや考えを述べるという課題を行っています。 自分と先生だけのものにするのももったいないので、課題が完了次第、noteでシェアしていこうと思います。 ✢✢✢✢✢✢✢ Q:あなたにとって、祈り、とはなにか。 A:祈りと聞いて思い出すのは、手塚治虫の『ブッダ』の中での、ブッダのセリフです。 たしか「財のある者は施しをすると良い、力のある者は誰かを助けてやれば良い。財も力もない者は・・・誰かのために祈るといい。それが巡り巡って、今

    • ココロの避難所

      コンプライアンス的なこともあるので詳細は語れないが、ゴールデンウィーク中にセッションを行った方は、皆「ココロの避難所」を求めていた。 人間関係に悩む人は多い。どこにも言えない苦しみや悲しみを抱えている人だって大勢いるし、その苦しみや重荷は墓場まで持っていくという決断をしている人だっているだろう。 「孤独を感じる人は、本当は孤独になることを切望している」 これは本当にその通りで、人はどこかで、今の人間関係や境遇や状況と切り離された「独りの時空間」を求めている。 それは他者

      • 「癒し」が必要とされる時代は、終わるのかもしれない

        「癒し系」という言葉も聞かなくなりましたね。『ARIA』は全巻持ってました。 * セラピストなので、人を癒すことがビジネスとしてのミッションになるんですけど、人を癒すことがビジネスとして成立するためには、それだけ癒しを必要とする人の存在が不可欠になるわけです。需要と供給ですね。 そういう意味で言うと、今「癒し」を必要としている人の数って、どんどん減っていっているような気がするんです。世の中を見ていると。 純粋に身体的に疲れたということから、精神的に寂しくて心細いというこ

        • 山梨はFacebookと化している

          575。というわけではなくて。 山梨に限らず、地方全体に言えることだと思うんだけど、地方に移住すると「圧倒的他者」に出会う機会が極端に少ない。 圧倒的他者というのは、この人一生接点がないだろうなという縁もゆかりもない人のこと。 東京に住んでいた頃は、圧倒的他者の出会いに満ちていた。 表参道や原宿を歩けば下着姿に全身タトゥーを施したゲイの人なんかが普通にキティランドで買い物をしたりしていたし、朝6時の通勤電車の中から向かい側のホームで彼女をぶん殴っているクズな彼氏を目撃した

        課題シリーズ1:祈り、とはなにか。

          人生の到達点

          皆さんは「人生の到達点」ってどこだと思いますか? 「人生のゴール」と言い換えてもいいかもしれないし、「人生の目的」と言ってもいいかもしれない。 「それは、“忙しくないこと”だ」と言った人がいるんです。 もうご縁はなくなってしまいましたけど。 なぜ人は結婚するのか、なぜ人はお金を儲けたいと思うのか、なぜ人は科学を、技術を現代まで進化させ続けてきたのか。 すべては「忙しくない状態」を作り上げるという目的のためなのだ、と。 まあそれが全てではないんでしょうけど、一理はあるな、

          悲しみに溢れているのは当然良くないんだけど、喜びに溢れているのも良くないと思う。どちらも何かから目を逸らしているような気がするから。 常にフラットでいること。そう、「私は一人、森の中にいる」ような。

          悲しみに溢れているのは当然良くないんだけど、喜びに溢れているのも良くないと思う。どちらも何かから目を逸らしているような気がするから。 常にフラットでいること。そう、「私は一人、森の中にいる」ような。

          人生に「今度」と「いつか」は存在しない

          あまり日頃、いわゆる名言・金言の類にうっとりするほうではないんですけど、さすがに実生活の中で自分自身に向けられて言われたことはよく覚えていて。 『人生に「今度」と「いつか」は存在しない』 メガネ屋の店員時代に先輩から何度も聞かされた言葉です。 特にアパレル系のショップなんかではありがちだと思うんですけど、お客さんが来店したと思ったら、商品をぐるぐると物色するだけして、そして最後に言うんですよ。 「また今度来まーす」 その度に先輩は言うんです。 「人生に、今度といつかは存

          人生に「今度」と「いつか」は存在しない

          3.11に寄せて

          3月11日、午後14時46分。 甲府市でも市長の演説が流れ、1分間の黙祷が捧げられました。 今日は在宅ワークをしていたので、家でその瞬間を過ごすことになったのですが、やはり今年は思うところがありました。 3.11に黙祷を捧げることが鎮魂を意味するのなら、来年からは毎年元旦が、また鎮魂の日となることでしょう。 年が明けるということの意味合いが大きく変わる、その瞬間に、私たちは立ち会っています。 もう誰もが語り尽くしたかと思いますが、3.11のその瞬間、私は北千住の荒川沿いを

          How did the other team feel?

          (この記事は、Instagramにて2月3日に掲載した文章の転載です。) ✢ スヌーピーとチャーリー・ブラウンが主人公の『PENUTS』という有名なマンガがあって、その有名な逸話の一つに 「How did the other team feel?」 というものがあります。日本語訳すると、画像の通り「負けたほうのチームはどんな気持ちだったんだろう?」。 勝負事に勝ったとか、夢を叶えたとか、新しい世界の扉が開いたとか、お金を儲けたとか、なんでもいいんですけど、どんなことにだ

          「触れる」ことの意義

          この記事はは2024年1月31にインスタグラムに投稿した文章の転載です。 ✢✢✢✢✢✢✢✢✢✢✢✢✢✢✢ 池袋を中心に活動する『TENOHASHI』というホームレスの方々を支援する団体があって、何度か炊き出しのボランティアに参加したことがあるんです。 お昼から野菜を切ったりご飯を炊いたりして、お味噌汁やおにぎりを作る。それを夕方にサンシャインシティ近くの公園に持っていって、路上生活を余儀なくされている方にお配りする。 炊き出し班は大きく3隊に分かれていて、食事を配る人、

          生きることは「悲しみ」に近く

          はじめまして。吉田 真樹(よしだ まさき)と言います。山梨県は甲府市在住で、山梨ではまだ数少ないとされている、男性オイルトリートメントセラピスト“候補生”です。 こちらでは、普段の活動や宣伝以外の、私の個人的な想いや気持ちを書き出していきたいと思っています。まあ、ちょっとしたメルマガみたいなものにできたらいいなと。よろしくお願いします。 ・このnoteタイトルの意味について 『生きることは「悲しみ」に近く』。 タイトルは山田太一先生の著書『生きるかなしみ』のオマージュで

          生きることは「悲しみ」に近く