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性格診断、適職より現職のサバイブ方法を知りたい

巷で話題になった性格診断では、ひととおり遊んできた。興味のあるものは関連本を図書館で借りるなど、気まぐれで情報を集めている。ネットの性格診断は転職サイトか婚活サイトと紐づいていることが多く、タイトルのような要望は少々無理がある。が、ここから出発した結果、性格診断ではないところに着地しそうな気配があるため、まずは書いてみたい。


なぜ適職ではイヤなのか

端的に言えば、もう職業をえらべないからである。

大学卒業後、すぐに家業に入ったのだが、嫌気がさして一瞬だけwebデザイナーになり、また家業に戻るという蛇行運転をしてきた。webデザイナーをやめた理由が「やっぱ家業が好きだった」……なわけはなく「会社員無理!!!」が圧倒的に勝ったためである。デザイナーとしての適性は、経理とか事務にくらべればあったと思う。もしかしたら、家業よりも向いていたのかもしれない。

いまでもやめたいなーと思うことは多い。友人の話など聞いていても思うことだが、他人から見てどんなに恵まれた環境に身を置いても、ひとつの不満もない状態で生きることはたぶん無理だ。いくら家業といっても、つぎやめてまた戻ってきても受け入れてもらえるという甘い展開はさすがにない。

じゃあどうやって生きていくか

ここで、タイトルの要望につながる。

私は職業をえらべないし、えらべたとして不満がない状態で生きていくことが無理なのだとしたら、どうやって生きるのかをより知りたくなる。

適職サイトや婚活サイトが性格診断をつくっているのは「あなたが不遇なのは性格のせいではなく、身を置く場所が悪いからです。私どものサービスで、よりよいところへ行きましょう」というメッセージなのだろう。でも「よりよいところ」へ行くのは自分だ。「この私」が行って、よりよくなれるかどうかは、わからない。

だから「この性格ならこの職業が合う」ということよりも「いまの仕事でどう行動したらよいか」をわかったほうが助かるのだ。

性格どうこう関係なくない?

ここまで考えて、ふと「それって性格どうこう関係なくない?」と思った。

きっかけは忘れてしまったが、ストア哲学の本を何冊か読んだ。いまの私に必要なのは「パーソナライズされた診断」よりも「普遍的な真理」ではないか。

ストア哲学の代表的な教えに、ものごとを自分にできることとできないことに分け、できることだけに集中しなさいというものがある。たとえば、他人に悪口を言われることはどうしようもなくても、それを気にするか気にしないかはえらぶことができる。性格診断では、悪口を気にするか気にしないかの傾向は導けるが、対処法は示されない。だが、ストア哲学が提示する対処法をえらぶかどうかは個人の自由だ。

結局はオーダーメイド

結局、私が楽をしようとしていただけなのだ。オーダーメイドの哲学を自分でつくりあげること。回り道のようでいちばんの近道、しんどいけどいちばん楽しいやり方なのかもしれない。「でもやっぱ、ヒントはほしくなっちゃうな〜」と、性格診断を見かけるたびに遊んでしまうだろう。

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