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「異端」についての聞き捨てならない事実

「異端」という語を、語句索引をかけてみると、殆どの訳で、ただ1箇所しかヒットしません。その聖句をまず初めに引用しておくことにしましょう。

《あなたがたの中にも偽教師が現れるにちがいありません。彼らは、滅びをもたらす異端をひそかに持ち込み、自分たちを贖ってくださった主を拒否しました。自分の身に速やかな滅びを招いており、 2しかも、多くの人が彼らのみだらな楽しみを見倣っています。彼らのために真理の道はそしられるのです。》2ペテロ2:1,2

ここで「異端」と訳されているギリシャ語の原語は「ハイレシス」で、本来の意味は、「choice 選択/採択,  opinion 見解/所見 などであるとされています。」ニュアンス的には「特定の見解を採用する」というような意味合いです。
「ハイレシス」は実は聖書中に、全部で9箇所で使用されています。
残りの8つをすべて挙げておくことにしましょう。【 】内の語句がそれにあたります。

サドカイ【派】使徒5:17
ファリサイ【派派】使徒15:5
『ナザレ人の【分派】』の主謀者】使徒 24:5
彼らが『【分派】』と呼んでいるこの道 24:14
いちばん厳格な【派】である、ファリサイ派使徒 26:5
この【分派】については、至るところで反対がある 使徒28:22
【仲間争い】1コリント11:19
【仲間争い】ガラテア5:20

まず注目すべきは、このうち3箇所は、キリスト教会を表すために用いられているということです。
本来「選択、見解」という意味ですから、この語を単に「派」と訳している翻訳は多くあります。

次に、少し風変わりな【仲間争い】と訳している聖句について、もう少し詳しく見てみましょう。

上記の9つの抜粋はいずれも「新共同訳」からですから、ここで、1コリント11:19 新共同訳を、1節まるごと引用みましょう。

《あなたがたの間で、だれが適格者かはっきりするためには、仲間争いも避けられないかもしれません。》1コリント11:19新共同訳
《あなたがたの中でほんとうの信者が明らかにされるためには、分派が起こるのもやむをえないからです。》1コリント11:19  新改訳 
(他に、前田訳では「党派」、塚本訳では「(勝手な)教義」となっています。)原語には「争い」などという単語は存在しません。

さて、「偽教師」たちは「ハイレシス」を持ち込み、それによって「自分たちを贖ってくださった主を拒否した」と記されています。
「主を拒否」しているのに「教師」という立場にいるというところに注目すべきでしょう。しかも「多くの人」がそれを認め、見倣ってさえいるという状況は信じがたいほどに思えますが、これが実情だったということです。

ここでこの「拒否 アルネオマイ」についても、詳しく見てみましょう。
「アルネオマイ」が使用されている一例:

《だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。 33しかし、人々の前でわたしを【知らないと言う】(アルネオマイ)者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。》マタイ10:32

クリスチャンとなっており、教師という立場でありながら拒否しているわけですから、実際には、自分はキリストの「仲間であると言い表し」ながら、キリストを拒んでいる」という状況だということですから、おそらくあからさまではなく、巧みに「ひそかに持ち込む」と表現されているのでしょう。
使徒たちが存在した時でさえ、そうした状況が見られたのであれば、現代の於いても、そうした現状は少なくないのかも知れません

もう一度「ハイレスシス」という語にもどりますが、この語は殆どの英語訳では「heresies 邪教 邪道 不敬虔 」と訳しています。

「own - teachings 独自の教え」(GOD'S WORD® Translation)
「sects 分派」(Jubilee Bible 2000, Douay-Rheims Bible, Young's Literal Translation
「divisions 分裂」(Weymouth New Testament)

「ハイレスシス choice, opinion 選択 採択 見解、所見」という意味の語を 翻訳によって 邪教 邪道 不敬虔 という意味にまで【昇格」させているのは、誤訳あるいは、意図的な誤導と言えないでしょうか。

発足当時のキリスト教会であり、パウロが「この道」とも表現した「ナザレ人派」の「派」を「heresies」とも訳せるのなら、翻訳によって「ナザレ人(イエス・キリスト)派の邪教」ともイメージ付けることが可能だということになります。

この「異端」という語を好んで用いて、自分たちこそ正統派で「あれこれの教団は異端だ」と言い放っている人は少なくないのですが、その実、私は◯◯派のクリスチャンです。などと自己紹介をして、自らが「派(ハイレスシス)」に属するものだと示していることに気づかないのでしょう。

