見出し画像

NHKは、なぜ「ヴィンランドサガ」2期を放送しなかった?

今回は、「ヴィンランドサガ」について書きたい。
これ、叙事詩系アニメとしては間違いなく最高峰のひとつだよね。
これの原作者の幸村誠先生は「プラネテス」(NHK放送アニメ)の作者でもあり、全く違う系統の作品で、しかもどっちもが傑作。
ホント、凄い先生だよな~。

これは1期がNHK放送だったのに対し、2期からはNHK外れたんだよね。
よって、1期までしか見てない人って案外多いんじゃない?
それはいかん。
「ヴィンランドサガ」は、むしろ2期こそがキモである。
元々この作品はプロットがしっかりしており、1期には数々の伏線が張ってあり、2期でそれらをごっそり回収する構造になってるんだ。
1期は、転落の章。
主人公のトルフィンは、この章で人生の岐路に立つたびに、ことごとく判断を誤るんだよ。
まず、戦士を志す彼(まだ年齢は小学生ぐらい?)は戦場に赴く父に勝手についていき、その結果、自分が敵の人質にされたことが原因で父が殺されてしまう。
さらに、父の仇討ちをしようとして仇の海賊に随行し、その結果、彼自身が海賊の一味になり、村を襲い、火をつけ、略奪をするところまで身を落としてしまう。
人もたくさん殺すようになる。
いやホント、こいつアホなの?と思うほど、やることなすこと全て間違ってるんだよ。
結果的に彼は地獄を見ることになるんだけど、それはほとんどが自業自得といっていいさ。

トルフィンの父・トールズ

ちなみにトルフィンの父親・トールズは、レジェンド級の元戦士である。
作中最強キャラなのは間違いない。
1期の第2話で、この父は幼いトルフィンと次のような会話をしている。

トールズ「剣は人を殺す道具だ。
お前はこれで、誰を殺すつもりなんだ?」
トルフィン「・・敵」
トールズ「お前の敵は、誰なんだ?」
トルフィン「・・ハーフダン、とか・・」
トールズ「よく聞け、トルフィン。
お前に敵などいない。
誰にも敵などいないんだ。
傷つけてよい者など、どこにもいない」

この会話に、ほとんど「ヴィンランドサガ」のテーマが集約されてるんだよね。
ただし幼いトルフィンは当時父の言葉を理解できず、ちゃんと理解するまでには結局十数年の歳月を費やしている。
というよりも、彼がこの時の父の言葉とは真逆の行動をとってしまったのが1期のプロットであり、やがて奴隷にまで身を落とした彼が、その後にも数々の痛みを経て、ようやく父の言葉の意味を理解するに至るというのが
2期のプロットである。
2期は再生・開眼の章。
トールズは生前、こうも言っていた。

本当の戦士に、剣はいらない

至言だね。
トールズって当時にしては珍しいリベラルな思想をもつ人物で、既にイエスキリスト的境地にまで至っている。
面白いもんで、1期ではあれほど野獣っぽい目つきをしていたトルフィンもまた、2期で開眼以降、だんだんと風貌がイエスキリストっぽくなっていくんだよ。
そしてクライマックス、「本当の戦士」を志すと決意した彼は剣を捨てた上で彼なりの戦い方を模索し、誰一人傷つけることなく、ひとつの大きな勝利を得るに至る。

1期のトルフィン
2期のトルフィン

もちろん3期以降もアニメ化は継続すると思うが、最悪、2期で完結という形にしたとしても筋は通るほどに、【1期+2期】というユニットにおける起承転結は完璧なんだよね。
いやホント、これほどテーマが一貫してて、尚且つこれほど綺麗に伏線回収をできてるアニメも珍しいよ。

