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面白い話をする人の話

今年に入ってからゼミを始めた。
基本は自分が調べてきたことや、考えていることをスライドにまとめて、聞き手を想像しながらまとめている。
できれば、面白いと思ってほしいから、つまらないことでも笑いに絡められないかなとか、内容自体分かりにくくないかな、とか考えて、小ネタを埋め込んでみたりしている。

昔からそうだ。
できれば、自分の話で場を和ませたい。だけど「俺って面白いだろう」みたいな、オラオラな性格ではないので、爆笑をかっさらうというのは得意としていない。なんか面白い、クスッと来る感じが好きである。

昔から、つまらない日常を彩ってくれたのはお笑いだ。
幼い頃は、親も慣れない育児で殺伐としていたのか、若干ADHD気味な息子に手を焼いていたのか、まだ親自身が幼かったのか、よく分からないが彼らの容量を超えて、特に父親によく怒られた。母もそれが当たり前となったのかよく怒っていた。
そんな中、生まれた時からテレビがずっとついている家庭だったし、親も当時ブームだったお笑いを熱心に見ていた。自分の基礎教養は80−90年代のテレビだ。

そんなことで怒られすぎて自己否定的な、人前では緊張して話のできない引っ込み思案な性格な子になってはいたが、とにかく土曜日の夜にビートたけしと明石家さんまが子供にはよくわからないネタで笑ったり、飛んだり跳ねたりしているのを見るのが楽しみで楽しみで楽しみでしかたなかった。ここでひと笑いすれば一週間の嫌なことが帳消しになった気がした。

何がそんなに楽しかったのかよくわからないが、自分が笑いについて少しこだわったり、自分の周りでも何か会話の中にユーモアがないと違和感があると感じるのはこれが大きなきっかけだと思う。

今でもYouTubeで見ることのできるビートたけしのネタで、これならまぁ紳士淑女の皆様の前に出しても恥ずかしくないものがあったので紹介してみる。北野ファンクラブという番組の一幕である。(大抵は女性関係や、暴力、性に関する話が絡んできて過激すぎて出せない。本当はそういうのが面白いのだが)



北野ファンクラブという番組は、当時たけしさんがやっていた「ビートたけしのオールナイトニッポン」というラジオ番組の大好評を受けて、そのテレビ版をやるということでフジテレビの深夜に放送されていたのものである。聞き手は放送作家である高田文夫さん。このコンビ以外考えられないという名コンビである。

この回ではたけしさんの所属芸能事務所である「株式会社オフィス北野」の株主総会をモチーフに話をしていく。オフィス北野は太田プロから独立したたけしさんとその弟子達(たけし軍団)のマネジメントを行うために設立されたマネジメント事務所であるが、この後たけしさんは映画監督「北野武」として、数々の名作を生み出していく。その時にもこのオフィス北野が制作会社として名を成していく。
総会が始まると、まず事業の概要報告。真面目な報告の中で若手の有望株として「青空トッポライポ」の名前がコールされると、一同笑ってしまう。
弟子達の名前は、全てたけしさんがつけているのだが、本当にしょうもない名前が多い。青空トッポライポという名前も、青空球児好児と、コロムビア・トップ・ライトという先人の名漫才コンビの名前を二つくっつけたもので、名前自体がギャグのようなもの。最後の方に出てくる負古太郎(まけふるたろう)というなまえも昭和の名優勝新太郎のパロディだ。とにかくくだらないのである。
議長であるタチ社長が(たけしさんは専務だ)、議案を上程していくのだが、次々に森副社長が「ギチョー!それは議長に一任します」と連呼して、次々に可決されてしまう。たけしさんはちょっと言いたいことがあっても、言い出せず「何だかなぁ」とスルーされていってしまう。この次々「ギチョー!」となるところが面白い。
実は、森副社長は、その後北野武監督の映画を次々ヒットさせた功績により、社長となる。だが、経営陣の役員報酬の多さと、それに比してたけしさんはじめマネージメントされる側のたけし軍団のギャラ配分が少なすぎるとして、取締役を解任され、オフィス北野は解散。社名もTAPに変わってしまう。まだまだそこに至るのは随分先の話なのだが、この話の端々に、その決裂の一端が垣間見える。

たけしさんは貧乏な中から教育熱心なお母さんのおかげで学を身につけ、そして浅草で芸人に弟子入りし、世に出てきた人だ。だからこういう小話にも、本当は社会の暗い面や底辺の辛さ、それに対する怒りが隠れていることも多いのだが、それでも視点を変えれば、面白い話として大爆笑に持っていく。

落語家の立川談志は、落語の真髄を「人間の業の肯定」と定義づけた。
たけしさんも当然談志の後の世代の人だし、東京の笑いの人だから、談志のこの姿勢と、彼がテレビやラジオで成し遂げた世界観には当然触れているだろう。
僕らの世代からすれば偉大なビートたけしだが、その下地を作ったのは立川談志である。
その彼が、「人間の業の肯定」といい、後に続くビートたけしは「しょうがねぇなぁ」と半笑いで周りの人のだらしなさや、悪辣さ、いい加減さ、どうしようもなさを笑い飛ばしていった。その面白さが痛快だった。
たけし軍団に入ることはなかったけれど、自分の話を少しでも面白くしたいという色気を出してしまうのはたけしさんの影響としか言いようがない。
西洋政治思想史のゼミとかやっちゃったりしている中、意外に思われるかもしれませんが、ゼミの話がちょっと面白いとすれば偉大なこういう先人のおかげだと思っております。。

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