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小説を書くことが日常だった自分が書けなくなるまで

 物語が書けなくなってしまった。

 一昨年までは書くことが日常的で、食事や、睡眠と同じように、書くことが身近にあった。例えるなら、ほんの少しだけ特別なワンピースみたいに。書けないこともあったけれど、書くことの方が多かった。いつもどこか遠くの、夢の世界にいた。

 けれど、去年くらいから、徐々に書くことが遠ざかっていった。
 少しだけ特別なワンピースが、喪服のような、普段ほとんど袖を通さないものになるまでに、多くの時間を要さなかった。書くことはするすると私から逃れてゆき、春を過ぎてすっかり居なくなった蝶のごとく、曖昧に揺らめきながら私の中から消滅した。


 書き始めたきっかけを、改めて辿りなおしてみる。
 四年前、鬱で休職し、何もせずにぼんやりとしていたときのこと。病院の先生に勧められたのだった。

「あなたみたいに繊細な人は、小説とか書いた方がいいよ」

 何気ない一言だった。私に話しているというよりは、自分自身に語っているような軽い口ぶりだったので、かえって私の琴線に触れたのかもしれない。

 そこからまず、二次創作をはじめた。そもそも文章を書くことが得意ではなかったので、本を沢山読んで、それらの作家の真似事からはじめた。すると、色んな人との繋がりができ、大海原で独り小舟に乗って浮かんでいたはずの私に、沢山の人が訪れてきた。私はいつの間にか島に漂着しており、何かを紡ぐことが生きる希望になっていた。

 自分を取り戻した私は、書店のアルバイトをはじめ、どうにか外界に戻ってくることができた。
 書店は本に出会う場所である。そんな場所で毎日働けることは、私のひとつの糧となり、肥やしとなってゆく。

 外界と繋がるということは、自分の眼で外界を見据えるということ。それは自らの過去を、そして何よりも未来を考える行為である。外に出て、様々な人を見つめ、それらが湖面となり私自身を映す。出会う人、手に取る本、降りかかる言葉、友人たちの後ろ姿。

 物語を紡げば紡ぐほど、現実がどこか希薄になる。しかし、物語を現実に落とし込もうとすればするほど、書くことが足枷になった。もっと、自立しなければならない。書くなら役に立つものを書かなければならない。何かに繋がらなければ意味がない。

 けれど、私は役に立たないものを愛していて、ただきれいなものが好き。

 私の湖が枯れてゆく。

 日々、自分の生き方に苦悶する。ただただきれいなものを愛して、それを言葉にしていたい。でもそれでは生きてはいかれない。その事実が私をしばり、私の創作の源泉を枯らしてゆく。もういっそ書くことを捨てて、潔く生きてゆくべきなのかもしれない。

 それでも、言葉の奥にあるもの、言葉の幽玄さ、言葉の煩わしさ、言葉の神秘に、本能的に惹かれてしまう。

 田舎育ちのため、娯楽は自然と本とゲームくらいしかなかった。母親が連れて行ってくれた場所は図書館か本屋か、さびれた百貨店。百貨店のおもちゃ売り場は驚くほど小さく、慎ましやかに佇むサンリオの売り場と、地下にメリーゴーランドのようなお菓子の回転台がある他には、静かな文房具屋くらいしか興味を引く場所はなかった。

 だからこそ、本屋や図書館が、私にとっての遊園地だったのかもしれない。小さな世界に閉ざされ、遊園地はおろか、ショッピングモールや、ファミレス、観光地や、他県にすら行ったことがなかった、幼い頃の閉ざされた私。その中で、言葉から匂い立つ物語だけが、私を連れ出す唯一だった。

 だから、私は書くことをまだ諦められず、物語を書くことに渇望している。

 どうか、私の枯れかけた湖よ。また潤いを取り戻し、たっぷりと満ちてくれることを、どうか。

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