なぜNewJeansは今、80sに回帰したのか『Bubble Gum』
MV早速聴きました。時代を牽引する最強五人組K-POPグループNewJeansの新曲『Bubble Gum』。
かつてのR&Bにイマっぽいスマートさをプラスしたコンセプトの『Attention』でデビューし(SPEEDっぽいなんて言われていた)、『Ditto』から『Super Shy』までは90年代っぽいDrum'n'Bassや2 Stepを取り入れた楽曲をリリース。メインターゲットは10代〜20代だから参照元の時代には物心ついてないどころか生まれてすらない可能性もあるんだけど、それでも誰しもが「あの頃」の雰囲気にノスタルジーな魅力を感じ取っていた。
その路線が最強に似合っていたし、どれもがしっかり売れていたのでてっきり"Y2K"屋さんなのだと思っていた。しかし今回の『Bubble Gum』は、そうきたか!とびっくり。往年のFM音源っぽいエレピ。裏拍を避けながら動くベース。スロウなディスコビートにコードカッティングを添えるギター。そして朗らかに響くフルートの音色。そう、一聴して明確に今回は強めのシティポップ・リバイバルなのだ!
正直、全く予想していなかった。確かにここ10年で日本の80年代シティポップは海外のインターネット的音楽ファンに"発掘"されひとつのムーブメントとなっていた。ダークウェブの通販で買ったテープのびのびのVHSみたいなジャンル「Vaporwave」の隆盛にもインスピレーションを受け、こちらはむしろチョップ&テンポアップしてギラっとした音像を生み出すFuture Funkとして流行した。
▲もはや日本人よりシティポップに詳しい韓国出身のNight Tempo。ツアーをしたりディスクガイドを刊行したりと日本でも精力的に活動している。
影響はインターネット上のクローズドなコミュニティにとどまらず、アメリカを中心にだんだんと世界的なものになっていく。Tyler, The Creartorが山下達郎の歌を引用し、The Weekendは亜蘭知子をまんま使いでサンプリングする。日本では国民的知名度といかないアーティストの曲までもがディグの対象となりむしろ海外でヒットするという、興味深い逆転現象が起きていた。
▲「Thank you for your love〜」は山下達郎『Fragile』より引用。
▲FutureFunk界では定番だった亜蘭知子のアルバム「浮遊空間」より『Midnight Pretenders』をサンプリング。
欧米のAORにはない独特のガラパゴス的ファンクネスが彼らの感受性にリーチしたのだろう。懐かしい感じがするけれど、聴いたことのないサウンド。オリエンタルな魅力に加え、ちょうど訪れるコロナ時代のメロウな室内的ムードも相まってブームは拡大。今では日本の音楽にもその流行を取り入れるものが見られるようになった。まるでカリフォルニアロールのように見事な逆輸入だ。
▲韓国出身のYonYonを迎えたKIRINJI製のカリフォルニアロール。絶品です。
Japanese City Popにおいては、日本の音楽を使うこと自体が面白いのだという発想ではなく、あくまでただ"良い音楽"だったことがブームに火をつけたのだという価値観が含まれていて好きだ。音楽的対峙を経たうえで、海の向こうの異国の空気に想いを馳せる愉しみが付加価値になっている。Daft Punkがレア・グルーヴを掘っていたのと同じように、彼らもまたひとりひとりの音楽ファンとして日本の作品に向き合っているのだと想像する。
▲Cory Wongのカッティングを最も日本人的に活かしたVaundyも好例。
さて、そんな中でNewJeansである。明らかにシティポップリバイバルはここ数年のトレンド"だった"し、今やオシャレな音楽として位置付けられるようにもなった。しかし彼女たちはむしろそのムーブメントの次を担う"Y2K"のアイコンではなかったか。2ヶ月後の号数をつけるファッション雑誌のように、いつでも最先端のその次をやってカルチャーを牽引していたはずではないか。
懐かしの音楽を最先端のファッションに昇華する彼女たちの戦略をふまえれば、前述した流れの中では確かに80年代の音楽を取り入れていくこともあり得なくはない。実際に『Bubble Gum』は明確にそのモチーフが取り入れられている中で、あくまでサウンドはディスコなギラギラ感やゲートリバーブの荘厳さからは解き放たれた現代的なものにアップデートされている。それにしても今や逆に懐かしくもあるあの頃のシティポップリバイバルを今やるのか、と考えたところでひとつの解釈にたどり着く。もしかしてこれ自体が、NewJeansにおけるイージーさや懐かしさの表現なのではないだろうか、と。
