CS運営に思いを馳せる

 カードゲームで遊んでいると、有志が主催する非公認大会に出てみたくなる人もいるだろう。私もその内の一人。いままで遊んできた全タイトルで参加したわけではないが、夢中になったカードゲームでは腕試しに参加したくなった。真剣勝負の大型イベントの合間を縫ってスケジュールを立ててもらえるとその都度楽しめてありがたい。

 非公認大会も真剣勝負にウェイトを置いたものやわいわいとした交流会のような雰囲気のものだってある。なかには〇〇のカードを必ず4枚採用しなければならないという特殊レギュレーションだったり、試合中にランダムにアナウンスが発生しそれに従ってゲームを続行する(例えばこのタイミングから数値が倍になる)オリジナルルールを適用してレクリエーション感が増したゲームだったりと、アイディアが光る内容だってある。

 非公認大会は長たらしいためCSと呼称する。公認大会でも「チャンピオンシップ」と銘打って開催されているものもあり、ややこしさもある。
 先ほども触れたが、CSは有志の個人が旗を振って開催される。予定日を立て、開催地を確保し、SNSで宣伝する。いち参加者の私が推察する苦労はおそらくほんの一部分はず。気をもむことが多そうだ。その苦労を何故するのか。彼らの原動力はなんなのか少し興味はある。
 そんな彼らの心意気に反して、悲しいかなCSでのトラブル話はよく拡散され回ってくる。逆に、臨機応変な敏腕進行や見事に両者が納得しゲーム継続に一役買った名ジャッジの話はめったに流れてこない。ネガティブな話題の方がうけるのは理解するが、いささか寂しさを覚える。

 旗を振るという行動は誰しもができるわけではない。言い方を変えよう。別に誰もやめろ、だなんて言わないしやりたければやればいい。私だって主催になって大会自体は開催できるかもしれない。しかし、しない。何故か。キーボードを打つ手を止めてぼんやりと自身に置き換えて考えてみる。いくつかの要素が思い浮かんだ。まずは「面倒くさい」。労力を割く熱意と行動力がない。そして「運営できない」。ジャッジやらオポネント計算のことを考えると頭が痛くなる。極めつけは「成功しない」。何をもって「成功」とするかは旗振り役によって違うかもしれない。私が真っ先に思いついた失敗の状況は、がらんとした会場だ。想像しただけでもいたたまれない。果たして私の開催するイベントには「熱量」「能力」「結果」が伴うのか。「また来たい」と参加者から言われるようなCSを開催できるのか。ここまでかけて、最後に残ったものが悪評だけだったら私は心を保っていられるだろうか。背筋が凍る。妄想が一人歩きしているのかもしれないが、やはり私の旗を振ってくれる人への敬意と感謝は尽きない。 

 過去の話である。もう約3年前になってしまうか。感染症が拡大し人々が活動を自粛せざるをえない時期があった。もちろん娯楽の一環であるカードゲームもその波にのまれた。フリースペースは封鎖され、大型イベントは延期となった。CSがもし開催されたのなら内外から大バッシングを食らいそうな雰囲気があった。時が経ち、感染症の拡大が収まったのか感染症がランクダウンしたのか大きなきっかけは私も失念してしまったが、人々が活動を再開する機運が高まった。マスクも義務ではなくなり、街でも人々の往来はかつての様子を取り戻しつつあった。おそるおそるだが、待望のCSが開催される。そのCSでの「今回のCSではマスクは必須とさせていただきます」というまだ拭いきれない嫌悪感への配慮や当日のアルコール消毒液の設置、「マスクがなかったら持ってきているんで言ってくださいね」というアナウンスで、余念ない物品の準備には脱帽した。こういった運営のきめ細かさや心配りこそが拡散されるべきだ。

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