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【自炊めし記録】さざなみのように【振り返り】

1月から自炊めし記録をつづけてきたが、4月でいったん区切りをつける。食事の記録は追ってまとめることにして、今回は自炊を見直して生まれた変化を振り返る。


自炊めし記録に区切りをつけた理由

大きくは、以下の2点の理由で、「私はもう大丈夫」と思えるようになったからだ。

  • 山口祐加さんの本を読み、それをきっかけに料理教室を受けたこと。

  • 自分の好きな味、献立がわかってきたこと。

山口さんの本を読んで、実際にお会いしたいと思い、料理教室に申し込んだ。私は小説や文学に興味があり、好きな作家もいるけれど、ほとんどはもうこの世にいない。会いたい人が同じ時代に生きていて、会うことができるとなれば「ぜったいに会わなくちゃ」と思った。教室にはいろいろな方が参加され、それぞれの疑問や悩みを聴く機会を得た。具体的な自炊の方法について学べたことはもちろん、山口さんと参加者の方に会えたことが、大きな財産となっている。

自炊の記録を書くことで、自分の生活に自信を持てるようになった。以前ならすぐに外食や中食に頼って、かえってコンディションを悪化させる結果になることばかりだった。いまでは、めんどうでも手をつけることができる。「きょうは適当でいいわ」と思っていても、いざはじめると「これを入れたらもっとおいしくなる」「ちょうど材料がそろっているから、献立を変えよう」など、自然な創意工夫が生まれるのが楽しい。

自炊を見直して起きたこと

要求する自分とかなえる自分

自炊を見直したことで生まれた変化は、さざなみのように、ものごとに向かう姿勢にもゆっくりと影響してきた。「自分に食べたいものを聞く」という意識は、やがて「要求する自分とかなえる自分」にまでひろがった。

たとえば、仕事において「私がここで頑張らなければ迷惑をこうむる人がいる」と思えること意外は素通りしていたが、「(要求する)私のためにも、(かなえる)私が諦めてどうする」と、自分の気持ちや意思をその場で表現できるようになった。もし仮に自分の要求が通らなかったとしても、もうひとりの私は怒ったり文句を言ったりしない。「私のために動いてくれて、ありがとう」と穏やかである。おかげで、こちらの私も救われる。

「自分がちょっと我慢するだけだし、べつにいいや」と素通りしていると、もうひとりの私は拗ねて口をきかなくなる。日々の小さな要求を逃さず、できるだけかなえようとすることが大事だ。要求が小さければ小さいほど、実現しやすい。その積み重ねによって、肝心な場面で馬力を出せるようになる。自分のことをおろそかにしそうになったときは、何度でもここに立ち返りたい。

食事のルールをゆるめる

いまでこそ標準体重におさまっている私だが、ピーク時はいまより10kgほど重かった。健康診断の数値も悪い。10代後半から、いつも眠くてだるかった。あとから、眠気とだるさは貧血が原因ということがわかった。実家暮らしで母と同じものを食べ、運動もしていたのにまったく痩せない。そんなとき、東洋医学の観点から食事や生活習慣を見直すというダイエット方法を知り、結果的には楽に体重を落とすことができた。

が、改善したはずの食生活がだんだんとストレスになりはじめた。食べることが大きな楽しみのひとつである私にとっては、いくら簡単とはいえあまりにも寂しかったのだ。一度は極端な方法をやってみようとの狙いから、家での食事に以下のルールを設けていた。

  • 動物性たんぱくは鶏肉か魚で摂る。野菜や大豆を中心に食べる

  • 米は玄米。パンやパスタなどの白い小麦は買わない。グルテンフリーやライ麦などはOK

  • 乳製品を買わない(牛乳、バター、ヨーグルト)

  • ドレッシングなどの調味料は使わない。基本の調味料のみ

  • 甘みを足さない(おかずも甘くしない。みりんは例外)

  • 生もの、冷たいものを食べない(サラダ、アイスコーヒーなど)

  • 外食でも甘い飲み物を飲まない(スイーツは外食ならOK)

