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柴田家アメリカ日記①アメリカ行くかも、で買い物依存を克服

こんにちは。
元アパレル店長。クローゼットオーガナイザーの柴田敦子です。

現在、クローゼット片づけ、骨格診断や洋服のコーディネートなどお洋服まわりの専門家としてフリーランスで働いています。

ずいぶん昔のお話ですが…
2011年4月から、2015年7月まで、夫の仕事の都合でアメリカに住んでいました。

当時、長男3歳・次男1歳、夫と私の家族4人がトランク3つで渡米したときの話を、子育ての記録として、1ヶ月ごとにまとめていました。
そのときの日記にエピソードを加えて、こちらにまとめて書き留めたいと思います。

帰国してからあっという間にもうすぐ10年。

仕事も辞めて子育てひと筋、専業主婦だった私が、片づけのプロになり、出産前の職業だったファッションと絡めて仕事をするようになったのも、渡米した経験があっらからこそ。

直接片づけやファッションに関係ないかもしれませんが
「シンプルに暮らそう」
そう思うきっかけになったのは間違いありません。

読んでいただけたら嬉しいです!


アメリカ行くかも…


金沢生活3年目(2010年)のある日、学会へ参加している研究者の夫からメールが入った。
*出身は愛知ですが、当時金沢に住んでいました。

「アメリカ行くかも」

すごい大事なことなのに。
たったの8文字…

ずいぶん気軽に言うけれど、こりゃ行くことになりそうだと直感する。

そして、あっさりと実現する。

当時、大学で研究員をしていた夫は、2011年4月1日より、アメリカノースカロライナ州にあるデューク大学で研究員となることになった。

夫はただの研究員だったので…会社の辞令のように何日からいらっしゃいという約束がない。

夫の場合は、異動や駐在ではなく、転職に近い感じで、迎え入れてくれる研究室があれば、自分たちで日にちを決めて行くだけ。

大阪の領事館でビザを取得して、片道の航空チケットを取ったら、やっとアメリカへ行く実感が湧いた。

領事館のついでにUSJへ行きました。


渡米直前の2011年3月11日。
東日本大震災が日本列島を襲った。

ちょうど、渡米に向けて断乳をしており
「おっぱいが痛すぎる!早く帰ってきて!」
と夫にヘルプを要請。
たまたま早く帰って来てもらった日だった。

街や人が津波に飲み込まれるテレビ画面を、夫婦で茫然と見つめた。

「日本がこんなに大混乱している中でもアメリカへ行くの?」
と、友達に聞かれたが、私もわからない。
でも、誰からも「来るな」とは言われていない。

渡米前に金沢から実家のある愛知へ帰り数日滞在。
出国当日、名古屋から成田空港への成田エクスプレスは地震の影響で運休。
京成スカイライナーを乗り継いで成田空港へ向かった。

空港まで母、弟、叔母、従姉妹が見送りに来てくれた。
別れ際、泣いた。

もちろん、淋しさもあったけれど、泣くついでに、急に渡米への不安が押し寄せてきて、余計涙が出た。

出国ゲートを越えたとき、それまではいつもと変わらない様子だった長男が、急に泣き出した。

後戻りできない雰囲気を感じ取ったのだろう。
「どうしたの?」と聞いたら、「なんでもない」と言いながら嗚咽が漏れる。

夫が抱っこすると「ばぁばがいい!」と言いながら号泣し始めた。
多分、「離れたくない」という意味だったと思う。
飛行機に搭乗してもしばらく泣き止まず。

3歳10カ月の4月1日。
日本にいれば、ちょうど幼稚園入園の春だった。
(当時の日記より)

到着して数日後、ホテル暮らしの頃。シャボン玉を楽しむ息子たち。


渡米前に買い物依存を克服

「アメリカ行くかも」
と告げられたのは、渡米するまで半年以上はあるけれど、1年はない。
それぐらいの期間だったと思います。

夫は以前から海外に興味はあったものの、次男も生まれたし
「よっぽど海外に行く選択肢はないね。」
と話していた矢先の出来事でした。

当時、モノが大好きだった私は、洋服はもちろん、お皿や雑貨に目がありませんでした。
買うことも大好きで、新しい家族ができてインテリアや雑貨、食器にも興味があり、「趣味は買い物!」と言っても過言ではない生活を送っていました。

冷蔵庫も電子レンジもホームベーカリーも全部手放したけど、写っている横長の机は、今も使ってます!


そんな、買い物依存だった私が
「買っても持っていけない。」
強制的に買えない状況が
「買わない自分」
になるためのいいトレーニングになりました。

どうしても買いたくなったときは
「アメリカに自腹で引越しをするとしても持って行きたいかどうか?」
これを考えると、だいたい「いらんな」ってなります。

当時の息子たちは、幼稚園に入園前で、1日中べったり。
周りのお母さんたちは、「幼稚園どこ行く?」なんて話をしていても、私たち親子は話に入れず、孤独だったなぁ。
「アメリカ行くから」とも何となく気軽に言えず…
(私自身、本当に行くのかな?と半信半疑だった)

地元ではない土地で、人間関係に深くは踏み込めず、それも淋しかったです。

それでも、数人のお友達にお別れ会を開いてもらったり、雑貨や食器を引き取ってもらったり、お世話になりました。

大量の家財道具を手放すのは、本当に本当に大変でした。


次回は、渡米時に具体的にトランクに入れたモノなどをアップします!


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