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逃避、そしてささやかなる抵抗

 バス停まで向かう道すがら、ドライフラワーのごとく鮮やかに枯れた紅葉の葉が、廃屋のほとりに堆積していた。アラベスクさながらのその様子に、思わず感嘆する。そこは以前──というのは、私がこの土地に住むよりずっと前の話──蕎麦屋だったそうで、それなりに繁盛していたとのこと。気のいい老婦人が居た、と知人から聞いたことがある。しかし、今はもうすっかり物静かな廃屋で、蕎麦屋であった頃の良き喧騒などは見る影もない。

 ところで、私が小説を読む理由は心を遠くに飛ばすためである。ただでさえ憂鬱で、閉塞感満載の現実をどうにか生き抜くために、束の間心を遠くに飛ばしておく。小旅行。あるいは、逃避。
 身近な景色から喚起された泡のような感動を、ささやかな物語に閉じ込めておくこと。これも拙い抵抗。小旅行。逃避。

 ティーポットから紅茶を注ぐ瞬間。陶器が擦れる高くいじらしい音と、秋の切なげな夕映え色の紅茶がとぽとぽとカップに流れてゆく。無心でそれを見つめていると、奇妙に神聖な、あるいは厳粛な気持ちになったりもするから不思議だ。
 紅茶は明け方のようなカップの中で、しんと凪いでいる。つややかに光る紅茶のそばで、ロートレックの絵がブックカバーに浮び上がる。浴室から潮騒のように寄せてくる水音。そしてわたしは口を引き結んだまま、不機嫌そうに頬杖をつき、今宵も夢想に浸るのである。

 私が物を書く理由。それもある種の逃避で、さらに言えば、やや感傷的でくだらぬ抵抗の証なのだろうな。

 

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