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細田守監督、売れるアニメの作り方

今回は、いまやアニメ界屈指のヒットメイカー、細田守監督について書いてみたいと思う。
この人の映画って、必ずといっていいほどヒットするよね。
そもそもアニメの監督って、「内容は素晴らしいクオリティだけど、興行的にはイマイチ」という人が多いと思わない?
押井守、今敏、湯浅政明あたりが、その典型かと。
その点でいうと細田監督は、クオリティ的にも興行的にも一定以上の水準を必ずクリアできる稀有な人材である。
こういう人材、他には宮崎駿新海誠、庵野秀明ぐらいしか思い浮かばないよ。
彼らに細田さんを加えた四名が、実質現代日本アニメ界の四天王だろうね。

「竜とそばかすの姫」(2021年)

細田監督の最新作「竜とそばかすの姫」は、国内興行収入66億円。
ワンピース」や「名探偵コナン」や「ドラえもん」のようにブランド力を背景にした作品ではないのに、こうして売れるというのは素晴らしい。
いまや、細田守という名前自体がブランド。
で、問題は内容である。
皆さんは、「竜とそばかすの姫」を見た?
私は見たんだけど、その率直な感想は
これ、『サマーウォーズ』のセルフリメイクじゃん?
という感じだった。

「サマーウォーズ」(2009年)

かつて「サマーウォーズ」が<OZ>というネット上の仮想空間を舞台にしたのに対し、今回「竜とそばかすの姫」でもまた<U>という仮想空間を舞台にしている。
どちらの空間にも巨大クジラが登場しており、ひょっとしたら両作品は同じ世界線の設定かも?
で、両作品とも「旧来型のコミュニティ」と「新型のコミュニティ」を対峙させる構造になっている。
ちなみに、「サマーウォーズ」では

旧来型のコミュニティ⇒家族(陣内一族)
新型のコミュニティ⇒ネット民(OZ)

となってて、それと同時に

旧来型の知能⇒主人公・健二の演算能力(数学が得意という設定)
新型の知能⇒AIプログラム・ラブマシーンのハッキング能力

も対峙させている。
とても分かりやすい、「新旧対決」構造なんだよね。
当然、「竜とそばかすの姫」でもこの対立構造を踏襲しており、

旧来型のコミュニティ⇒ご近所の人たちのサークル「合唱隊」
新型のコミュニティ⇒ネット民(U)

という形になっている。
ヒロインは、「合唱隊」(旧来型)メンバーであると同時に<U>の中のバーチャルアイドル(新型)でもあるという、微妙な立ち位置。
さらに今回は、それにもうひとつのヒネリを加えた応用編になってて、

旧来型のコミュニティ⇒家族(恵と知とシングルファーザー)

これにおける<家庭内暴力><毒親>という新要素が追加されてるんだわ。
「サマーウォーズ」では、「家族っていいね!」とポジティブな空気だったのに、「竜とそばかすの姫」では「家族って怖い・・」というネガティブな空気を演出してきやがった。
確信犯的に、細田監督の逆説的なアプローチである。
つまり「竜とそばかすの姫」は「サマーウォーズ」のリメイクというより、むしろ「サマーウォーズ」の解体、といった方が正しいんだろうね。
実はこういう解体、細田監督の得意技である。
・・じゃ、そのへんを詳しく説明していこう。

劇場版「ワンピース」オマツリ男爵と秘密の島(2005年)

まず、細田守を語るにおいて欠かせないのが、彼の長編デビュー作。
それが「オマツリ男爵と秘密の島」である。
これ、見たことある?
上の画像は楽し気な雰囲気になってるけど、実はこれ、鬱作品なんだ。
多分、コアな「ワンピース」ファンには評判悪い作品なんじゃないかなぁ・・。

本編ではめったに見られない、鬱なルフィがこの作品では見られます

というのも、いつもは固い絆の強さを見せてくれてる麦わらの一味が、この作品に限って微妙にその絆が崩壊しちゃう展開なんだよね。
ナミに至っては、ウソップが話しかけても無視するという、もはや本編では考えられないほど陰湿な塩対応である。
そう、細田監督は「劇場版としてのスペシャル感」を演出する為か、麦わらの一味にとって最大のストロングポイントというべき、「絆」に敢えて負荷を与えたわけね。
分かりやすいドツキ合いではなく、真綿で首を絞めるような精神攻撃。
そして、決して老獪とはいえないルフィ。
シンプルなドツキ合いならまだしも、このての精神攻撃に対して彼はやはり弱かった・・。

ある意味、「ワンピース」史上最大の危機がここに描かれてるんですよ。
これは、細田監督なりの「ワンピース」解体だったんだろう。

「時をかける少女」(2006年)

