見出し画像

死なないくらいに生きましょう


人に期待をしないこと
自分がやられていい事ならやってもいい
心の健康第一で、死なないくらいに生きる


座右の銘とかモットーとは少し違うけど、生きていく上での自分の軸はこれ。
(ちなみに二つ目は''やられたくない事はやらない"のではなく"やられていい事はやっていい"のだということがキモです)


生きてればいろんな人種に出会うけれど、それが全部自分と合うわけなくて。
良い意味でいろんな顔を持ち各場面に適応させる、もしくはどんな場面でも揺らがない自分を持って接する
生きていくには大体この二パターンだと思っている。



自分は後者に近い。
いろんな人と上手く仲良くなりたいとは思いつつ、その都度キャラクターを変える気力と器用さは兼ね備えていないから、この歳になってようやくこんな自分を良くしてくれる人を大切にしようという考えに落ち着いた、綺麗に言えばね。
みんながみんな自分の期待したスタンスで接してくるなんて思っていないから、自然と人に過度な期待をしなくなった。


だから、合わないなくらいの軽い苦手意識を持つ人や、生き方考え方が根本的に受け入れられない相手には、こちらにも期待をしてほしくない。
関係に支障をきたさないくらいの会話をする日常を送り、いつか関わりが終わるのを待つ。



その反面自分を良く思ってくれている(と勝手に私が感じている)人には、良いことも悪いことも全部言葉にしてしまう。
言いたい事はちゃんと言葉で伝えるべきだという考えが強すぎるのかな。
直して欲しい事が相手のためになるなら、どんな事も伝えてしまう。
それは自分だったら言われてもいいと思っているから、自分の良くないところを言葉で伝えてくれるのは有り難い事だと思っているから。


多感な大学時代からいろんなことを共にし、結婚式と葬式に絶対行くし来いと言いあうほどの仲の男友達に、私は何でも言葉にする度が過ぎてるのかと最近少し考えだしたんだよね、とかいう話をしたら
「でも毎回正論しか言ってないじゃん、俺もハッとさせられて直した事たくさんあるよ」と言われてなんだか複雑な気持ちになった。
親しい人にも、自分の言葉で何度も悩んだり反省させてきたのか。
自分が大切にしたい人にこそ伝えた事が、仇となっていたのかな。

「そういう性格だからこそ、お前を好いている人もいるわけだから」とも言われたけれど、彼らは私の性格や人となりを理解してくれているから今も仲良くしてくれているんだけど、みんながみんなそうとは限らない。
自分が大切にしたいと思う人でも、私のこのスタンスを苦手とする人もいるのかも。
そんな人は私に期待をしないだろうし、最低限の関わりで留めたいと思うのかな。





自分の生きる上での考え方はかなり大切にしていたけれど、最近はそれに苦しめられている。

上手く生きるのってむずかしい〜
別に上手く生きる必要なんてないんだけど、確固たる信念がないと自分がすぐふにゃふにゃ人間になってしまう気もして怖い。
自分も相手も苦しまず楽しく生きたいもんですな
ってこれが答えというか、既に自分がわかっている事じゃん。


死なないくらいに頑張って楽しく生きてね

ふと心配になった人に自分がかけてきた言葉だけど、いまの自分に向けるべき言葉だな。
たまには肩の力抜きまくって、どうにでもなれくらいのスタンスで生きるべきか。



これを読んでくれているあなたも、死なないくらいに生きましょう。

心の健康第一でいてね。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?