今回のサウンドが目指すテーマはおそらくノスタルジーだ。今という瞬間すら、今後も含めた人生史の一部として俯瞰してみることで感じるなんともいえない郷愁。青春真っ只中の若者たちの間でフィルムカメラやそれに似たフィルターが流行しているのも同じ感覚だろう。本来は時間が経って過去になってはじめて得られる"懐かしさ"というエンタメ性を「もしもこの瞬間が過去だったら」と想像さえすれば現在にも適用できてしまう。その一助として目に見える景色をわざわざフィルム現像でフィルターしているのだし、そこに流す音楽はチルでローファイでノスタルジックであってほしい。
▲乃木坂46の写真集。今の瞬間を切り取ったものに「あの頃」と名付けることで既に思い出という名のフィルターを付与している。
懐かしさが最強のエンターテインメントに成り得ることに気づくのはおそらく20代後半以降だろうから(知識や視点が増え人生観が形成されることで比較対象が明確になりクォーターライフクライシスと呼ばれる無常感が湧き上がるのもこの年齢だ)、10代のNewJeansファンにとってその視点は感覚的になんとなく受け取れるくらいのものなのだろう。理性として懐かしいというよりも、本能的に可愛いからあの頃のファッションをアレンジして楽しむ感覚。
その憧れの的たるNewJeansが描ける懐かしさとは何か。デビュー時から90年代風ファッションに身を包み、常に自然体の可愛さを体現し続け、むしろそれを全世界から求められ続けたこの2年間。彼女たちにとって80年代への回帰はひとつ古いサウンドに戻るという以上に「未体験へのリバイバル」なのではという気がしてくる。そこに含まれるのは実際には経験していない時代に抱くレイドバック、チル、エモーショナルさであり、我々がかつてローファイムーブメントに感じたそれをもう一度なぞっているだけにすぎない。
つまりこれは三度目のリバイバルなのだ。90年代〜ゼロ年代クラブシーンでの"和モノ"の流行が一度目、2010年代のインターネット発ネオシティポップブームが二度目。そして2020年代の今、ややこしいことに、90年代サウンドしか経験していないNewJeansによる『Bubble Gum』が三度目という構造。
「新しさに疲れたから古きも愛して、肩肘張らずに自然体で行こう」というローファイのムーブメントが80年代の音楽を掘り起こし、それに90年代ブームを続けさせた。その過程で生まれたNewJeansは最初からその「90年代的自然体」を全うする役目を担っており、それは真に自発的なイージーさではなかった。新しい価値観の発信役を降りることこそが彼女たちにとってのローファイであり、そこで手に取ったのがシティポップリバイバルサウンドだったという流れだ。
もちろんこれは実際に彼女たちがファッションリーダーであることに疲れたのだろうという意味ではない。そういう文脈をK-POP史の中でもう一度再現してみせることによって今回のサウンドをより強く"演出"しているのだろうという指摘だ。現代の女子が90年代の格好をしたら懐かし可愛いのだから、既に懐かし可愛いNewJeansがもっと懐かしい80年代リバイバルの曲を歌ったら懐かし懐かし可愛いんじゃないか、という発想なのだろうと考えている。
また80年代の欧米に邦楽がほとんど入ってこなかったのと同じように、2020年頃のK-POPダンスグープ界ではヤマタツ的シティポップよりもアメリカンシンセポップ系のリバイバルが"NEWTRO"として流行していたのも興味深い。誰もやっていなかったシティポップを敢えて今やる、という構図がヨジャグル界では改めてもう一度成立してしまうのが面白い。
▲K-POPダンスはテンポを求められるため同じ80sでもこっち系が多かった。
▲もちろんJシティポップに接近した曲もいくつかある。
さて、長々と書いたが今回のコンセプトがどのような経緯で生み出されたのか実際のところはわからない。ただそこへ「知らないものへのノスタルジー」という不思議な概念を補助線として引くことによってひとつ解釈が出来上がるのではないだろうかと思い立ち、文章にした次第だ。
こんなふうにひとつの曲を噛み締めながら語ることができるから音楽は面白い。ひるがえせばNewJeansはそんな文脈読解の面白さを適用するに値する音楽的強度をしっかり持っているということでもある。どのようなサウンドを聴かせてくれるのか、今後もそのリリースに注目していきたい。
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