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ヨガの瞑想と心理学と占い

心理学的な魂。

ヨガのつながり


魂とヨガ。

ヨガは魂に目を向けるツールです。


本来ヨガのアーサナは「瞑想への準備」です。ちなみにアーサナの次は呼吸法になります。


そんななか瞑想の人気が、ここ数年でぐぐぐっと高まって来たなぁと肌感で感じていて。


さて、瞑想は何のためにするんでしょう?

私は自然との軛(くびき)を太くする為だと思います。


なんじゃそりゃー!

ってかんじでしょうか(笑)



「魂」とは本当のあなた。

身体、心というツールの更に奥にあるあなた。「本当のあなた」へたどり着き、私は「個」ではなく大いなる存在と繋がっていると気づくこと。それがヨガ哲学。


前置きとして話が反れますが

古代、日本の自然信仰の元で人間はいわゆる「個人」ではなく心理学用語でいう「集合的無意識」的に生きていました。


つまり、私と私以外ではなく

自然の一部の私たち

という生き方をしていたのです。


うーん、むずかしい!(笑)


もっと具体的なエピソードを上げますね。


貝塚をご存知でしょうか?

縄文時代に大量の貝で出来た地層のことです。以前は残飯の貝を捨てるゴミ捨て場だと考えられてきました。

ですが、その貝塚から人骨や飼っていた犬の骨も出てきていて、近年の研究では、どうやら残飯の捨て場所ではないようだという意見も出ています。


「生き物は死んでも魂がまた還ってくるから、亡き骸を自然に還して戻ってくるのを待っていよう」という概念を持っていたんです。つまり、貝塚は共同墓地ですね。

そう考えると、なんだか貝塚がとても優しくてあたたかい場所に変わってきませんか?


縄文人は亡くなった家族だけではなく、食べ終えた食材、貝に対しても、私の血肉になってくれてありがとう。また還ってきてね。という気持ちを持って、共同墓地である貝塚へ亡くなったもの全てを埋葬していたということになるんです。


これって、いただきますや、ごちそうさま。の原点にも繋がりますよね。


日本で宗教というと、悲しい事件の印象も強くて、宗教を信じる人は気持ち悪いとか、怪しいと言われることも多いです。それをここで肯定も否定もしません。


ですが日本人の無意識的な部分では「いただきます」が根付いているのがほとんどで、自然への感謝や尊敬は、どこかで魂を信じているからこそでは?と思ってしまうのです。


現代社会を生きて(古代と比べると大幅に)自然と切り離されてしまった人間たち。


本来は自然から生まれたはずの私たち。


魂を思い出すことって、とってもナチュラルなことだと思いませんか?やはり、怪しく聞こえるでしょうか(笑)



ちなみに分析心理学のユングの言葉を借りると、
哲学、心理学を深めて歩むと自然と宗教に出会ってしまうけれど、それは熱心な宗教者とは違う。と彼は言っています。

また、魂の救済を望む心理学はある意味、宗教的で神学的だ。とも言いました。


私は確かにその通りだと思います。



ここで話を冒頭に戻しましょう。


ヨガの瞑想人気が高まってきた近年、人類は「魂を取り戻して自分のオンリーワンな人生を目指したい」と感じる人が増えてきたのではないか?と私は思うのです。


そのための瞑想。

そのための準備となるヨガのアーサナ。

大いなる自然と繋がる為の軛(くびき)を太くすること。


それがヨガの瞑想。

それが私の占いの原点です。


じつは古代から続く伝統的な占いにも、似たような哲学が盛り込まれており、、、。


そのお話はまた今度🌠



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