  • お菓子を買わない

自炊を見直したあとも基本的な部分は変わっていないが、ときどき豚肉やヨーグルトを食べるようになったこと、お菓子をちょこちょこ買うようになったことは変化した。

以前は外食でしか甘いものを食べられなかった(というか、勝手に自分でそう決めていた)ので、お店に入ったら何か食べたいという気持ちばかりがひとり歩きして、たいして食べたくないものでも注文してしまうことがあった。私はクッキーをはじめとした焼き菓子が大好きだ。ほかにも苦みの強いチョコレート、ナッツを使った菓子も好きだが、カフェにあるスイーツのメニューといえば、ケーキやプリンが多い。

自分の好みがわかってからは、食べたいスイーツがないのに無理やり注文することはなくなった。かわりに、お菓子を買ってもよいことにした。

また、もうひとりの私によく聞いてみたところ、外食があまり好きではないことがわかった。好きな惣菜を買って帰って、汁物や納豆を足して食べるほうが向いていたらしい。もともと甘い味つけの和食は苦手だったので、惣菜を買う頻度じたい減った。以前は自炊がいやで、無理やり食べていた。

「外食はできるだけ健康的に」という考えも捨て、自分ではつくれないエスニック料理や、洋食などのこってり系のメニューを食べたいとき/食べられるときに外食をえらぶ方向に変えた。自炊がめんどうだからではなく、食べたい料理があるから外食する構えになり、食事がより楽しくなった。

見た目よりも、元気でいることを優先

私は数年前から服が好きになり、好きなものを好きなように着ていた。ただ、漠然と「もうちょっとやせたほうが似合うんじゃないかな」という思いがあり、いまいち自分の体型に満足していなかった。太っていたころよりいろんな服を着られるようになった実感があったし、「もう少しやせたら似合い度が上がるんじゃないか」という気持ちが生まれるのも仕方ないのかもしれない。

人間は生きているから、いつも同じ状態を保つわけではない。だが、世の中に出回っている身体のイメージは、つねに不変の美しさを湛えている。私は、無意識のうちに、そのイメージと自分の身体とをくらべていた。

食事のルールをゆるめるうちに、見た目に対しても寛容になった。無根拠に「やせなくては」と思うことは、もうない。実際、ルールをゆるめたところで「何食ってもいいんだ! ワーッ」と暴走するわけではなかった。自分の小さな要望をかなえられるように行動していると、ガチガチのルールを決めなくても「食べ過ぎたな」「明日は少し控えよう」など、しぜんと調整ができるようになった。

ダイエットの情報発信をするアカウントの「お正月やチートデイで太ったので短期間でもとの体型に戻します」という発信をよく見かける。「もとの体型」とはなんだろう。私はやせ型でもないし、モデルのような美しさもないけれど、それなりに好きなものを食べ、好きな服を好きなように着て過ごす。なんとなくやせなきゃと思っていたときよりも、ほどほどに好きなものを食べて暮らしているいまが、これまででいちばん元気だ。

変わることをためらわない

予定をとつぜん差しこまれるのと同じくらい、自分で決めた予定を変更するのが苦手だった。振り返ると、自分で自分に「ダメ」ばかり言っていた気がする。「やりたくない」「気分じゃない」という声を押さえつけて、決めたとおりに進めようとしていた。「食べたいものを聞く」ことと同じように、いまの私は自分の内の「やりたくない」という声にも耳を傾ける。

自炊を見直す期間中、ちょうど資格の勉強にいそしんでいた。スケジュールを組み、そのとおりに進めていたが、途中から「当日『やりたくない』という声が聞こえたら、勉強しない」という方法に変えた。当然、スケジュールには遅れが生じるし、このまま投げだしてしまうのではと怖かった。が、振り返ってみると「適度に息抜きをしつつ勉強する」バランスが勝手にできあがっていたのである。その日に「やりたくない」と答えても、私はきちんと埋め合わせをした。

自炊だけを見直すつもりが、4ヶ月のうちに、あれこれ試して自分が変化することのおもしろさ、楽しさを知った。以前は不変であることに価値を見いだしていたけれど、これからは変わることをためらわないで、自分の声を聴きながら暮らしていきたい。

ささやかな予感

数年前まで、夢中になって小説を書いていた。文章を書くことが大好きだった。書けなくなって数年が経ったけれど、このごろ、書くことの楽しさを思いだしはじめている。自分のために料理をつくることは、さざなみのように、少しずつ、やさしく変化を生み、孤島にいる私のつま先を濡らした。

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