ノーテンキ↑↑

こんなこと言ってるルフィを説教したくなるほどに、「ヴィンランドサガ」における海賊の描写はエゲツないものである。
「ワンピース」における麦わらの一味は、一応海賊の名を冠しているもののその実態は単なるトレジャーハンターであり、本物の海賊はあんなものではない。
海賊船で海岸から上陸して村を襲い、村人たちを殺し、略奪行為をする。
それが真の海賊というものである。
1期では、トルフィンが同行する海賊団が途中から軍と共闘をするようになり、だんだん海賊と軍の境界線が曖昧になっていく。
というか、このふたつにそれほど大きな差はないんだ。
軍もまた海岸から上陸して武力で村を制圧し、略奪行為をしてるんだから。
堂々と彼らは「略奪は戦勝者の権利」と主張しており、これが当時の常識だったんだろう。
農民たちが手間暇かけて生産してきた農作物の備蓄を、僅か一日で根こそぎ全部奪っていってしまう。
そう、農民は「生産」によって財産を作るが、軍人は「略奪」によって財産を得るものなんだ。
この「略奪」というご褒美があるからこそ男子に「軍人になりたい」というモチベがあるわけだし、これは当時として世間一般に公認されたシステムだったんだろう。
たくさん人を殺す人が男子にとっての英雄という空気ゆえ、当然だが自分の村が襲われて全て奪われ、家族を皆殺しにされたところで、今さら誰も文句なんぞ言えんわな・・。

トルフィンに大きな影響を与えた海賊(兵団長)アシェラッド

基本、戦争で勝った側は負けた側の住民たちを連行し、彼らを奴隷商に売ることで金銭を得る。
だから、たとえ元は貴族だったとしても、いきなり奴隷になることもある。
ホント、酷いシステム・・。
だけど、こういう弱肉強食を経て生き残り、その最終的勝者になった者こそが国王なんだ。
つまり、王の権力の源泉を辿れば、それは暴力・略奪・殺戮に他ならない。
こんなのはよく考えればごく当たり前のことかもしれんが、でも、こういう当たり前のことをリベラルな現代に生きてる我々は普通に忘れちゃってるんだよね。
野生の猿の群れだって、ボス猿を決めるシステムは暴力による勝負らしいよ。
まあ、人間も猿と変わらんということだ。

「キングダム」

「ヴィンランドサガ」と、テーマ的に思いっきりカブるのが「キングダム」である。
奇しくも両方NHKアニメなんだけど、「さすがにクドい」として2期から「ヴィンランドサガ」をNHKは外したのかも?
「キングダム」5期のメインキャラ桓騎は、どこかアシェラッドの存在感とカブるんだよねぇ・・。
アシェラッドも桓騎も冷酷非情で、時に非武装の者たちを皆殺しにすることすら厭わない。
欧州だろうがアジアだろうがやってることはほぼ同じなわけで、こういうのはどうしようもない人間の本質なんだろう。
彼らの虐殺行為は、結果を出すことで正当化をされている。
虐殺される者たちに人権はないのか?」と現代のリベラルな基準で考えてもしようがない。
基本、この時代は一般人に主権はない。
主権は土地を所有する領主にあり、そこに住まう者たちの定義は土地に付属する財産、ということらしい。
つまり、その土地に生えてる樹木と同等の位置付けで、その所有権は領主にあり、生かすも殺すも犯すも領主の自由にできる。
そういや、「初夜権」というのもあったね。
領地内で結婚する夫婦の初夜に、新郎より先に領主が新婦とSEXできる権利を明文化した法があったらしい(笑)。
そんなのがあった時代から、よくまぁ民主主義なんて思想にまで辿り着けたもんだわ。

「ヴィンランドサガ」と「キングダム」の大きな違いをひとついうと、それは主人公のスタンスだろう。
「ヴィンランドサガ」トルフィンは、紆余曲折を経て非暴力という境地まで辿り着いて剣を捨てたが、一方「キングダム」シンは暴力を否定するところには決していかない。
どっちかというと、クヌート王に近いスタンスかなぁ。

クヌート王

そういう意味では、視聴率的においしいのは「キングダム」の方なんですよ。
ばっちりバトルシーンで数字を稼げるからね。
一方、「ヴィンランドサガ」はトルフィンが剣を捨ててしまった以上、これ以降のバトルシーンはさほど期待できないだろう。
うむ、NHKが「キングダム」の方をチョイスしたのも納得だわ。
とはいえ、その物語性、平和へのメッセージ性で完璧なのは「ヴィンランドサガ」の方であり、やっぱりNHKは放送すべきだったと思うのよ。

・進撃の巨人
・キングダム
・ヴィンランドサガ

この3つは共通したテーマがある叙事詩系アニメで、やはり大河ドラマ本家のNHKこそが放送すべきものである。
付け加えると「ヴィンランドサガ」1期の制作がWIT STUDIOだったのに、2期からMAPPAになっている。
そういや、「進撃の巨人」の時もWIT STUDIO⇔MAPPAで行ったり来たりしてたっけ・・。
この両社、一体どういう関係なんだろう?


この記事が参加している募集

コンテンツ会議

アニメ感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?