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会いたい気持ちがあるなら

反応、それだけで

私はかつて小説を書いていた。文章表現は得意……というか、それすらできずに「『小説を書いていました』はないだろう」と思えるくらいには、書いた。

どんなに時間をかけようが、心血を注ごうが、書いたものに反応がくることは稀だった。素人の文章を読んで、何かしらのかたちで応えるというのは、かなりめんどうなことだ。当時、たいへんお世話になった大学の先生は、原稿用紙に手書きで、丁寧な感想をくれた。

書いたものに反応がないことは残念だが、私には打つ手がなかった。そういう経験もあって、見知らぬ人の文章なり作品なりに触れて、少しでも「好きだ」とか「いい」と思ったら、いいね、スキなどを必ずすることにしている。二度とその人の表現を見ることはないかもしれない。見たいと思うこともないかもしれない。でも、いま好きだと思った痕跡を残すことはできる。それがつくり手の気持ちをつなぐかもしれないことを、私は身をもって知っているつもりだ。

その鉄を打ちたいのか

「会える人には会えるうちに」とか、「鉄は熱いうちに打て」という言葉がある。それは、可能かどうかだけではなく、意志を問うものでもある。いま、私はその人に会いたいのか? その鉄を打ちたいのか? 自分自身が変わってしまう前に、会うべき人に会い、するべきことをしたい。そうできなかったことが、何度もあるから。

あの人元気かな、どうしてるかな、といった場合にも同じことが言える。「あのとき、元気? と素直に連絡していたら」と後悔することほど、もったいない話はない。

きらめきに会うため

生身の人間の素敵さとか輝きにもっとも触れることができたのは大学時代だった。友人が書いた小説を読んだり、彼ら彼女らの話を聴いたりするなかで、きらめきは当たり前に私に降りそそいだ。

社会に出てからはぜんぜんないのかと聞かれたらそんなことはないが、かなり減った。私の目が悪くなったのだろうか。代わりに、美術館や映画館に行くことが増えた。人間の輝きを閉じこめたものとして、映画や芸術がとても好きだ。そういう場所には、たいてい独りで行く。見たいという気持ちがあるうちに、行く。

会いたい気持ちがあるなら、先延ばしにしない。そのときの私でなければ、見えないものがある。


おとまり会という名前のラジオをはじめました📻

おとまり会の夜にしゃべりたいことを話しています。
ちなみに現実でおとまり会をしたことはないです。

◾︎主な話題
文章にうまくまとまらないこと
ふとした疑問

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