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淋しさの起源

夜半。
恋人の家は、掃き出し窓を三分の一ほど開けているので、車の走行音が耳に届く。家の前にはさほど大きくないが川があり、道路に沿ってゆるやかにカーブしながらどこかへと続いている。車はやはりゆるやかにカーブした道に沿って、エンジン音を鳴らし、風を切りながら遠ざかってゆく。

 昼間はもちろん、夜もそれなりに交通量のある道なので、走行音は一定間隔で私の鼓膜をノックする。しかし、昼は揺れるカーテンと洗濯物に遮られ、それらが可視化されることは無い。

 ただ、夜は様子が違う。夜闇の中、ヘッドライトの光がどう反射しているのかはわからないが、恋人の部屋の天井には、光が流星のごとく走る。さっと、瞬く。

 先日は珍しく眠れず、通過してゆくそれらの光たちを漫然と眺めていた。ひし形の光がさらにひしゃげ、斜め上に向かって走り去る。新しい車がやって来る。明滅する光。それをひたむきに見上げる私。

 恋人はその前日、遅くまで働いていたために、寝息を立てて深い眠りに沈んでいた。豊かで甘い隆起をともなう、やさしくたくましい、けれど覚束無い背中。ちらりと一瞥し、再び天井へと視線を据える。

 その瞬間、異常な虚しさが驟雨のように私を襲った。ふいに、目の端から一筋の何かが流れ落ちる。右目が先だった。次は左目。胸が詰まる。なんの前触れもない虚しさ。そして、無窮の淋しさ。

 次々と頬を濡らしてゆく涙の筋たちに愕然としつつも、私はどこか冷静にこの感覚を捉えていた。知っている、と思った。この感覚を、私はよく知っている。前にもあった。懐かしさと、薄らとした憎悪でもって、私はその淋しさを内に迎える。


 大学の時分、交際していた男──心細げな目をした、極端に口数の少ないひとであった──の家に泊まったときも、同じ経験をしたことがある。
  窓から差し込む、明け方の青磁のごとく薄青い光を見つめながら、ひとりでに涙がこぼれた。ワンルーム、愛しているはずのひとの寝息が微かに響く室内で、孤独に涙するわたし。あれから五年近くの歳月が経過したが、私はやはり、愛しているはずのひとがいるワンルームで、相似した孤独に苛まれながら、涙を流しているのである。

 途方に暮れる淋しさ。

 一体、この淋しさはどこからやって来るのだろう。今の恋人と交際し、ようやく一ヶ月。順調なのかは、正直わからない。彼の明瞭なもの言いには怯むことがあるし、気分屋なところにはまるで慣れない。けれども、それが最たる理由ではない気がする。彼が私に与える甘やかで献身的なやさしさと、突発的な暗い感情の表出。ミルク色のカーテンの内側で眠るような甘美な怠惰と、薬の分量を守らずに摂取したときの、鈍い絶望。そのようなアンバランスな感情の道すじを辿ってゆくと、誰かの遠い背中を前に、立ち尽くしている自分に気づく。

 この淋しさの起源。それはきっと、恋愛に対する恐怖だ。

 大切にされなかった過去。慣れという甘えに、致命傷を負った過去。ひとは皆、慣れという言葉に甘んじて、他人を容易に傷つける。いつもそうだ。いつも私は、腐敗した恋愛に殺されそうになる。

 また、大切にされなければどうしよう。全身を穿く恐怖が、私を終わらない夜のような淋しさに突き落とす。

 誰が隣にいようとも、ひとしく淋しい。

 恋愛なんて、傷ついた人間がすることじゃないのかもしれない。けれど、人間は皆傷ついているので、この回答は不毛だ。

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