そして「解体」といえば、「オマツリ男爵」の翌年に制作された、コレ↑↑もそうである。
時をかける少女」といえば80年代の実写版(大林宣彦監督作品)が基本だろうに、細田監督はその大林版を見事に解体し、全く別物の青春ドラマに仕上げた。
ヒロインは、原田知世とは似ても似つかぬ、バカでガサツな女子。
というか、これは実写版のリメイクではなく、原田知世演じたヒロインの姪が今回の主人公という設定っぽい。
だけどコレ、めっちゃいいんだよな~。
歴代細田作品の中で、私はこの「時をかける少女」が一番好きかも。
確か、この作品は丸山正雄プロデューサーの企画で、彼が細田さんを名指しで監督指名したんだよね。
おジャ魔女どれみ」の神回「どれみと魔女をやめた魔女」(原田知世出演回)を見た丸山さんが「監督は細田しかいない!」と直感したんだそうだ。

「どれみと魔女をやめた魔女」
細田監督は「時をかける少女」でも「どれみ」のÝ字路を描いた

ある意味、細田監督は「解体」の天才じゃないかな?
で、それを踏まえて「竜とそばかすの姫」に話を戻すんだけど、これは自身の過去作「サマーウォーズ」の解体であり、一種の反転構造で再構築してるんだよね。

【サマーウォーズ】
現実世界の人間たちが結束して、仮想世界の最強AIに立ち向かっていく物語

【竜とそばかすの姫】
仮想世界のアバターが現実世界の人間たちと連動・結束し、現実の虐待児童を救済していく物語

構造は反転して若干複雑化はしてるものの、肝心のメッセージ性については意外とブレてない。
おそらく細田さんの考え方は、「現実世界がいい」とか「仮想世界がいい」とかじゃなく、むしろ「どっちの世界にも光と闇があるでしょ?」って感じである。
「サマーウォーズ」では主に仮想世界の闇を描いて、「竜とそばかすの姫」では仮想世界の闇と同時に、現実世界の闇までも描いた。
こういう構造は理路整然としてて、とても分かりやすい。
でもって、「竜とそばかすの姫」では

・ディズニー「美女と野獣」をモチーフに設定
・バーチャルアイドルの音楽劇に設定
・「アナと雪の女王」等のデザイナーを起用
・ゲーム「ファイナルファンタジー」等のディレクターを起用

という売れセンをメガ盛りにしてブチ込んできたわけだし、これは意図して「サマーウォーズ」の発展形・進化形を狙ったんだろう。
そもそも「サマーウォーズ」自体が、細田さんが昔手掛けた「デジモン」の発展・進化形とも解釈できる。
ひょっとしたら今後、彼のこのパターンは継続するかもしれんぞ?
おおかみこどもの雨と雪」の発展・進化形とか、あるいは「バケモノの子」の発展・進化形とか・・。

「時をかける少女」に見るリア充感

多分、細田さんって本質が売れセンなんだよね。
でなきゃ、上の画像みたいのを恥ずかしげもなく描けないでしょ?
新海誠が「君の名は。」でその境地に至るまで、一体どれほどの長い歳月を費やしたことか・・。
細田さんが「時をかける少女」を公開した頃、新海誠はまだ「秒速5センチメートル」を鬱々と作ってたんだから(笑)。

あと、細田さんのキャリアで忘れちゃならん作品といえば、「ハウルの動く城」。
これは宮崎駿の作品として我々は認識してるが、もともと企画スタート時の監督は細田さんだったという。
一説には、宮崎駿による細田さん監督ご指名だったとやら?
ところが、なぜか彼は制作に入る直前で降板してしまった・・。
彼が描いた絵コンテはもうほとんどが仕上がってたらしいのに、現在確認をできる「ハウル」のスタッフ表記に、彼の名前はどこにも残っていない。
つまり、全ボツのご破算にされちゃったわけね?
実際、何があったのかは全く知らんけど、あるいは彼の原作「解体」が度を過ぎた可能性もあると思う。
ワンピース「オマツリ男爵」見てると、何となくそんな気がしてね・・。
でも、これと似たケースが過去にもあったと思わない?
そう、押井守「幻の劇場版ルパン三世」さ。

幻に終わった、「ルパン三世」押井組の豪華な顔ぶれ

実は、押井守も過去に「ルパン三世」で細田さんと全く同じ流れを経験していて、
①宮崎駿から監督指名
②張り切って制作スタート
③しかし、なぜか途中で制作は頓挫し、監督降板・・

ということになったわけだ。
私は、こういうのを「宮崎駿の呪い」と名付けている(笑)。
ちなみに、押井さんにとってこの降板はかなり精神的ダメージが大きかったらしく、その鬱々とした状態で制作したのが、あの怪作「天使のたまご」だといわれている。
なるほどねぇ・・。
さしずめ、細田さんにとっての「天使のたまご」が「オマツリ男爵」ということなのか?
そう解釈すると、私としてはとても腑に落ちるんだよね。


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