しかし、冒頭で「ハイレスシス」の意味は「特定の見解を採用する」というような意味であると記しましたが、今日何千もの異なる教団や教派が存在する理由は、それぞれが特定の神学を採用してそれらを組み合わせた結果であるというのが現実ですから、今日ありとあらゆるキリスト教を標榜する組織はすべて、聖書の示す「ハイレスシス」の一つであるというのは紛れもない事実ですが。

そういうわけで「派(ハイレスシス)」が「(排斥すべき)異端」であるとするならなら、「正当派」とは「正当な異端」であると主張していることになるのです。
つまりは何らかの教団に属しているクリスチャンは全員「異端」であると断言していることになるのです。

「異端」とは:
【wikipedia の説明によるとこうなっています。
「異端(いたん、heterodoxy あるいはheresy)とは、 正統からはずれたこと。
正統[orthodoxy] と対立する異説。 その時代において正統とは認められな思想・信仰・学説などのこと。多数から正統と認められているものに対して、少数によって信じられている宗教・学説など。
正統を自負する教派が、正統教理・教義に対立する教義を排斥するため、そのような教義をもつ者または教派団体に付す標識。」
「異端」と一対で「正統」という概念が用いられる。
宗教学辞典などで、異端は正統あっての異端、つまり「異端」という概念というのは「正統」という概念があってはじめて成立するものであり、それ自体で独立に成立する概念ではない、相関的概念である、とされている。また哲学事典などでも「正統」と「異端」は動的な対概念であるとされている。】

「「異端」という概念というのは「正統」という概念があってはじめて成立するもの」ですから、「正統派」も聖書的には「異端」と呼びうるわけですから、その違いは単に支持者の「数」以外、何の根拠も正当性もないということです。

実際のところ「滅びをもたらす」者に惑わされた者が「広い門」を入った者たちです。そして「その道も広々として、そこから入る者が多い。  しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」マタイ7:13,4

比率的に言って、偽教師のような者によって持ち込まれ「選択、採用」された「破壊的な」教理を信じる人の方が圧倒的に多数で、しっかりと物事を見極めることができる人は「稀」である、つまりごく少数であるという結果になるということを、キリストが予め予見して警告されているのです。

「派」と呼ばれているか、もしくは「異端」扱いされているかどうかではなく、注目すべきなのは、その前の単語「滅びをもたらす」であり、「ハイレスシス」には何ら特別な意味はないというのが聖書的な正しい理解です。

そして「破滅的な」選択肢を密かに持ち込む「偽教師」がいつの時代にも存在する、ということです。
さらに、マタイ7章のキリストの言葉から肝に命じるべきなのは、懸念すべきは「少数派」ではなく「多数派」であるということも分かります。

このことが判明するのは、ある特定の一時期です。

《家の主人が立ち上がって、戸を閉めてしまってからでは、あなたがたが外に立って戸をたたき、『御主人様、開けてください』と言っても、『お前たちがどこの者か知らない』という答えが返ってくるだけである。 そのとき、あなたがたは、『御一緒に食べたり飲んだりしましたし、また、わたしたちの広場でお教えを受けたのです』と言いだすだろう。しかし主人は、『お前たちがどこの者か知らない。不義を行う者ども、皆わたしから立ち去れ』と言うだろう。 あなたがたは、・・外に投げ出されることになり、そこで泣きわめいて歯ぎしりする。》ルカ13:25-30

《わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。  かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、わたしたちは御名によって預言し・・』と言うであろう。 そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ。』》マタイ7:21-23

ある人々が「天の国に入る」時、キリストに退けられて、外で泣きわめいて歯ぎしりするタイミングは、キリストの臨在時であることは、例えば「小麦と毒麦のたとえ」など、聖書中のあらゆる例え話から明らかです。

まさにその時、広い門選択組と狭い門選択組の区分が、すべて一斉に明らかになるのです。そして、歴史上存在した狭い門選択組の人々は皆、当然のことながら、その時一斉に天国に召されることになっています。
死んだら逐次その時点で天国に逝くなどということは決してありません。
なぜなら、天国はキリスト臨在まではどこにも存在しないからです。

こららのことの聖書的根拠の詳細は、記事末に紹介した記事で確認できます。

結論ですが、自分たちこそ多数の支持者を持つ「正統派」を自負する人々からは、「それを見つけ出している人はまれ」という「命に至る」グループこそ「異端」呼ばわりされていことは間違いないでしょう。


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